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弓と剣  作者: 淳A
瑞兆
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後悔  猛虎の話

「グゲン侯爵家より派遣されて参りました執事、シエ・ボーザーと申します」

 ぼさっとした風貌の男がそう自己紹介したのを聞いて、何だ、こいつは、とまず思った。 侯爵家執事には到底見えない。

 グゲン侯爵家に滞在していた時に家令と名乗る奴に会ったが、そいつはいかにも侯爵家家令という威厳に満ちあふれていた。 公侯爵家だけじゃない。 伯爵家の家令にも随分沢山会ったが、どいつも貴族の家政を司るだけあって、びしっとした感じの隙のない奴ばかりだった。 家令でさえ俺は上級貴族に仕えているんだ、お前如きと一緒にするな、と言わんばかりの尊大な態度を見せていた。 執事なら家令の上司だろ。 普通は上に行けば行くほど尊大度も上がるもんじゃないのか?


 まあ、侯爵家ともなれば奉公人の数だって相当いる。 俺が世話になったのは皇都の侯爵邸、つまり別邸だ。 グゲン侯爵領は豊かな穀倉地帯にあり、そこには皇都の邸宅の三倍の広さの本邸があるって聞いた。 皇都以外にも別邸がそっちこっちにあるらしい。 侯爵家なら執事が数人いても不思議じゃない。 こいつはおそらく分家か辺地の別邸から来たんだろう。 何百人も雇っていれば中には出来が悪い奴だって一人くらいはいるはずだ。 親戚に泣き付かれて雇ったとか。 そもそもそれが理由で北に左遷させられたのかも。


 ボーザーは侯爵から俺達の新居を買うよう命じられて来たらしい。 こんな昼行灯がとろとろ見て回っていたら一週間や二週間で終わるはずがない。 最低でも一ヶ月は滞在する事になるだろう。 どうやら懐具合が寒いようで、そいつは困り果てた顔をしている。

「もしよろしければ、タケオ大隊長がお住まいになっていらっしゃる庁舎の一部屋をお借り出来ないでしょうか?」

 大隊長に昇進したおかげで庁舎の最上階全てが俺の住まいとなったが、俺には執事も従者もいないから空き部屋だらけ。 来客用の宿舎は別にあるが、そっちに泊まると金がかかる。

 細かい事は言いたくない。 一応婚約者の家から来た執事だ。 ちゃっかりしてやがるとは思ったが、左遷させられて来た最果ての地で他に頼る者もいないんだろうし。 好きにすればいい、と放っておいた。


 それはいいが、居候のくせにこいつは縦の物を横にもしない横着者だった。 飯と宿をただにして貰っているんだから、お礼に掃除や洗濯をしてくれるのかと思えば、そんなものは執事のする事ではございません、ときた。

「じゃあ誰がする。 俺にお前の洗濯までしろと言うのか?」

「大隊長ともあろう御方になぜ従者がいらっしゃらないのでしょう?」

「余計なお世話だ。 そんなものは好かん。 俺は誰かに周りをうろちょろされるのが大嫌いなんだ」

「そこの辺りをわきまえた従者を雇う事ぐらい簡単です。 実は心当たりも一人おります。 この機会に是非、従者を雇われますように」

「なにがこの機会、だ。 俺は今までずっと一人で全てやってきたんだ。 どうして今更従者なんぞを雇わなきゃならない?」


 そうは言ったものの、実はかなりのやせ我慢が入っていた。 中隊長に昇進した時、任せられたのはたったの三個小隊。 責任が重くなって忙しいと言えば忙しくなったが、その内訳は今まで俺が小隊長をやっていた隊をウェイドが引き受け、その他にデュエインとタマラの小隊が俺の直属の部下になっただけ。 だから小隊五十人の面倒を見ていた時より楽になったくらいだ。

 ウェイドとデュエインは小隊長になって日が浅いから知らない事も多かったが、そこはタマラが教育係を買ってでてくれたし、俺の補佐には何かと頼りになるモイが付いてくれた。 モイは百剣でもあるから稽古関係の連絡も卒なくこなしてくれたし。

