弔問
どうせならおばあ様が生きている間に会っておくべきだった。 そうは思ってもそんな事は今更だ。 それに今日出発したとしても向こうに辿り着くのは亡くなってから二週間以上過ぎている。 そんなに長い間埋葬せずにおくはずがない。 だけどお葬式には間に合わなくても俺をとてもかわいがってくれたおばあ様に対し、何もしないではいられない気持ちがした。
お悔やみの手紙で済ませる気にはなれない。 そりゃ出さないよりはましだろう。 でも俺の汚い字の一行手紙を貰ったって何の慰めにもなりゃしない。 それにお墓参りくらいはしておきたいし。 何よりおばあ様の最期を看取った人達に御様子だけでも伺っておきたい。 伯父上、母上、叔母上の三人は絶対おばあ様の枕元にいたはずだ。 俺がおばあ様の家に着く頃には父上は皇都にお戻りになっていると思うが、母上はきっとまだいる。 もしかしたら兄上達も。
俺は次の日、将軍に弔問休暇を申請しに行った。 状況にもよるが、平の兵士でも葬式、結婚、出産、病気、天災などの理由がある時はかなり長期の休暇が許されている。 俺は北軍入隊以来、任務終了時に振替休暇を貰った事はあるけど、自己申請による長期休暇を取った事は一度もない。 大隊長ともなれば一ヶ月程度なら理由がなくとも休暇が取れると聞いていたから、弔問なら間違いなく許可されるだろうと軽く考えていた。
「弔問休暇はもちろん構わんが、誰を供に連れて行く気だ?」
「トビを連れて行きます」
「それ以外だ」
「トビだけです」
「「「……」」」
将軍執務室には将軍の他にカルア将軍補佐とマッギニス補佐がいた。
彼らの沈黙は長かった。 そして痛かった。 冷たい水に手を浸したかのように。
因みに、ここで言う痛みはものの例えではない。 マッギニス補佐から冷気の直撃を受け、ほんとに冷たくなったんだ。 その時マッギニス補佐は将軍が招集なさる会議で座るように俺の真後ろに座っていた。 その場合、狙われるのはうなじだ。 背後から冷やしても効果的な場所というのが限られるからだろう。
このうなじ攻撃にはすっかり参っている。 それでトビに夏用のマフラーを買ってくれと頼んだ。 仕事はいつもは何事を片付けるにも素早いトビだが、これはまだ見つけてくれていない。 まあ、夏用のマフラーなんて普通に売っている物だとは俺も思わないけどさ。 このままじゃ来年の夏にはクークラのマフラーを巻くしかないのでは、という程せっぱつまった所まで追い込まれているんだ。
それにトビが迅速な対応をしてくれてないのは、物がないという事情もあるかもしれないが、誤情報が蔓延しているせいのような気がする。 と言うのもマッギニス補佐の攻撃の精度が上がり、巻き添えを食う事がなくなった。 それでマッギニスが温暖化した、という間違った情報が広まっているみたいなんだ。 俺がどんなにそれは違う、と言っても誰も信じてくれない。
それはともかく、いくら外見に構わない俺でも夏に冬用のマフラーをするのは恥ずい。 それで我慢していたんだけど今はもう秋。 さっさとマフラーを持ってくりゃ良かった。 今日は将軍に休暇申請するだけだし、と油断した事を後悔したが、時既に遅し。
がちがち歯を鳴らしそうになるのを必死に我慢しながら、タマラ小隊長に同行の都合を聞いてみますと言うと、将軍がつくづく呆れたというお顔をなさった。
「若。 一人や二人で旅に出たら誘拐されるかもとは思わんのか?」
「え。 誘拐、ですか?」
さすがにそれは考えてもいなかった。
「仮に、だ。 私が供を二人だけ連れて皇都へ旅立った、と皆に知られたらどうなると思う?」
「それは、確かに将軍ならば何かを仕掛ける絶好の機会と考える奴がいると思いますが。 大隊長の俺を誘拐したって利用価値はないのではありませんか?」
