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弓と剣  作者: 淳A
瑞兆
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叙爵  若の父とサハラン近衛将軍の会話

 瑞鳥飛来を受け、皇王庁はすぐさま予言の成就を発表し、続いて新皇王陛下戴冠式日程を発表した。 遅くとも来年半ばには、と予め準備されていた事ではあったのだが、急遽九月に前倒しとなった為、皇太子殿下御相談役という名ばかりの職に就いている私でさえ、もう毎日目の回るような忙しさとなった。

 慶事を喜ぶ民の歓呼の声に溢れた戴冠式が無事終わった時には、その場で倒れるかと思う程疲労しており、それは一晩寝たぐらいで取れる疲れではなかったのだが、翌日私はマルナの家を訪問した。

 役職名が皇王陛下御相談役になったため私の身辺護衛の数も常時四名に増えたが、マルナの家に到着した後、全員を帰らせる。 普段ならお一人にする訳には参りませんと抗議する者達も近衛将軍邸でしたら、と引き下がってくれた。


 私達の前に置かれた杯に酒を満たして侍従が下がると、マルナの音頭で私達はまず乾杯した。

「新皇王陛下の末長き治世に」

 杯を傾けたものの唇を濡らしただけで酒杯を目の前に置き、疲れを押してまで今日訪問した理由を早速口にした。

「退官するという噂は本当か?」

 なぜ私に何も言わなかった、という言葉を続けはしなかった。 マルナを責めたくて訪問したのではない。 それに私に話せば止められると思ったから黙っていたのだろう。

 質問であるかの如くに聞いているが、事実である事は知っている。 戴冠式の一週間前に退官願いが提出され、受理された事はカイザー侍従長が教えてくれた。

 近衛将軍位を拝命してたったの四年。 五十を越したばかりの働き盛りが提出した退官願いに驚いたのは私ばかりではない。 後十年は勤めてくれると新皇王陛下もお考えになっておられ、御自ら慰留なさったと聞いている。 マルナの決心が固い事を御覧になり、結局受理なされたが。

「まあな」

 マルナは静かに返答しただけで口をつぐむ。 待っていただけでは詳しい心情を語りそうには見えない。

「なぜ、と聞いても?」

 私に何も言わずに済むと思うな、という視線を投げ、先を促した。 マルナはしょうがねえな、と言いたげな苦笑を浮かべ、秋の日差しがまばゆい窓の外に目をやって答える。

「海を見たい、とおっしゃられてなあ」

 誰が、と聞くまでもない。 マルナが退官するとしたら皇王陛下の御為以外ではあり得ない。 昨日からは先代皇王陛下だが。


「先代陛下に何故そこまで義理だてする? お前の忠義は当代陛下へ捧げるべきであろうに」

「当代陛下の御身は心配せずともオネ・マッギニスが近衛将軍として立派に役目を果たしてくれるだろう」

 マルナが晴れやかに微笑んで言う。 その晴れやかすぎる笑顔が気に入らない。

「私が心配しているのは、お前だ」

 マルナは軽く笑い、はぐらかそうとする。

「俺の体はお前より丈夫だろうが」

 私が体の心配をしているのではない事くらい先刻承知のくせに。

「帰って来るんだろうな?」

 私達の間に沈黙が横たわる。 やはり。

 分かりきった事を聞くな、と言われないだけましか。

「まあ、先代陛下から当代陛下へ数年は元気なお便りが届けられねばならぬし、な」

 しばらくの間の後マルナは静かにそう答えたが、それをするのはおそらく彼ではない。 帰らぬ、と私に言いたくないらしい。 だが帰ると言わないのは勿論帰るつもりがないからだ。

「お前は今まで十分お仕えしただろう? 誰よりも長く」

 下品な言葉遣いをわざとしているが、サハラン公爵家次男で正嫡子のマルナは同じ年にお生まれになった先代陛下のお遊び相手としてよちよち歩きの頃から「出仕」した。

 目の前で共に遊ぶ御方が自分の生涯と命を懸けてお守りすべき御方、と頑是無き子が理解していたとは思えない。 だが子供の頃、マルナは剣に優れていたとは言えない。 にも拘らず、後に軍対抗戦副将を務めるまでになった。 文字通り血の滲む特訓を続けたから。 それが先代陛下をお守りする為である事を知る者は少ない。


