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弓と剣  作者: 淳A
瑞兆
141/490

ぬいぐるみ  リネの話

 旦那様が生まれて来る赤ちゃんにオークのぬいぐるみを買って来てくださった。

 特売だったんだぜ、と嬉しそうにおっしゃる。 ちょっと気が早すぎるんじゃないの、とは思ったけど、ありがたく受け取っておいた。 別に腐るもんじゃないし。

 赤ちゃんが生まれるのは七月半ばってメイレさんが言っていた。 今はようやく一月半ば。 だから生まれるまで後半年ある。

 それに生まれたからって赤ちゃんがすぐにぬいぐるみを欲しがるわけじゃない。 そんなもので遊ぶようになるのは二歳くらいからでしょ。


 真冬でも毎日弓の稽古に行く事を怠らない旦那様だけど、買い物とかは苦手でいらっしゃる。 何かを買う目的があるのでもない限り、町にお出かけになるなんて滅多になさらない。 偶に矢を買いに行くとか弓の修理に行くくらいで。 なのに赤ちゃんが出来たと知った次の日、玩具屋さんへ飛んで行った。

 ほんと意外。 こんなに子煩悩だったなんて。 そんな風にはちっとも見えなかった。 じゃどんな風に見えたら子煩悩なんだ、て聞かれても答えられないけど。


 でも英雄で、しかもすごい美男子な人が子煩悩だなんて。 何だか信じられないよね?

 私なんか旦那様には愛人も子供もいないと聞いた後でも、その内出来るんだろうな、て覚悟してた。 そして子供が何人も生まれたって、みんな放っておかれるんだろな、て。 私が産んだ子供だけじゃなく誰が産んだ子供でも。

 大体、英雄がぬいぐるみを買いに走るとか、ちょっと想像出来ないじゃない?

 英雄色を好むとかなら聞くけど。 子育てに熱心な英雄がいるだなんて聞いた事ないし。


 だけど旦那様は正真正銘の英雄だよね。 オークを殺しただけでもすごいのに、その後も皇太子様から二回もお礼状貰う大活躍したんだって聞いた。 大隊長に昇進したのも皇国最年少。 歴史に名前が残るくらいのすごさなんだってトビが言っていたし。

 ただの人気者って訳じゃないんだよ。 大峡谷の向こう岸に矢が届いたのも今まで誰もやった事がなかったんですって。 私には行った事もない場所だけど行くだけでもすごく大変らしい。 よく分かんないけど、とにかく旦那様がすごい英雄なのは間違いない。


 そりゃ毎日一緒に暮らしていれば一々すごいって感心したりはしないけど。 我が家の壁にはいろんな大きさの弓が掛けてある。 好奇心で、一番軽そうな奴を引き絞ろうとした事があるんだよね。 私だって女とは言っても男に負けないくらいの力がある。 だけど顔が真っ赤になるぐらいがんばってもその弓はびくともしなかった。 なのに旦那様にとってその弓は速射用なんですって。 軽いから。

 今更だけど、さすがは六頭殺し、て感心しちゃった。 おまけにかっこよくて若くてお金もあって、しかも貴族。 三拍子も四拍子も揃っているんだもの。 英雄でなくたって女に騒がれるでしょ。


 現に旦那様の所には愛人希望の女性がそっちこっちから来ているらしい。 自宅には来ないけど、軍の方には偉い方からの紹介状付きで美人が毎日のように訪ねて来ているんだとか。 なのに全部お断りしているんですって。 少なくともフロロバさんはそんな風にトビに報告していた。

 もしかしたら私に内緒で他に愛人を作っているのかもしれないけど、旦那様は毎晩家にお帰りになる。 て事は、愛人と会うのは日中しかないでしょ。 だけどそんな様子はどこにもない。

 旦那様は弓のお稽古を毎日なさるから、とてもお疲れになってお帰りになる。 ものすごく沢山汗をかいた事が分かる下着で。 それに冬の間、旦那様はシャツや股引を何枚も重ね着なさるんだよね。 人に着替えを手伝ってもらうのが嫌なんだとか。 それで全部御自分で身支度なさるから時々後ろ前や裏表で着ちゃう日があったりするの。 そんな日でも着ていた下着の順番や裏表が朝と夕方で違っていた事はないから。


 最初の頃は私に気を遣ってお相手を遠くの町に住ませているのかなとか、みんな知っていても黙っていてくれているのかも、と考えていた。 どうしても気になったものだから、ある日何かの話のついでに、そんな疑問をぽろっとリイ兄さんに零した事があったんだよね。 そしたら言われたの。

「六頭殺しの若の妻ともなれば相当の苦労を覚悟しろ。 但し、あいつは飲む、打つ、買うはしない奴だ。 浮気もあり得ん。 そこら辺は安心していい」


 飲む、打つ、買う、浮気もしないって。 なら他にどんな苦労があるの? お金じゃないでしょ。 旦那様がいくらお給金もらっているんだか私は知らないけど、家がぽんと買えるんだもの。 そりゃどんなに沢山お金があったって使い切っちゃえばなくなるのがお金だけど。