「試してみるか?」
将軍が脅すようにおっしゃる。 将軍の真顔はマッギニス補佐の冷気以上に俺の胆を冷やした。 そんな風に脅された事なんて今まで一度もなかっただけに。 そこでようやく俺が自分の事をどう思うかが問題なんじゃない、他人がどう思うかだ、という事に気が付いた。
ロックと共に飛んだおかげで俺を瑞兆の片割れというか目出度いというか、俺にも御利益があると考える人がいるかもしれない。 ロックが留まっただけで俺の家の屋根を見に来る観光客がいるくらいなんだから。 あの時ロックが付けた屋根の爪痕はとっくに修理し終わっているし、屋根は屋根でしかないのに。
それにいくら何も仕事をしていないとは言え、大隊長が誘拐されたらそのまま放っておける訳がない。 俺を取り戻すために兵士を派遣するとか、そういう物騒な話になるだろう。
「申し訳ありません。 自分の考えが足りませんでした」
「分かればよい。 お前に隙があると言いたい訳ではないが、数で来られたらどれだけ矢数があろうと敵うまい。 己の力を過信するな」
「それでは勝手を申し上げて恐縮ですが、部下を連れて行ってもよろしいでしょうか?」
「部下だと? お前の部下に剣の達人など一人もおらんだろうが」
「それは、まあ、おっしゃる通りですが」
行くなとまでは言われていないが、行く事によってそちこちに多大な迷惑がかかる事が分かり、うんざりしてしまった。 それに自分の部下の旅費ぐらいなら俺の懐から出せる。 でもそれじゃ足りないと言われたら旅費だってばかにならない。 諦めて、じゃあ行くのは止めます、と言おうとしたら将軍がおっしゃった。
「タケオも縁続きだ。 一緒に行けばいいだろう」
縁続きって。 そりゃ師範にとって妹の義祖母だから全く無関係とは言わないが。 同じ町や隣町程度の距離ならともかく、どんなに急いでも往復半月以上かかる弔問に行く程の関係じゃない。 手紙か何かで弔意を表せば充分だろ。
「タケオ大隊長、タマラ小隊長、ウィルマーが揃えば、ある筋には大変思い出深い面子が揃う事となります。 それなりの脅し効果も期待出来るでしょう」
マッギニス補佐がそう言ったものだから、以前北と東の境にあるフレイシュハッカ離宮へ行った事を思い出した。 おばあ様の住んでいる町は東と言っても方向が全然違うから同じ道を通る訳じゃないけど。
ううう。 なんか悪い予感がしてきたかも。
命拾いしたとは言え、俺にとってあれは生涯二度と経験したくない嫌な思い出だ。 同じような襲撃が再びあるとは思えないし、そもそも弔問という悲しい理由の旅で気分が盛り上がる必要はないんだけど、こんなに嫌な予感付きとは。 出掛ける前からずどーんと落ち込んだ気分になった。
何も考えずに休暇を申請した事を心底後悔した。 祖母不孝だとは思うが、弔問に行くのは止めて手紙にしよう。
お前の事だから、そうなると思っていたよ、というおばあ様の笑い声が聞こえたような気がする。 ところがそれを口にする前に将軍が明るいお声で。
「そう言えばそうだな。 うむ、タケオが付いていれば安心だ。 そうしろ!」
俺に引き替えすごく上機嫌になった将軍に向かって今更行きませんとも言えない。 将軍はその場でカルア将軍補佐に俺だけでなく、師範とタマラ小隊長の休暇申請書を用意させ、ささっと全部に許可の署名をし、俺に手渡した。
やれやれ。 結局また師範に頼るのか。 しかもこれじゃ将軍からの命令も同然だろ。
頼られたからってどうこう文句を言う師範じゃないし、嫌なら嫌とはっきり言う人だけど。 こんなに何度も繰り返し頼る事になるだなんて。 密かに申し訳なく思った。




