青い花 デュガン侯爵の話
毎月少なくとも一度、多い時には二度、三度と開いていたデュガン侯爵家夜会だが、今月は一度も開いていない。
今月だけではなく、来月も再来月も。 夜会を開く予定はない。 開いた所で誰も来ない事が分かっている。
誰もが争って我が家で開かれる夜会の招待状を欲しがった。 それは既に記憶の彼方。 それ程昔の話ではないと言うのに。 今ではデュガンの名を口にするのさえ憚られる始末。
美しい歌姫、人気の俳優、話題の芸人が取り揃えられ、隣国にも名の知られた料理人が腕を振るうデュガン侯爵家夜会。 出席出来るだけでそれが一種のステイタスシンボルであった時期もあった。 人が集まれば商売の種が集まる。 夜会を開催するにはそれなりの金が掛かるが、掛けただけの見返りが常にあった。
いつか実る遠い未来の話ではない。 見栄や流行は人々の虚栄を煽る。 夜会に来る貴婦人、御令嬢は最新流行のドレスを纏うべく、競うように私の所有するドレス専門店や宝飾店で買い物をした。 どの店も人手不足で身元の詳らかでない者さえ平気で雇っていたが、今やどこも開店休業の有様。 赤字をこれ以上増やさないためには閉店せざるを得ない。
どこで間違えた。 知れた事。 皇太子殿下暗殺未遂事件だ。 あれに六頭殺しを身代わりに使った事がまずかった。
証拠はない。 だが疑いは残った。 広く、根強く。
囁かれる噂。 それが陰りの出始めだ。
あの時、若人気を底の浅い一過性のものと見誤りさえしなければ。
いや、暗殺未遂事件が起こる前ならあれは決して見誤りなどではなかった。 人が忘れるのは早い。 北ならともかく、オークを殺したぐらいで人々の心に長く残る偉業となったはずはない。 刺客三十二名を仕留める、という離れ業さえ続かなければ。
殺された刺客の中に有名人がいた事も大きい。 バンジは傭兵の世界では「裏将軍」というあだ名で知られ、その強さはほとんど伝説化していた剣の達人だ。 軍対抗戦近衛軍大将を務めた経験もある。 没落したバンジ侯爵家の継嗣であった事から「悲劇の貴公子」と呼ばれてもいた。
北の猛虎がどれだけ強かろうと裏将軍の敵ではない、と噂される剛の者。 矢切りとて朝飯前。 その彼が六頭殺しの矢で射殺されるとは。 さすがは、と更にサダ・ヴィジャヤンの名を上げる事になったのも無理はない。
皮肉な事に私が今生きているのは、あの時サダ・ヴィジャヤンの暗殺に失敗したおかげであるとさえ言える。 もし彼が殺されていたら皇太子殿下は廃嫡されたとしても、報復として私も殺されていたのではないか? それ程あの若者は深く広く愛されていたのだ。
徐々に私が出した招待状へは断り状ばかりが届くようになり、私への招待状など一通も届かなくなった。 起死回生の為には小手先のあれこれでは不十分と言うディーバの進言に間違いはない。
フェラレーゼの王女様を誘拐するのは危険な賭けだったが、お出迎えに北軍を使うという決定を引き出すのは難しい事でもなかった。 儀礼訓練をした事のない北軍がお出迎えをしくじるのは確実。 様々な思惑が絡み、失敗を望む貴族がかなりいた。
決定するのは皇太子殿下御自身か御前会議の面々。 念の為、私が欠席した日に決定されるよう仕組んでおいた。 私が裏で糸を引いていたと嫌疑がかかるはずはない。
だがここでも計算違いがあった。 北の猛虎を名指ししたのは彼の名前を出さなければわざわざ北軍に任せる理由がないからだったが、失敗すれば彼の首が飛ぶ、という危機感を持った者が少なからずいたのだろう。 北軍が総力を上げてこのお役目に取り組む事になった。
今までの北軍なら上級貴族や東への強い繋がりを持つ者はいなかった。 勘当されたも同然のマッギニスがいたぐらいでは、あのお役目を完璧に務める事など不可能であったはず。
しかしそこに叔父が東軍副将軍である六頭殺しと領地が東にあるヘルセスが加わった。 六頭殺しが入隊して以来、マッギニス侯爵が勘当したはずの次男の自慢をそちらこちらで吹聴するようになっていたし、東にいくらでも繋がりのあるヘルセスやヴィジャヤンが息子の苦境をただ傍観しているだけで終わらせるはずもない。
今回のお出迎えではマッギニスとヘルセスが動いただけではなく、カイザーも大掛かりな助力を惜しまなかったらしい。 彼らのお声掛かりがあったからこそ以前は大して北に縁のなかった東の貴族が我も我もと先を争って助力したのだ。
王女様の誘拐は中止するべきだった。 けれど王女様をヒーロンに呼び寄せる手紙は既に出し、お手元に届いている。 それが偽手紙である事をこちらの足がつかずに知らせる術はなかったし、あの時点では狂言誘拐を成功させる事は簡単なように見えた。 成功するはずだったのだ。 あそこにサダ・ヴィジャヤンさえいなければ。
