審問
大審院を外から見た事はあるけど、中に入るのはこれが初めてだ。
人を威圧する重厚な建物で、正面には巨大な石をくり抜いた柱が両脇に建っている。 その柱を繋ぐ美しいアーチの下にはいかにも厳重な警護をしてますって感じの門があった。
門を通って中に入ると広いホールがあり、思わずきょろきょろ辺りを見回した。 まず高い天井の中央に吊るされている巨大なシャンデリアに目を奪われる。 磨き上げられた美しい石の床に光が反射されてとてもきれいだ。
壁沿いに代々の大審院最高審問官らしき人の肖像画が掛けられている。 マッギニス補佐に負けないくらい賢そうで怖そうな人ばっか。 あ、負けなくても勝てない、かな?
ま、そんな事はどうでもいい。 その先には前の門よりもっと複雑な彫りを施した、更にでかい門が待ち構えていた。 同じような門をいくつも通る。 武器の持ち込みは一切許されていない。 通過する度に厳重な身元及び身体検査があり、召喚状を見せているのに訪問の理由を言わされた。 知っているくせに聞かないでよ、なんてもちろん言いません。
最後の門の所に俺達を待っている法務史がいた。 たぶんそこはこの建物の中央近くなんだと思う。 俺とマッギニス補佐はいくつもある控え室の一つに導かれ、師範とポクソン補佐はその隣の部屋に入った。 暫く待たされた後、まずマッギニス補佐が呼ばれて行ったが、すぐ戻って来た。 次に俺が呼ばれた。
ドアの向こうは大審院法廷だった。 ため息のでるような高い天井に窓はない。 でもいくつも採光用の窓が付けられていて、そこから零れ落ちる光が大審院の権威を静かに照らしていた。
正面奥は高台となっていて黒光りのする巨大な机が置いてある。 その中央には大審院最高審問官が既に着席していた。 かなりのお年だと思う。 鋭い目がちょっと鷹っぽい。
法廷の左右に陪審員席が八列ずつあって列が後ろにいく毎にせり上がっている。 各列に十人の陪審員が着席していた。
ぽっかり開いた中央には椅子が一つ置いてある。 そこに座るよう俺を先導している法務史に指示された。 大審院最高審問官が座っている高台から一段下がった所には小さな机が向かい合わせで二つ置いてあり、そこに書記らしき人が座っている。 俺が着席してすぐ、書記席の側に立つ法務史から姓名及び役職名を名乗るよう促された。 その後、最高審問官の右隣に座る人が俺に対する質問を読み上げる。
「フェラレーゼ第一王女様がヒーロンに御到着なさると知ったのはいつか」
「十月十三日の夜です」
「証人がヒーロンに到着したのはいつか」
「十月十四日の朝です」
「証人に同行していたのは誰か」
「ヘルセス公爵家継嗣にして北軍兵士、レイ・ヘルセス。 当時北軍中隊長であり現北軍大隊長リイ・タケオ。 東軍中隊長テオ・メルハウス殿、東軍小隊長ジイ・コルター殿、及び私の部下四名、以上です」
「証人はヒーロン検問所で何を見たか」
「二十五人の偽北軍兵士がフェラレーゼ第一王女様の一行に近づこうとしているのを見ました」
「その時証人はヒーロン検問所のどこにいたか」
「検問所にある物見の塔の上におりました」
「その場には証人の他に誰がいたか」
「タケオ大隊長がいました」
「その後、証人はどうしたか」
「ヘルセス、タケオ大隊長、自分の三人で賊に追いつき、フェラレーゼ騎士団にその二十五人は偽物であると告げました」
「その二十五人はどうしたか」
「ヘルセスが名乗りを上げたと同時に全員逃げました」
「二十五人の偽北軍兵士と言ったが、何故偽だと分かったのか」
「一昨年の冬、北軍の儀礼服は新しい服に変わりましたが、それらの兵士達は全員古い儀礼服を着ていました。 王女様をお出迎えするのに古い儀礼服を着用するなどあり得ません」
「ヒーロン検問所にてヘルセス公爵家継嗣レイは自身及びその家族の入国の許可を戴いている、と言ったか」
「言いました」
俺の返答が終わると大審院最高審問官の左隣に座っていた人が陪審席に向かって呼びかけた。
「各々方、他に御質問はございませんか」
すると一人が挙手し、発言を許されたその貴族が質問した。
「国境の検問所から偽北軍兵士がいた地点までかなりの距離があったはずだが。 儀礼服の違いが見える程目がいいというなら、そこからこの衣服の胸ポケットに付いている刺繍が見えるか?」
「見えます。 盾の縁取りがあり、向かって右側に六枚の花びらの青い花と左に剣が刺繍されています」
少なからぬ人が、ほうっという嘆声をあげたのが聞こえた。
その貴族が質問を終えると、もう一度、各々方、他に御質問は、という呼びかけがあったが、今度は誰も挙手しなかった。 そして俺は退室を許された。
控え室に戻ると法務史が来て、これで証人としての一切の義務が終了し、帰還の許しが出た事を告げられた。
ほっとしてマッギニス補佐と一緒に部屋から出る。 そこに師範とポクソン補佐が俺達を待っていた。 どうやら師範の方が先に審問されたようだ。 すると随分短い審問だったんだな。 まあ、俺の審問だって長かった訳じゃない。 ただ自分ではすごく長く感じられた、てだけで。