 隊員も百剣か、百剣を目指す者がほとんどで、気心も知れている。 平民の俺が中隊長になったからって反感を持つ奴はおらず、気楽だった。

 住む所も一般兵舎の三部屋をもらい、一人で使っていたから使っている部屋だけ掃除すれば済んだ。 食事は食堂か外食。 洗濯は洗濯屋がいるし、偶に買い物をする事はあるが、御用聞きに注文すれば届けてくれる。 大した手間じゃない。


 だが大隊長となると、そうも言ってられない。 どの大隊もそうだが、トーマ大隊長の隊も十個中隊ある。 各中隊五百名。 各中隊は十個小隊を抱える、総勢五千人の兵士の指揮をするのだ。 中隊長の名前なら全員知っていたが、小隊長では名前と顔が一致しない奴がかなりいた。 平の兵士ともなれば名前も知らない奴ばかり。 部下を知るには会って話を聞くのが一番だが、五千人と面談している時間なんかない。

 今はまだトーマ大隊長がいらっしゃる。 俺が何から何までやらなきゃいけない訳じゃないが、それでも大隊長心得、法律手続き、軍の機構の詳細、予算、人事。 とまあ、知らねばならない事は山ほどある。 他の大隊長への挨拶回りもしておかなきゃまずい。 部下の昇進や移動には全て俺の承認がいるし、それには誰がどんな評価を下しての結果なのかを知らずにやる訳にはいかない。 せめて直属の部下である中隊長達とは面談しておかなければ名前を知っているだけじゃ不十分だ。

 実務能力に優れたポクソン補佐が交通整理してくれているおかげで稽古の時間だけは確保出来ている。 しかし会議だのなんだの予定もぎっしりと詰め込まれているから、どうしても掃除や細かい所にまで手が回らない。 住んでいる場所も広いし、服だって大隊長儀礼服となると相当煌びやかだ。 普段着の軍服でさえ手洗いで済むような代物じゃない。 だがあまりに忙しくて服を洗濯屋に持って行ってる暇もなかった。


 妙な所には手回しのいいボーザーが、俺に連れて来いと言われた訳でもないのにロゼゴーテという従者候補を連れて来た。 試しに一ヶ月程雇われてみては如何でしょう、と言う。 仕方なしに頷いた。

 確かに従者がいるといないとでは大きな違いがあった。 朝稽古の後は庁舎に一旦戻ってから着替えていたんだが、道場に着替えを用意してくれている。 だからその場で着替え、仕事に直行出来る。

 今までは朝飯と言えばりんごや干し芋をかじって終わりだった。 それがきちんと三食腹にたまるものを用意してくれていている。 会議や面会が長引けば昼飯や夕飯を諦める事もしょっちゅうで、大分痩せたんだが、体重が前に戻った。 ロゼゴーテが適当な時間を見計らい、弁当やつまめる物を差し入れてくれるからだろう。 ちゃんと食べているおかげでよく眠れ、疲れもたまらない。

 道着や服も洗濯され、タンスに整頓されて俺が着るばかりになっているし、とても人を呼べるような状態ではなかった自室やほこりの山だった道場の師範控え室も、ごみは捨てられ、いつも掃除が行き届いている。 二人分の仕事を文句も言わずにこなす手際の良さには密かに感心した。 一番いいのが呼べばすぐ現れるが、呼ばれない限り現れないという気の利いた所だ。


 一ヶ月後、正式雇用としてもよろしいでしょうか、とボーザーに聞かれ、俺は頷いた。 そしたらちゃっかり、もう二人雇いやがった。 何でそんなに何人も雇うんだ、と文句を言ったら、結婚式の準備のための臨時です、と言われた。 それなら頷くしか無い。


