根回し 弓部隊小隊長達の会話
「よう、どうだった、六頭殺し」
今日、若が流鏑馬をやるというので、弓部隊の小隊長であるナタンゾン、スパルヴィエリ、オスタータグが三人で見に行った。 俺も弓部隊の小隊長だから是非見に行きたかったが。 予算調整の締め切りが迫っていて、仕方なくオンスラッド中隊長執務室で仕事をしながらみんなの帰りを待っていた。
帰って来た三人の顔を見れば明らかに興奮している。 俺に急かされるまでもなく、見て来た事を口々に語り始めた。
「この弓であそこまでやれるとは。 信じられん」
感嘆のため息と共にナタンゾンが差し出したのは軍の備品の短弓だ。
大概の事には驚かないスパルヴィエリが首を振りながら、いやはや、まいったと繰り返し言う。
まるで天に礼拝するかのように両手を空にあげ、オスタータグが締めくくった。
「参りましたってやつだ」
オンスラッド中隊長と私は思わず顔を見合わせた。
「ほう?」
「ふうん?」
「流鏑馬で十的、全部命中させやがった。 フォームはめちゃくちゃだったが」
スパルヴィエリの言葉に、オスタータグが深く頷きながら自分の憧れの弓の射手の名前を出した。
「ダラガーの再来ってやつ」
「それ以上だろ。 ダラガーは十的命中を生涯に三度やったと聞いているが。 つまり毎回命中した訳じゃない。 あいつは、もう一回やって見せてくれ、と言われたら、はい、と答えて、全的命中。 もう一回と頼まれて、はい。 で、全的命中だ」
ナタンゾンがそう言い返すと、憧れのダラガーを少しでも貶そうものなら烈火の如く怒り出すオスタータグが素直に頷いた。 これには驚いた。 それだけでも若の弓の腕前がいかに並外れたものであるかを物語っていると言える。
オンスラッド中隊長と俺は無言だ。 オンスラッド中隊長は、俺もだが、確かにオークは仕留めたんだろうが、何か裏がある話では、と疑っていらした。 それだけに素直に驚く事が出来ない。 仮に掛け値なしの偉業だったとしても、ずば抜けた才能がある奴は性格に問題がある事が多い。 北の猛虎のように。
三人は興奮した早口で続けた。
「しかも使い慣れた自分の弓矢じゃない。 ほれ、と渡されたこれだ」
「天性の勘、なんだろうなあ」
「びんびんびんと弦、弾いて。 一回、二回、試し射ちで矢の流れを見て。 じゃあ、て馬に乗って、ばん、ばん、ばん」
「ほんと、いるんだな。 あんなやつが」
「従者はどうだった? オークは二人で仕留めたんじゃないのか?」
俺がそう質問すると、オスタータグが答えた。
「いや、あいつは弓に関しては素人だ」
「ほんとか? わざと下手なふりしているんじゃないだろうな? 主に花を持たせるために」
スパルヴィエリがすかさず口を挟む。
「あ、それはない。 風呂で若と従者の背中を見比べりゃ分かる」
「背中?」
「ああ。 弓をやると背中の筋肉が発達するだろ。 若の背中、ありゃあ少なくとも十年は射込んでいるね。 すらっとしているから服の上から見ただけじゃ分からんけどな。 従者の方はいい足をしている。 走らせたらかなりいけるだろう。 だが弓はやった事はないか、やったとしても初心者だ」
「細かい事はともかく、若を弓部隊に引き抜くしかない」
オスタータグの言葉にナタンゾンが力強く何度も頷いた。
「もちろんだ。 あれを引き抜かず、誰を引き抜けっていうんだ」
「だけど若は北の猛虎に憧れて入隊したんだろ。 あっちに持ってかれるんじゃないか?」
俺の言葉に三人が同じ様に手を振った。 どうやら若の剣の稽古も見てきたらしい。 スパルヴィエリが言う。
「剣の方は、並だ、並。 長年訓練すりゃいつか中の上まで行くかもね、てとこ。 弓の方は不世出の才能だぜ」
オスタータグが身を乗り出す。
「北の猛虎の弓バージョンだっ!」
それにナタンゾンとスパルヴィエリが深く頷く。
「そう、そう」
