正解
大峡谷から、たったの四日で我が家に帰り着いた。 あっと言う間に着いたのは嬉しいが、それでも空の旅はしんどくて、もう勘弁してもらいたいというのが俺の本音。 だけど皇太子殿下の御命令は、ロックを皇都へ連れて来る事、だ。 我が家に辿り着いた、ありがとう、とここであっさりロックと別れたら、もう一回大峡谷に行って今度こそ捕まえて来いと言われるに違いない。 行ったとしても再び出会える保証なんてないのに。
サリを見せたらロックが喜んでいる。 念の為言っておくけど、そう思ったのは俺だけじゃない。 ロックを見た我が家の全員、ロックがとても喜んでいましたね、と言っていた。
何となくあの時、頼めばこのまま皇都まで一緒に飛んでくれるかも、そんな気がしたんだ。 今日は気分がいいから、ちょっと遠くまで飛んでやらんものでもない、どうせここまで来たんだし、という感じで。
どうしてロックが上機嫌なのか理由なんて分からない。 でもとにかく今この機会を逃したら、たとえ又会えたとしても一緒に空を飛ぶなんてやってくれないんじゃないか、て予感がした。 一か八か、だめもとで頼むだけ頼んでみる価値はある。
何しろだめだったら北軍精鋭百人とか二百人を引き連れての大掛かりな捕り物となるはずだ。 そして次に会う時もロックが上機嫌でいてくれるとは限らない。 皇都に行く気もないロックを無理矢理連れて行くとしたら用意しなくちゃならない物だってあれやこれやある。 北軍にとってしこたま金がかかる任務になる事は間違いない。
飛行中、俺に対して食べ物をくれた所を見ると、ロックは意外に優しいと言うか、気遣いが出来る鳥だ。 なぜ賢いと言われているのか分かったような気がする。 でもなぜ皇都まで行かなきゃならないか、そこまで理解してくれるかどうか。 それに何人で行こうとウェイザダ山脈まで辿り着くのは大変という事には変わりがない。
俺は用意されていた弁当と一緒に丈夫な綱を何本か掴んで屋根に登った。 ハンモックの取っ手をロックに差し出し、南の方角を指差して俺と一緒に皇都に飛んでくれ、と心の中でお願いしたら、ロックはちょっと考えたようだ。 そして、まあいいか、みたいに首を振ると本当に俺を連れて皇都に向かって飛び始めた。
三日目には皇都に着き、ゆっくり皇王城の上空を飛んだ後、俺を無事に家へと連れ帰ってくれた。 こうして合計九日間の空の旅が終わった。 振り返って見れば、こんなもんで密命が終わったんだ。 万々歳と言ってもいいのかも。
家に帰ってすぐ、急いで風呂に入り、その間にフロロバにマッギニス補佐を呼びに行かせた。 上官とは言え、俺がマッギニス補佐を仕事で自宅に呼びつけた事は今まで一度もない。 自宅に帰ってからマッギニス補佐に呼びつけられ、第一駐屯地に戻った事なら何度もあるが。 まあ、それは俺が会議の予定を忘れていただけで、正確には呼びつけられたとは言えないかもしれないけど。
そんな事はどうでもいい。 とにかく将軍に報告が済めば、そっちこっちで呼び止められ、沢山質問されるに決まっている。 それに何と答えればいいのか、今の内にマッギニス補佐から正解を聞いておかなきゃ、といささか焦っていた。
やってきたマッギニス補佐は初めて俺の自宅まで呼び出された事を意外に思う様子も見せず、丁寧なお祝いの言葉を述べた。
「此の度の無事の御帰還、心よりお慶び申し上げます。 又、サリ様のお健やかなるお誕生、誠におめでとうございます。 改めて申すまでもございませんが、このように困難な使命を難なく果たされた手際は実にお見事なものでございます」
俺がマッギニス補佐に褒められる事なんて滅多にない。 嬉しい事は嬉しかったが、時間が気になって、そんな前置きはどうでもいいから、と言いそうになった。 だけど沢山の出産祝いをもらった事はトビから聞いていた。 子供の出産祝いなんて初めてもらったからよく分からないけど、御祝儀だけで二十万ルークなんて、どう考えても破格だろ。 それに服やらおもちゃまで。 六頭殺しの若着せ替え人形だって安い物じゃないんだから。
「あ、出産のお祝い、いっぱいもらっちゃったんだってな。 どうもありがとう。 そんな気を遣わんでもいいのに。 で、早速だけど、正解は何?」