 おそらく先代陛下も私と同じ事をおっしゃったに違いない。 付いて来るな、もう充分尽くしてもらった、と。 だがこの筋金入りの忠義者は最後までお側に居る事を自分から願い出たのだろう。

 他の事で先代陛下を羨ましく思った事は無い。 皇王陛下になりたいと言う者はいるかもしれないが、そんな事はその地位が意味するものを知らないから言える事だ。

 私はマルナのように幼少よりお側で日常を垣間見た訳ではないが、皇王陛下がどれ程の責務に囲まれていらっしゃるか、相談役として皇太子殿下のお側に二年もいれば充分想像出来る。

 先代陛下の場合、男子の御兄弟が他にいらっしゃらなかった。 生まれた時から国の為にのみ生きるように教育され、それ以外の生きる道など選ぶ事は許されない。 その重責に不平を零す事もなく、正しくあろうと日々努力研鑽されたと聞き及んでいる。 帰る事なき旅の道連れには心安き者達だけを、と望まれるお気持ちは分からないでもないのだが。


 最後までこいつが付き従う。 それだけで私は先代陛下が羨ましい。 マルナは長年皇王陛下にとって御心を開いている唯一の友と言えるだろう。 それは使おうと思えばどのようにでも使える権力を手にしたも同然の立場なのだが、権謀術策渦巻く宮廷でその権益をただの一度も利用しようとした事はなかった。

 疑り深いこの私が、掛け値なしに信頼する男だ。 彼を失う事は私にとって余りに大きい損失。 この頑固者の気持ちを変える術がないか、頭の中で思い巡らしたが何も浮かんでこない。 するとマルナが言う。

「先代陛下がお前の事をお気に掛けていらした」

「私を? なぜ?」

「お前は知っていたのだろう? 二十一年前の瑞兆を」

 思わず何の事だ、と誤魔化しそうになった自分を押しとどめた。 私達二人に許された時間は限られている。 白を切ったりしていい場合ではない。 それに皇王陛下に仕える祭祀長には予言能力があるのだとか。 過去それがあったとしても、現在それは失われているのでは、と私は疑っているが。

「先代陛下がそうおっしゃったのか?」

「いや、それは単なる俺の勘だ。 サダ君が皇王城の上空を飛んだ時、皆が驚愕の表情を隠しきれずにいたのに、お前だけは全然驚いていなかったからな」

 思わず自分の不用意さに心の中で舌打ちする。 マルナに知られても問題はないが、私の表情がマルナ以外の誰かにも読まれ、気付かれた恐れがある。 だがやってしまった以上、開き直るしかない。

「そうだとして、どうだと言うのだ。 国の為に我が子を犠牲にする覚悟など私は持ち合わせていなかった。 親としての情ゆえ為した事。 今更知られてまずい事でもあるまい」

「そういうお前だからこそだ」

「どういう意味だ?」

「新年明け、瑞鳥を皇都へと導きし功により陛下はサダ君に伯爵位を賜る」

「伯爵位? 一体どうして。 いつそんな話になった?」

 マルナは言いづらそうだったが、言わねばならぬ事と諦めたかのように言葉を続けた。

「言祝ぎの儀式の際に今回の瑞兆は誰を指すか、祭祀長が奏上してな。 サリ・ヴィジャヤン様こそ瑞兆と。 なれば皇王室にお迎えすべし、となった訳だ。 幸い皇王陛下には昨年お生まれになったオスティガード第一皇王子殿下がいらっしゃる」

「正妃としてお迎えするのに父が準爵位ではまずいという訳か。 それはそれは。 サガ、サム、サジを殺し、サダに現存する伯爵位を継がせれば貴族の頭数が増えずに済むのに。 皇王陛下は真に温情厚くていらっしゃる」


 私は言わずともよい皮肉を言った。 瑞兆と認定された女性を正妃として迎えるのは皇王室の利益を第一に考える陛下として当然の事。 しかし準爵位は一代限り。 準爵の子弟は貴族ではない。 正妃が平民出身など前例がないだけに瑞兆と認定されていてさえ揉めに揉めるだろう。

 だからと言ってヘルセス公爵家義息であるサガを殺し、サダに爵位を継がせたりすれば、ヘルセスだけでなく私に恩義を感じるカイザー、マルナの実家であるサハランの三大公爵家を敵に回す事になる。 一伯爵家なら陛下の御命令に逆らえば家の取り潰しとなって終わりだが、現在のヴィジャヤン伯爵家は上級貴族の中に幅広い姻戚関係と緊密な繋がりを持っているのだから。