あの誘拐未遂事件は常々北の猛虎の昇進を不快に思っていた貴族さえ激怒させた。 中隊長の地位を失うぐらいは起こってほしいと願っていた者達も、彼の首までは望んでいなかったのだ。 ましてや誰も狂言とは知らない。 誘拐が成功していたら必ずやフェラレーゼとの開戦は避け得ぬものとなっていただろう。 事の重大性は皇国中枢を震撼させた。
こちらはもう追いつめられている。 そこでディーバが画策した。
大審院の証人喚問を利用し、あの二人を地獄の門に送り込む。 さすれば王女様誘拐事件は恋に狂ったヘルセスが仕組んだと言わせる事も可能、と。 証言を残した後、証人は大それた事に加担した事を恥じて自決する筋書き。
そうすればヘルセスは皇太子妃殿下がヒーロンに到着する事を直前まで知らなかったという証言をしてくれる者がいなくなる。 彼に冤罪を負わせる事までは出来なくても一度疑いをかけてしまえばそれが完全に晴れる事もない。 つまり私だけが疑われる事を防げる訳だ。
重要証人達に身辺護衛が付いていないのはまずい、という理由で彼らを早期召喚する事には成功した。 皇都の受け入れ先に着いてしまえば厳重な警戒態勢が敷かれる。 そうなっては彼らを狙う機会などない。 皇都の事情に詳しくない北軍兵士なら、地獄の門の事など知るはずはないとは思うが、「皇国の耳」として知られる先代ヴィジャヤン伯爵の息子だ。 もし知っていたら?
我が家の命運が懸かっているのに一か八かの危険な賭けは出来ない。 それでディーバの案、ダダン衛士隊長を脅迫する事に同意した。 そうすれば仮に門前で抵抗されたとしても召喚衛士への不服従や傷害で死罪に出来る。
どちらにしても悪い事にはならないはずだった。 なのに証人には随行人がいた。 平民が大隊長になるのも小隊長が大隊長になるのも不可能なはずなのに。 しかもその一人が、よりにもよってマッギニス直系。 結局、証人を始末する事には失敗した。
ディーバは常に表に出る事なく仕事をするからダダンは誰に脅迫されているのかを知らなかったが、召喚衛士を脅迫するなど大審院最高審問官ケイフェンフェイムの顔に泥を塗る様なもの。 彼を激怒させた事は間違いない。
ケイフェンフェイムならこの脅迫を大審院に対する挑戦と見なし、徹底的な調査をしたはずだ。 そして彼の諜報網なら誰が黒幕かを暴く事も可能だろう。
その結果が今日、届いた。 皇王陛下より領地転封の知らせという形で。
商業の盛んなデュガン領地は取り上げられ、その代わりとして下さるというヴァブートの地。 ヴァブートとはどこだ?
ディーバが青ざめた顔で言う。
「北の、大峡谷の向こうにある荒野がその名で呼ばれております」
水面下で動くのは何も私だけではない、と言う事か。 大審院では証人喚問こそ終わったが、宣告は下っていない。 にも拘らず私の有罪は確定した訳だ。 今更驚いた所で何もかもが手遅れ。
侯爵領の転封は普通なら皇王陛下といえども簡単に実行出来る事ではない。 何年にも渡る交渉に次ぐ交渉の末、実行される。 しかしそれは交換する領地のどちらにも先住者がいる場合だ。 転封先がヴァブートならそこには誰もいないのだから相手が動かない所為で私も動けないという言い訳が出来ない。
死罪ではないし、爵位の取り上げや降格でもない以上、大審院に不服を申し立てる事は出来ない。 それでなくともケイフェンフェイムが支配する大審院に何を訴えた所で無駄だろう。
領地転封は中審院になら不服を申し立てる事は出来るが、過去に一度下された決定が覆された例はない。 第一この領地替えは罰でさえない。 新領地は広さだけを比べるなら旧領地と同じ。 転封には、私の商業興振の腕を見込んでヴァブートを、ひいては北の商工業を活性化させて欲しい、と言う立派な理由まで付いている。
人ひとり住まない土地の何を活性化しろと? そこで黙って死ねと言う本音を隠すのに仰々しい表向きの嘘八百を用意するなど片腹痛い。
これで全てが終わるのか?
まあ、そうだろう。 奇跡でも起こらぬ限り。
ふと、壁に飾られた我が家紋を見つめた。 剣とその隣に咲く六枚の花弁の青いシュリーナ。
剣はデュガン侯爵家の武力を誇示している。 様々な色で咲き誇るシュリーナだが青色だけはない。 これは初代デュガン侯爵が六つの不可能を可能にした事を象徴している。
この小さな花びらの数さえあの距離から見分けた驚異の視力。 あのサダ・ヴィジャヤンの瞳が、私の運命を戻しようもなく変えた。
ふん、諦める事くらい、いつでも出来るではないか。
今まで自分が天を動かすのだと思っていたが。 どうやら今度は私が天に動かされる番のようだ。
ヴァブートに青きシュリーナが咲くか。 散るか。
我が目で見届けるも一興。