 二月になって、ボーザーはサダの家並の豪勢な家を買ってきた。 さすがに黙っていられなくて、こんな貴族みたいな家に住めるかと怒鳴ったんだが、ボーザーはしれっとした顔で、奥様好みの家を買わせて戴きました、と返答する。 業腹だったが自分が金を出した訳でもないし、どうせあっちの家だ。

 と思っていたら、御署名下さい、と書類を差し出す。 よくよく見ると家の名義が俺になっている。

「なんだ、これは。 どうして俺の名義になっている」

「侯爵様より持参金代わりとして戴いた家ですので」

 さすがに頭に来て怒鳴ってやった。

「俺からは結納金も化粧料も出していないのに持参金だけ受け取れるか! 辞退すると侯爵に伝えろ!」

「グゲン侯爵家は既に結納金五百万ルークを受け取っておられます」

「ご、五百万? そんな金、一体どこから手に入れた?」


 そこでボーザーはおもむろに懐から分厚い紙を取り出し、失礼ながら敬称を省略させて戴きますと言って名前ともらった御祝儀の額を読み上げ始めた。


「以下の皆様からは百万ルークを頂戴しております。

 皇太子殿下。 北軍。 ヘルセス公爵。 ヴィジャヤン伯爵。 サダ・ヴィジャヤン大隊長御夫妻。 北軍百剣連名。 第一駐屯地商店街連合会。 オークギルド連盟。


 五十万ルークを頂戴した皆様。

 ダンホフ公爵。 マッギニス侯爵。 ボルダック侯爵(グゲン侯爵夫人の御実家です)。 ミッドー伯爵。 先代ヴィジャヤン伯爵御夫妻。 ジョシ子爵(先代ヴィジャヤン伯爵夫人の御実家です)。


 尚、十万ルーク戴いた所は現在までの所、合計七十五家。 それ以下の金額は五百十六家となっております。 続けて読み上げますか?」


 俺はその名簿を見せてもらった。 知っている家の名前もあったが聞いた事もない名前の方が多い。

「皇太子殿下を始め、グゲン侯爵家に直接届けられた御祝儀がかなりございまして。 その内五百万ルークは旦那様からの結納金としてお受け取り下さるよう申し上げました。 又、御祝儀を戴いた所にはこちらから既にお礼状の発送をしております。 ですが式当日に下さる方々もいらっしゃるでしょうし、郵送の関係で式の後、頂戴する事もあるかと存じます。 それらに関しては後日改めて報告させて下さい」


 驚きのあまり呆然とした俺はボーザーの報告にただ頷くしかなかった。 自分でさえ結婚を知ってからそんなに時間がたっていないのに。 なんでこんなに沢山の祝儀が集まっているんだ?

 額に驚いたのか数に驚いたのか。 それさえ俺にははっきりしなかったが、一つだけはっきりした事がある。 ボーザーだ。 昼行灯のように見えるのは外見だけで、中身は狐と狸を足して三を掛けた奴だった。 


 名簿には受け取った金額と祝い品の目録、及び礼状発送の有無が明記されている。 普通これだけ巨額の御祝儀を受け取ったのに本人に黙っているなんてあり得るか? そのうえ俺に一言の相談もなく、その使い道を決めるという図太い神経。 百剣の上級者だって震え上がる俺の怒りを柳に風と受け流すなど、信じられん奴だ。 いや、流石グゲン侯爵家執事と言うべきなのか?


 それはともかく、サダからも祝儀を貰っていたとは知らなかった。 ヴィジャヤン伯爵と先代伯爵からも貰っているのに。 お前にまで貰ったのでは三重取りだ、と返そうとしたのだが、俺はもう、独立した一家の主人です、と胸を張られてしまってはそうもいかない。 子供も産まれるし、あいつだって色々物入りだろうに。 ボーザーが出産祝いをはずまれては如何でしょう、と言うので取りあえず受け取ることにしたが。


 そして新居が決まり、早速家の模様替えや家具の搬入が始まった。 それを見ても本当に自分が結婚するという実感が湧かない。 そりゃ祝儀も祝いの品も山のように貰っているし、ボーザーとポクソンが式に向けていろんな手配をしている事は知っている。

 サダは俺と侯爵令嬢が相思相愛だなんて言ってたが。 それも今一つ信じられないのだ。 侯爵令嬢から婚約が決まってとても幸せです、とかなんとか書いてある手紙は貰った。 これは本音なのか?