 それに爵位を得る者は自分より上位の継承者がいる場合、その者を殺す役目を負う。 それを知ったサダが早まって自害せぬものでもない。 何の損得関係もない貴族の中にさえ六頭殺しのファンは数多いる。 皇国全将軍に愛されているサダを追いつめた事が知れ渡れば、皇王陛下といえども退位へと追い込まれるだろう。


 全てを考慮するならサダに爵位を与えるのが一番無難なのだ。 と言うか、陛下にとってそれ以外の道はない。 これが自分の息子、孫の事でさえなかったら私だってそう進言していたろう。

 マルナに皮肉を言うなど私らしくもない。 ここは父として息子が叙爵される事に対し、感謝の言葉を述べねばならぬ場面。 けれど私の口調から苦々しさを取り除く事は出来なかった。 言い過ぎたとは思うが、言い直す気はない。 陛下とて私が喜ぶと思われたのなら事前に打診なさったはず。 毎日のようにお目にかかっていたのだから。 私が喜ばないと御存知故、今の今まで黙っていらしたのだ。


 マルナが仕方のない奴だと言いたげに、ちょっと眉を寄せる。

「ともかく、この好機を逃しては後々面倒という事で。 その場に居たのは皇王及び皇王妃両陛下と祭祀長と俺だけだが、先代両陛下には既にお伝えしてある。 侍従長、女官長、宰相には本日知らせが届くはずだ。 関係各庁の官僚など、知らせねばならぬ者の数はすぐに増える。 覚悟しておけ」

 マルナの言葉に思わず目を閉じる。

「嫌か? いや、聞くべき事ではなかった。 許せ」

 すまなそうにしている様子が、かえって私の癪に障った。 マルナのせいでもないのに。 言ってしまえば、これは皇王陛下のせいでさえない。 一度瑞兆なりと明らかになってしまえば、そのまま野に放っておく訳にはいかないのは自明の理。 皇国皇王室が迎えないなら外国の王室から求婚が来るだけの話。


 しかしサダの幸せはどうなる。 私があれ程守りたいと思った、あの子の思うままに生きるという自由は。

 そして、サリの幸せは。 皇王室に嫁げば不幸になると決めつける事はないのかもしれないが、サダのように会った事もない女性といきなり結婚して幸せを掴むなど、そんな幸運が何度も起こるものではない。

 又、日々の重圧は皇王陛下だけとは限らない。 後宮の采配をなさる皇王妃陛下だとてそれは同じ事だろう。

 両陛下はこの世で最も孤独なお二人と言ってもよい。 彼らに親兄弟はないも同然。 先代皇王陛下と当代皇王陛下に血の繋がりはあっても、いわゆる世間で言う所の親子関係は存在しない。 御兄弟とは競争相手であり、配偶者とさえ利害が絡む関係だ。

 皇王妃陛下の御出身が臣下であった場合、実父母であろうとお目通りなどめったに叶うまい。 遥か遠くから群集の中に混じってお姿を拝見するのがせいぜいとなる。

 生みの親だとて少しの不敬も処罰の対象となろう。 仮にお目通りが叶えられたとしても皇王室に対する儀礼など一つも学んだ事のないサダとリネだ。 平伏してから顔を上げるタイミングを間違え、投獄となる事さえあり得ない事ではない。


 元々皇王室は臣下が強大になる事を嫌う。 なのにサダは既に皇国の政治を左右する程の影響力を持つ。 本人にそれを使う気がなくとも、陛下がそれをお気になさらずとも、サダが将来の国母の父、皇王陛下の祖父となる事を問題視する者が必ず出る。 そして、もし陛下がお気になさったら?