貰った物に比べ、お礼の言葉が短すぎるとは思ったが、この後すぐ出頭しなくちゃいけない。 いつもはとろい俺をマッギニス補佐が急かすのに、俺が急かすだなんて変だけど、我慢出来ずに、つい聞いちゃった。
「正解、とおっしゃいますと?」
「だっていろいろ聞かれるだろ。 将軍にはありのままを報告するつもりだけど、絶対それ以外の人にも質問されるよな? それに俺がありのまんま答えたらまずいんじゃないの? だからその前にちゃんとした答えを聞いておこうと思って」
「まさか、それが理由で皇都にお泊まりにもならず、とんぼ返りなさった、とか?」
他にもある、と返事をするのは憚られた。 何しろその理由というのが、リネとサリに早く会いたいから。 それは言わない方がいいだろ? 今更マッギニス補佐に見栄張ったって仕方ないけど。 大隊長としてそんな事、大きな声では言えない。 本当なら最低三ヶ月はかかると覚悟していた旅なんだし。
しかしそれを言わないとなると、後はマッギニス補佐から正解を聞きたくて帰ってきた、という理由しか残らない。 下手にそっちこっちに泊まって質問され、それに正直に答えた事が原因で首が飛んだら泣くに泣けないだろ。
直球しか投げた事のない俺は普通ならどんな質問にもはい、いいえで即答するが、これは「普通」と呼んではならない質問だ、という感じが何となくした。 頼りがいは全然ない俺の第六感でもマッギニス補佐に関してだけはあまり外れた事がない。
「えー、あー。 だって使命は果たしたよな? ロックを捕まえたって言うよりはロックに捕まえられたんだけど。 皇都まで連れて行ったのには変わりないんだから」
俺にしては上出来とも言える玉虫色の答えに、マッギニス補佐はうんともすんとも言わず、半眼になった。
マッギニス補佐の半眼。 それは「紫唇刑」(唇が寒さで紫色になるまでマッギニス補佐の傍らから離してもらえないという酷い刑で、生意気な新兵を脅すのによく使われている)程は知られていない。 だからと言って、その効果や恐怖に劣るものがあるか、と言えば逆だ。
この後、俺にとってものすごくいい事か、ものすごく悪い事が起こる。 半眼を見た時点では判断がつかないので結果が出るまで待ってる間手に汗を握る所為か、冷気よりずっと心臓に悪いんだ。
一度この半眼に出会ったら一生忘れられないと保証する。 でもなぜか俺の部下でこれに出会った事がある人はいないものだから生温い同意しか得られていない。
今日はどっちだろう? 俺がどきどきはらはらして待っていると、マッギニス補佐はおもむろに半眼を開き、紙にいくつかの質問を書いた。
「どうぞこの紙に大隊長の答えをお書き入れ下さい」
言われるまま、俺は以下のような答えを書いた。
一、なぜロックと共に飛ぶ事になったのか?
寝ている所をハンモックごとつかまれたから。
二、どこでロックに会ったか?
ウェイザダ山脈のふもと。
三、ヴィジャヤン大隊長は、そもそもなぜそこに居たのか?
密命。
「何問正解なさったと思われますか?」
その質問に、全問、と答えたら俺に明日はない。 それくらい、とっくに学習済みだ。
それでも今までの俺なら命知らずと言うか若気の至りと言うか。 全部正解と思ったからそう書いたんじゃないか、と口答えしたと思う。 しかしここでそんな事を言ったりしたら冷気はこの部屋に留まらないだろう。 大人にとっては暑気払いになって嬉しいくらいだが、突然の冷気に晒されたら生まれたばかりのサリが風邪をひくかもしれない。 父親として、それは言ってはならない言葉だ。
「二問?」
どうかマッギニス補佐の冷気スイッチが入りませんように、と祈りながら、おそるおそる答えた。
「どれが不正解でしょう?」
嫌な事聞くな、と言いそうになったが我慢だ、我慢。
「え? あー、三?」
「では、それを正解にするにはどう変えたらよいと思われますか?」
正直な所むかついたあまり、お前を呼んだのは正にそれを聞きたかったからなんだけど、ともうちょっとで文句を言いそうになった。 だって考えたっていい案なんか浮かばない上官の頭の空白を埋めるのが補佐の役割なんじゃないの? 俺は一応上官なんだぞ!
