夫の勘
玄関近くの窓から外を見たが、そこには誰もいない。
「旦那様。 どうかなさったんですか?」
そうリネが聞くので俺は首を振りながら答えた。
「うーん。 この家に向かって歩いている男がいたんだ。 そいつがもうすぐ来ると思ったんだけど、来ないからさ。 変だなあっと思って」
「家を間違えたんじゃないんですか?」
「そんなはずないだろ。 この付近に俺以外の家はないんだから」
そもそも俺の家に続く道は一本道で途中に俺以外の家はない。 かなり長い私道だから本道から曲がる前にこの先にあるのは誰の家か、聞かないはずはないんだ。
もっとも誰にも聞かなくたってここは六頭殺しの若の家としてみんなに知られているが。 小高い丘の上にあって遠くから見えるし。 ヴィジャヤンは北では珍しい名前だし。
もしこの家に自分の知り合いが住んでいると思い込んで来たのなら、まず家の扉を叩いて、誰それはいませんか、と聞いてから引き返したはずだ。 家に立ち寄らずに引き返したのは、何か別の理由があったに違いない。 リネも家を間違えたって事はあり得ないと気付いたようだ。
「六頭殺しの若に憧れた北軍入隊希望の人で、家だけでも見たかった、とか?」
「うーん。 だけど入隊希望者にしては年を食い過ぎていたような。 たぶん三十に近いと思う。 少なくとも師範よりずっと年上だ。 それに農夫っぽい格好だった」
「でも旦那様って年上の方にかわいがられていらっしゃいますし、いろんな職業の人に人気がありますよ。 私だって元は農婦ですし。 私の村でも旦那様の人気はすごかったです」
そりゃ沢山の年上にかわいがられている俺だが、あれは俺の追っかけじゃない。 俺の夫としての勘が言っている。 あいつはリネを追いかけて、はるばる彼女の村からやって来たんだ。
何故それが分かるか? あいつの首にはクークラが巻いてあった。
リネの村付近にはクークラというふさふさした長いしっぽが付いている動物がいて、そのしっぽをマフラーにしたり、外套に着いたフードの周りに縫い付けたりしている。 俺もリネのお母さんからとても暖かいマフラーを一つ貰った。
この辺りでもクークラのマフラーを買おうと思えば買えるが、高い金を出して買う事になる。 金持ちとは言いがたい格好をした農夫が身に付ける物じゃない。 この近所に住む農夫ならみんな狐のしっぽとか羊皮を使った襟巻きをしているんだ。
どうしよう? リネにお前を追いかけて男が来た、と言うべきかな?
ううー。 言いたくないな。 なんか嫌だ。 それに言っても信じてもらえないような気がする。 何しろリネは天然だ。 自分が美人とか、もてるとか、これっぽっちも思っていない。 農家の娘なんだから誰の目にも留まらないとさえ思っている。
農家の娘だろうと侯爵の娘だろうと、美人は美人だろ。 かえって下手に爵位のある女性より農家の娘の方がずっと娶りやすい。 持参金目当ての男ならともかく、自分の金がある男ならあれこれ面倒な貴族の令嬢より平民でも気だての良い妻を選ぶだろう。 リネのような。
美人で気だてが良くて働き者で力持ち。 贅沢はしないし、明るくて健康で。 しかもうっとりするぐらい歌がうまい。
ヒーロンでは冷や汗をかいたけど、そのおかげでこんな三拍子も四拍子も揃っているすばらしい妻が手に入ったんだ。 しかも払った結納金は百万ぽっち。 俺の人生最大のお買い得と言える。
どうして今まで嫁に行かなかったのかリネに聞いたら、彼女の村では師範はすごく恐れられていて、そのあおりを食らったみたい。 師範の猛虎オーラという防壁があったおかげで誰もリネに近寄ろうとする奴はいなかったらしい。
ほんと師範様々だぜ。 そうでもなければリネのような美人は十五になるやならずやで嫁に貰われ、俺が結婚したくたって、とっくに子持ちだったろう。
リネも今では人妻だ。 結婚相手として男に狙われているとは思わない。 だけどリネは突然俺に攫われた。 ミルラック村には彼女を忘れられない奴がきっといる。 一人や二人どころではなく。 あいつはその中の一人だ。
リネは俺を出迎える為、待ちきれなくて外まで走り出て抱きついた。 あの熱い抱擁を見て諦めたか?
ふふん。 ざまーみろ、だ。 リネが二十歳になっても結婚の申し込みをしなかったのろまに今更何も言わせるもんか。
とは言え、リネの村からここまではかなりある。 ちょっと気軽に出かけてくるという距離じゃない。 リネにそれなりの、いや、かなりの執着があったと見ていい。
そう考えたら、何かむらむらと湧き上がってきた。
なんだろう? この気持ち。 いてもたってもいられないような。
俺は精一杯さりげなく、リネに聞いてみた。
「リネの村から友達が訪ねて来る予定とか、聞いてない?」
「え? 友達ですか? 今、男の人って言ってませんでした?
私に男の友達なんていませんよ。 まあ、女の友達ってのもいないですけど。 知り合いならいくらでもいましたけどね。 こんな遠くまで訪ねて来るほどの付き合いじゃないし」
それを聞いて内心ほっとした。 この分では相手はともかく、リネにその気は全然なかったようだ。 幸せ一杯なリネを見て諦めてくれたならいいが。 正攻法では無理、と考えて誘拐とかに走ったりして?
王女様でもあるまいし、リネの周りは警護で固められている訳じゃない。
いや、誘拐なんて、それはいくら何でも極端か。 でも一晩俺に付き合ってくれ、とか言うのはありそうじゃない? ちょっと話だけでも聞いてくれ、とかさ。 それって充分あり得るよな?
お前が忘れられないんだ、と言う男にリネもつい絆されたりして? そんなに私の事が好きだったのね、とかなんとか。
そりゃリネが浮気するとは思わない。 たださ、男ってのは本気になったら狙った女を簡単に逃したりしないもんだろ。 女にその気はなくても昔なじみだからと安心して付いて行ったら、無理矢理言う事聞かせようとしたりとか?
俺は段々不安になった。
「いいか、顔見知りだからって気を許したりするなよ。 絶対一人で男に付いて行ったりするんじゃないぞ」
「へ?」
「へ、じゃない! お前のような美人はな、男に狙われるんだっ!」
リネはげらげら笑い出した。
だめだこりゃ。 危機感ゼロ。
毎日カナに鍛えられているのは知ってるけど所詮は女の力だろ。 日頃鍛えているだけに私は大丈夫とか、安心しそうな所がかえって危ない。 後でトビにリネの警備の相談をするしかないな。
だけどその前に俺のむらむらを発散させておくか。 明るい内にやるのってリネは恥ずかしがるけど。
うくくっ。 そこがまた燃えるんだよな。 新婚の醍醐味ってやつだ。
俺は何も言わずに呑気に笑っているリネの手を取り、寝室に連れて行ってドアの鍵を後ろ手に閉めた。
「新婚」の章、終わります。