「下手に剣の稽古なんかやらせて腕に怪我をしたらどうする。 そんなバカな真似をさせる訳にはいかん。 タケオには俺からナシつけとくし」
どんどん話が進みそうだったが、そこでオンスラッド中隊長がおっしゃった。
「稽古免除はどうにでもなるだろうが。 本人が希望したのでもない限り弓部隊への引き抜きは難しいと思うぞ。 伯爵家の正嫡子だ。 本人の希望を優先するように、と将軍のお声がかかったら、私は勿論、トーマ大隊長でも覆す事は出来ない」
「「「……」」」
「根回し、いるな」
俺の言葉に全員が無言で頷いた。 ナタンゾンがオスタータグの脇をつつく。 根回しの腕にかけてはオスタータグの右に出る者はいない。
「おい、出番だ。 頼んだぜ」
「む。 しかし将軍まで納得させるとなると、トーマ大隊長に話を持って行くだけでは不十分だ。 ジンヤ副将軍に渡りをつけておかん事には」
「あの方に貸しがあるやつ、とか?」
オスタータグなら第一駐屯地で誰が誰に貸し借りがあるという情報にも詳しい。
「あー。 いるかもな」
「持ち駒、使い時だぜ」
オスタータグが、よしっとばかりに立ち上がり、俺に聞いてきた。
「わあってるって。 ところでちゃんと本人の了承、取ってあるんだろうな」
「え?」
「え、じゃねえ。 普通の新兵じゃないんだぞ?」
「ああ、そ、そうだな。 おし、話しておく」
「「「……」」」
オスタータグが不安げな顔をして言う。
「大丈夫なんだろうな、ソノマ。 おまえ、あいつの実家、知らんだろ」
「実家がどうした」
「ヴィジャヤン伯爵家といえば西の名家だが、皇都でも結構名が売れている。 俺が知っているぐらいだし」
「ああ。 ヴィジャヤン伯爵って外交のやり手なんだろ? 皇王陛下の覚えもめでたいとか、聞いた事あるぜ」
ナタンゾンの言葉にオンスラッド中隊長が付け加えた。
「下手な侯爵家より影響力があるのは間違いない」
「しかも将軍の後ろ盾付きだ」
「はあ。 本人に偉ぶった態度がねえから、つい、な」
俺のぼやきに、みんなが同意した。
「ま、そうだよな」
「頭の回転は良さげなのに余計な事はしゃべらんし」
「おまけに礼儀正しい。 まっすぐに俺の目を見て、よろしくお願いします、だとよ。 実にいい目だ」
「ほんとに伯爵の息子かと思うぐらい普通っぽいしな」
スパルヴィエリの言葉にオスタータグがくすっと笑って言った。
「そういえば軍の飯、うまそうに食っていたなあ」
「まずくて食えねえとか、コックを連れて来る貴族の方が普通っていうのにな」
「貴族クラブに招待されても出席していないし」
訝しげな顔をしてスパルヴィエリがナタンゾンに聞いた。
「なんで平民のお前が知っている?」
「俺の小隊にはなんたら侯爵の次男だか三男だかがいるからな。 そいつがクラブに行ってる時間に若の部屋に行ったら一人で柔軟やっていたんだ。 で、流鏑馬に誘った、て訳」
「そうそう、狩りに連れてってやると言ったら、にこにこ笑ってここら辺ではどの肉が一番おいしいですか、やっぱり鴨ですかね、とか聞いてくるし。 シシ鍋とか教えたら、よだれ垂らしていたぜ」
俺がそう言うと、ナタンゾンがつぶやいた。
「庶子、とか?」
オスタータグが慌てて警告する。
「バカ。 冗談でもそんな事言うなよ。 タマラにブッ殺されっぞ。 憧れの伯爵夫人にそっくりな瞳の若を侮辱した、とかで」
スパルヴィエリが頷きながら付け加えた。
「あいつ、若が赤ん坊の頃、おしめを替えたって自慢してたもんな。 そうそう、」
もっと下らん事をしゃべりそうな様子のスパルヴィエリを遮り、俺はオスタータグに向かって言った。
「ちっ、そんな事はどうでもいい。 それより根回し、しくじるんじゃねえぞ」
俺の言葉にオスタータグがふんと言い返す。
「そっちこそ。 本人にへそを曲げられねえようにな」
俺はどん、と胸を叩いて請け合った。
「任せとけ」