何を聞かれたのか確認したら師範も俺と全く同じ事を聞かれ、同じ答えをしていた。 偽兵士だと分かったのは俺がそう言ったから、と答えたようだが。 だから俺の視力テストみたいな質問をされたんだろうな。
ただそれ以外に陪審席に座っている貴族の一人から、許可なき越境は死罪と知っていたか、と聞かれたんだって。
「俺がそれに答えようとしたら、その前に最高審問官が、この審問の目的と何の関係もない質問は控えるように、とそいつに言ってな。 何も答えずに済んだ」
それを聞いてマッギニス補佐が言った。
「ヘルセスの根回しが成功したようですね」
「根回しって何の事?」
俺がそう聞くとマッギニス補佐が説明してくれた。
「許可なき越境が死罪と定めたのは皇国の法律。 越境した三人はフェラレーゼ国王より青藍の騎士の称号が贈られましたが、越境は越境。 他国の称号と皇国の法律には何の関係もありません。 皇国の法律を厳密に適用するなら越境した三人は死罪。
そこでヘルセスが公爵家の総力を使った根回しをしたと聞いております。 越境が罪と定められたのは、それが侵略行為と見なされフェラレーゼ側を激怒させるからであり、フェラレーゼの王女を救うための越境まで罪に問うのは法の趣旨に反する、と。
大審院法務部がその法解釈に合意したのでしょう。 今回の審問では越境に関する質問を許さない、という形で。 法の改正は簡単なものであっても数年はかかります。 今回の審問には到底間に合いませんから。
またお二人が越境したのは自分の発言を信じた故である、と審議の質疑応答事項に入れ、記録する事を最高審問官ケイフェンフェイムに交渉したのだとか」
俺と師範は思わず顔を見合わせる。
「それって俺達はいいけど、ヘルセス家にとってはまずい事なんじゃないの?」
「そうですね」
「そうですねって」
「根回しを始める前、ヘルセスは父公爵に廃嫡を願い出たのだとか」
「えっ?」
「彼には叔父がいますし、その叔父には息子もいますので。 しかしヘルセス公爵が息子を廃嫡したとは聞いておりません。 タケオ大隊長への質問が遮断されたのでしたら、ヘルセス公爵は息子が何をするつもりかを知りながら廃嫡せず、根回しする事を許したのでしょう」
貴族は家名に些かなりとも傷がつく事を恐れる。 それは上級貴族であればある程そうだ。 公爵ともなれば審問記録に嘘をついた事が名前入りで載るだなんて。 どんな理由があろうと許さない事に違いない。 そんな無茶をするレイ義兄上と、それを許したヘルセス公爵に、俺は感謝を感じるより先に驚き呆れた。
そこで新年に俺達が北へと帰る前夜を思い出した。 そしてレイ義兄上の瞳に浮かんでいた覚悟の意味も。 まさかここまでしてくれるつもりだったとは。
「レイ義兄上に会ってから帰ってもいい?」
「無理です」
「どうして」
「ヘルセスは証人であると同時に被疑者でもあるのです」
「被疑者?」
「あの誘拐未遂事件は、恋に狂ったヘルセスの仕組んだ狂言、という噂が流れまして」
「「「なんだって?」」」
俺達三人は異口同音に大声を上げた。
「その噂を流した者にとって、ヘルセスとお二人がいつ皇太子妃殿下のヒーロン到着を知ったか。 それこそが何としてでも審議に記録されたくなかった証言だった、という訳です」
そこでポクソン補佐が質問した。
「それなら今日の証言によってヘルセスの潔白は証明された訳だろう?」
「審議終了までは彼が被疑者である事に変わりはありません。 被疑者と証人の面会は許されておりませんので。 これには随行人も含まれます」
「なら手紙を出すしかないか」
「それも禁止されております」
そりゃ俺の一行きりの手紙なんて貰っても貰わなくても違いはないだろうけどさ。 ありがとうの一言ぐらい言っておきたいじゃないか。
マッギニス補佐といい、レイ義兄上といい。 俺は自分にそこまでがんばって貰う程の価値があるとは思えない。 でもどんなに重かろうと、きちんと受け取らないと。
六頭殺しの若は北軍の誇りだと言われている。 なら俺を守ってくれたと言う事は北軍を守ってくれたと言う事だ。
俺はヘルセス公爵に審問が終了したので北へ帰る事を知らせる手紙を書いた。 その手紙の中にもう一枚、別の手紙を入れた。
「近うよれへ
助けてくれてありがとう。
イーガン救出作戦特務大隊長にして北軍第百四中隊隊長 サダ・ヴィジャヤン」
俺は自分が個人として出す手紙に軍人としての階級を書き入れた事はない。 これからもないだろう。 でもこの手紙だけは北軍を代表しての感謝として受け取ってもらいたくて、階級を明記した。
俺達四人は滞在先のお宅やサガ兄上、マッギニス補佐の実家のいずれにも寄らず、その日のうちに北へ向けて帰る事にした。 あの気の遠くなるような長い待機期間を思うと、ほんとにあっけない終わりだ。 でも文句を言う気はない。 帰れる! これでようやく帰れるんだ!
リネの元へ!!