 今のうちにサリを連れて逃げろと言うか? どこへ? 皇王室が瑞兆を他国へみすみす解き放ち、そのままにしておくはずはない。 どこまでも追いかけるだろう。 連れ戻すまで。


 又、サダに逃げろと言った所で、亡命を承知すまい。 父である私より、よほど愛国心に満ちあふれている子だ。 皇王室へ嫁ぐというのがどういう意味を持つのか本人が理解していないからでもあるだろうが。 かと言って将来どんな目にあうか何が起こるかなど私にも予測出来ないのに、こうなるかもしれないと説明したところで納得させられるはずがない。

 深い諦めのため息がもれる。 運命(さだめ)の前には人の悪足掻きなど、所詮及ばぬものなのか。


 私はマルナに言った。

「そういう事なら年明けには相談役を辞任した方がいいのだろうな。 この婚約に関しては出来るだけ秘して戴けるよう、お願いするつもりではいるが」

 陛下のお側に仕える者の娘や孫娘が後宮に上がるのは望ましくないとされている。 相談役に就いた理由であるデュガン侯爵の影響力は最早ない。 それにこの婚約がなくとも時期を見て辞任するつもりでいた。

「秘してはもらえん。 おそらく早期の公表となる。 秘した所でロックがサダ君の家で祝声をあげた事は皇国中に知らぬ者とておるまい?」

 そう言ってマルナが酒をあおる。 私は訝しげに問い返した。

「サダに爵位を下さるなら、心配せずとも皇王室へ迎えられるかもしれないとの遠慮が皆に生まれるだろうし、そもそも貴族の結婚は全て許可制ではないか」

「国内の貴族ならな。 だがこれほどの慶事、国外にも伝わらないはずはない。 他国の王族からの申し込みを断るのに、その内オスティガード殿下と婚約しますから諦めて下さいとは言えんだろう?」

 そんなもの、そっちの都合だろうと言えたらいいが。 皇王室相手にそれは叶わない。

「サキ。 お前だって分かっているはずだ。 陛下とすれば今すぐにでもサリ様を後宮にお迎えし、第一皇王子殿下の婚約者としてお育てしたい所。 幼馴染みとして共に育てば自然と情も生まれようし」

「それをせぬのは私のつむじが曲がる事を御懸念なさったと言うより、サリが後宮にいらっしゃる他の皇孫殿下を気に入りでもしたらまずい、と心配した故ではないのか?」


 陛下の御長男であるオスティガード殿下が立太子式を終え、皇太子殿下となるのはお年が十八になってからだ。 それまでは先代陛下の第二皇王子でいらっしゃるセジャーナ殿下が皇太子としてのお役目を務められる。 セジャーナ皇太子殿下には五歳と三歳になる皇王子殿下がいらっしゃり、皇太子妃殿下とお子様お二人は後宮にお住まいだ。

 先代陛下の第三皇王子殿下で、当代陛下の皇弟殿下となられたレイエース殿下にも二歳になる皇王子殿下がいらっしゃるし、間もなくお生まれになるお子様が皇王子殿下であれば、サリはその御方とも釣り合う。


 だがこれはただの八つ当たり。 もうすぐ二度と会えなくなるマルナを困らせたい訳ではない。 私は口調を事務的なものに変えた。

「サリを自宅で育てるのにも条件があるのだろう?」

 私の質問にマルナが頷く。

「御年五歳を数えられたら年に一度、オスティガード殿下の御機嫌伺いにいらっしゃる事。 乳母及びお付女官は全て皇王室から派遣した者に限る事。 この二つだ。 護衛に関しては別に沙汰があろう。

 それとな、他国を牽制する為、お前に準公爵位が授けられる」

 あまりな高位に、思わず目を見張った。

「何の功績もない私に?」

「充分功績だろう? 我が子が瑞兆と知って利用しない親がいると思うのか? これが他の誰かに起こった事であったら今頃皇国は簒奪と内乱で血で血を洗う戦場と化していたかもしれん。 今後の政局もお前の出方次第で大きく変わる事が考えられる。 陛下もそれを御存知だ」

「私は単に子の幸せを願う親であったに過ぎない」

「現在の皇国の安寧がその願いの賜物である事に変わりはない。 それに未来の皇王妃陛下には高位の外戚が一人くらいいた方が良い。 ヘルセス公爵やグゲン侯爵とは姻戚関係だから頼りにはなるが、血の繋がりに勝るものはないからな。 うるさい事を言う奴ほど爵位に弱い。 黙らせる時に便利な事もあろう」


 サリが結婚する時まで私が生きているかどうかは分からないが。 どちらもそれを口にする事は無かった。


「瑞兆」の章、終わります。

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[良い点] 周回中です 近衛将軍…。 無二の友が笑って死地を探す旅に出ようというのを見送らなければならないなんて……ほろ苦さを感じる印象深い話で好きです。 将軍…!
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