「苦労って。 例えば何? お金?」

「いや、あいつはしこたま金を持っている。 ケチでもない。 お前や奉公人のためなら惜しまず使うだろう。 自分には使わなくてもな」

「じゃ、義母にいじめられるとか?」

「それもおそらくない」

「他にどんな苦労があるって言うの?」

「分からん。 だが俺は苦労している。 俺でさえ苦労しているんだ。 妻が苦労しないはずはない」

 それってどういう意味なんだかよく分からなかった。 リイ兄さんは旦那様の上官じゃないから部下が優秀過ぎて苦労している、て訳でもなさそうだし。

 まさか家を買うのに有り金を使い果たした? リイ兄さんは、しこたま金を持っていると言ってたけど。 心配になってトビに聞いた事があったの。 そしたら、そんな事はございません、と言ってたし。 旦那様はお金に関してあまり詳しくないみたいだけど、トビがそう言うなら大丈夫でしょ。 それに旦那様が無駄使いしている所を見た事なんてない。 オークのぬいぐるみだって特売じゃなかったらたぶん買わなかったんじゃないかな。

 下着だってシャツや股引に穴があいているのにそのまま着ているのにはびっくりした。 勿論私がすぐに繕っておいたけど。 貴族の若様ならシャツとか穴があいたら捨てるんだろうな、て思っていたのに。

 ただ、あんまりぼろっちいのをしつこく着ようとするのはちょっと。 それは旦那様に内緒で雑巾におろさせてもらったけどね。


 旦那様って、ほんとに意外の塊って言うか。 そう言えば初めてお会いした時もびっくりしたなあ。 皇都からいつ帰って来るか連絡なんて何もなかったから、あの日私はいつも通りに剣の稽古と洗濯を終わらせて、次は掃除をしようとしていたんだよね。 すると馬が到着した音がしたから誰だろうと思って玄関に行ったの。 そしたらトビが既にドアを開けて深々と一礼していた。

「お帰りなさいませ、旦那様」

 その人は家に入ると大きな声で、ただいま、とおっしゃった。 そしてすー、はーと息をついてから、夫のサダだ、よろぴくな、なんだもの。

 あんまり驚いたものだから私までよろぴくお願いします、とか言っちゃって。 後ですごく恥ずかしかった。 

 だけどなんとなく分かったんだよね。 この人は私に会って緊張しているんだ、て。

 皇国の英雄ともてはやされるお方が農家の娘の前で頬を染めて。 それを見ただけでとても幸せな気分になっちゃった。


 緊張していたと言っても、さすがは旦那様。 やる事がすばやいって言うか。 有無を言わせないんだよね。 夫婦の部屋が二階の奥と聞くやいなや、私をひょいっと片手で子供抱きして部屋に連れて行った。 会えて嬉しいとか、長々待たせてごめんね、とかおっしゃるから、何かもっとお話なさるのかと思ったら、そこでいきなり疲れた! なんて見え透いた嘘ついて。 夜でもないのに、ぱっぱっぱっと服脱いじゃうし。

 旦那様がすごく焦っているのが伝わって、私ってば、ひょっとして明日にはまたどっかにいっちゃうのかも。 なら旦那様の気が変わらないうちに、とか思っちゃって。

 終わった後で、休暇のお許し貰ったから、当分仕事に行かなくてもいいっておっしゃるのよ。 それなら何も真っ昼間から始めなくてもいいのに。

 それにあそこまで何にも知らないだなんて、ありえないんじゃない? 私が大丈夫ですって言ってるのに、血を見た途端焦りに焦った旦那様はメイレさんを呼びに飛び出して行った。 すぐにフロロバさんの盛大な笑い声が二階まで響いて来て。 ちょー恥ずかしくて死にそうだった。 夕飯の時、誰もからかわずにいてくれたから助かったけど。


 まるで昨日起こった事みたいな感じがする。 でも数えてみれば旦那様がお帰りになってから、もう三ヶ月も経っているんだよね。 毎日があっと言う間に過ぎていっちゃう。

 私は子供部屋で我が子に抱かれる日を静かに待っているオークのぬいぐるみに、二年なんてすぐだよ、と言ってあげた。


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[良い点] 周回中です >「だが俺は苦労している。 俺でさえ苦労しているんだ。 妻が苦労しないはずはない」 なんだかじわじわと面白いw 師範ww苦労されてるんだねww 新妻を前に緊張してる若いい…
[良い点] 周回中です >「だが俺は苦労している。 俺でさえ苦労しているんだ。 妻が苦労しないはずはない」 なんだかじわじわと面白いw 師範ww苦労されてるんだねww 新妻を前に緊張してる若いい…
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