 剣を振り回すしか能のない平民に貴族の娘の気持ちなんて分かりようもない。 いや、貴族でなかろうと女の気持ちなんて俺には分からん。 来年の天気も同然だ。

 たとえ北の猛虎という名前に憧れてこの結婚に承諾したのだとしても、実際暮らしてみれば汗臭い野蛮人。 これでは話が違う、と三日で逃げ出すんじゃないのか?

 まあ、そうなったらあの腹黒なボーザーも一緒にいなくなる訳だ。 気に入らない奴とは思ったが、ちょっとの間の辛抱ならわざわざ事を荒立てるまでもない。 それでそのままにしていた。


 日にちは容赦なく過ぎてゆく。 三月も半ばを過ぎた頃、侯爵令嬢ヨネが本当に北に到着した。 ボーザーが選んだ新居をとても気に入ったようだ。 その礼を俺に言われるのはこそばゆいが。

 俺を喜ばそうと、ヨネは一生懸命だ。 ただ男を喜ばせるなんてやった事がないのは一目瞭然で、俺は思わず兎がでかい樽をしょって、坂道をうんしょうんしょと登っている様を連想しちまった。

「侯爵令嬢のくせに変わった奴だ」

 その呟きをボーザーが聞きとがめた。

「旦那様は平民のくせに、と言われるのがお嫌だったのでは? 御自分がされてお嫌な事を奥様になさるのですか? 侯爵令嬢としてお生まれになったのは奥様の咎ではないはず」


 悔しいが、ボーザーの言う通りだ。 ヨネの事は最初から気になっていたが、貴族だからという理由でヨネに会うのを避けていたんだ。

 女に誘われた事なら数えきれない程あるが、ヨネだけは自分から誘いたいと思った。 なら何を遠慮する必要がある。 身分違いをあれ程心配したサダとリネだが結構幸せに暮らしているじゃないか。 サダはリネを慈しみ、リネはサダを思いやって。 二人とも世間とか身分とか気にかけている様子はない。 


 俺はヨネが眠ってから帰宅する事を止めた。 仕事を家に持ち帰る事はあっても必ずその日ヨネが何をしたか、何か困った事はないかを聞くようにした。 そのおかげか、結婚後三日経ってもヨネに荷物をまとめて出て行く様子は見えない。


 ボーザーは何かと言えば奥様がお喜びになりますから、ああしろこうしろと一々口出ししてくる。 煩わしいが、ヨネに忠義なためと思えば我慢も出来た。 ヨネが俺に愛想を尽かして出て行くまでは夫として出来るだけの事をしてあげたいし。 彼女がいる以上、グゲン家執事を蹴り出す訳にはいかない、と。


 周りの連中には最初から俺の執事だと自己紹介していた、と知った時には結婚後数年経っていた。 初対面の自己紹介を正確に言うなら、グゲン侯爵家より(タケオ家の執事として)派遣されて参りました、シエ・ボーザーと申します、だった訳だ。

()内を意図して省く小賢しさ。 省いてはいても嘘はついていないというのがまた、尻尾を容易に掴ませないあいつらしい。

 やる事なす事、全てボーザーの手の平の上で踊らされているようで面白くないが、今更蹴り出そうにもボーザーは金の出し入れから家に関する事全てを采配している。 いなくなられたら困るのはこっちだ。


 因みに、どんなに爵位が上がろうと執事は一家に一人しかいないものなのだそうだ。 つまりあいつがいる限り俺は他に執事を雇えない。 俺の執事だなんてそんなふざけた事をぬかす奴と知っていたら初対面の時に迷わず蹴り出していたんだが。


 後悔先に立たず、とはよく言った。


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