時々マッギニス補佐はこうした質問ごっこをする。 たぶん俺の頭の改善と言うか、進歩を期待しての事なんだろう。 悪気でやっているんじゃないとは思う。 だけどいくら考えたって何も浮かんでこない時はつい恨めしくなる。 俺の頭は無改善、無修正で充分幸せなんだ。 ほっといてくれ、と叫びたくなる時もある。
ひょっとしてマッギニス補佐は俺が嫌いなのかも、という疑いが突然むくむくと心の中に持ち上がった。 好き嫌いという人間にしかない感情がマッギニス補佐にもあるとは思えなくて今までその可能性を無視していたが。
もう、どうにでもなれ、とやけくそな気持ちで俺は答えた。
「皇太子殿下に命令されたから」
「それでよろしいかと存じます」
その言葉に思わず安堵のため息を漏らした。 椅子に座っていたおかげで膝が崩れ落ちるという無様を見られずに済んで助かったぜ。
「あれ、待てよ。 それだと俺の最初の答えってみんな当たっていたんじゃないの?」
「その通りです」
「その通りって。 そんならそうと、なんですぐ言わないのさ! 黙っているなんて底意地悪いだろ!」
性格円満で知られる俺が珍しく大声でなじった。 もちろん言い終わったと同時に後悔した。 大きな声出してごめん、と謝るべきかどうか迷っていると、俺の乱暴な言い方を気にした様子も見せず、マッギニス補佐が言う。
「全問正解と申し上げた所で大隊長の自信のなさはなくなりません。 此の度、大隊長は一般の者には大変信じ難い経験をなさいました。 大隊長が空を飛んでいる所を実際見た者にとってさえ我が目を疑うような。 事実をそのまま語った所で信じる者と信じない者にはっきり分かれます。
今日、明日中にも皇王庁からの公示が将軍のお手元に届くでしょう。 大隊長が皆に告げる話がその公示と全く違ったものであったとしても何も問題はございません。 誰もが、本当の事は言わないように上から命令されているのだ、と思うからです。
しかも皇王庁からの発表は大隊長がおっしゃるそのままと思ってまず間違いありません。 失敗したのならともかく成功したのですから。 この任務が皇太子殿下より下されたものであった事を大々的に公表するはずです。
大隊長に欠けていたのは真実を語る者にあるはずの正々堂々とした態度のみ」
何だか納得いったような、いかないような。 それでもマッギニス補佐にそう言われたおかげで見たまま経験したままを語っていいのだ、という不思議な自信が芽生えた。
間もなくマッギニス補佐の予想通り皇王庁から以下のような発表があった。
『瑞兆のお告げありき。
「六頭殺しの若」ことサダ・ヴィジャヤン北軍大隊長は皇太子殿下御下命を拝受し、大峡谷へと赴けり。 神聖なるウェイザダ山脈にて瑞鳥と邂逅の上、見事皇都へと伴う。 勿体なき天よりの恩寵。 これをもって新皇王陛下戴冠及び皇国振興予言の成就と為す。』
それを聞いた時なぜか突然、マッギニス補佐は案外俺を気に入っているのかもしれない、というとんでもない考えが頭をかすめていった。 俺を散々振り回すのは、ロックが空中でぶんぶん俺を振り回してからかった態度と似てるような? そう考えるとロックの鳥らしくない思慮深い瞳がマッギニス補佐の瞳とそっくりな気がしてくる。
ふうっ。 寝不足の所為だな。
空の旅はきつかった。 寝不足は体によくないっていう、いい証拠だぜ。
今日は早めに寝る事にしよう。




