勇名
トビは元々、俺に面と向かって穀潰しと言ったりするような奉公人じゃない。 たとえ心の中ではそう思っていたとしても。 言わんでもよい事は言わない。 そういう分別がある奴だ。
褒める所がなければ黙っている。 褒める所があっても大げさに褒めたりしない。 ましてや追従なんて誰にも、日頃トビが深く尊敬している父上にさえ言ったのを聞いた事はない。
なのに俺が家名を上げた、だあ? 従者として非常に誇らしい、だと?
まさかまさか。 トビの体が悪魔に乗っ取られた?
いやいやいや。 悪魔だって、いや、悪魔こそ人を選ぶだろ。 自分の言う事を聞かない人間に乗り移ってどうしようというんだ。 そんなの時間の無駄じゃないか。
「えっとお。 俺はタケオ小隊長に助けられなかったら死んでいたんだけど」
「承知しております。 しかしそれは七頭目。 今生きていられるのは確かにあの御方のおかげですが、若がただお一人でオーク六頭を仕留められたという事実に偽りはございません。 そもそもオークを弓で殺した者など今まで知られる限りいないのです」
「ええ? そうなの?」
何を今更、のトビの視線が痛い。
「戻ってから念のため調べてみました。 オークの体で一番高く売れるのは皮。 そのため皮を傷付けずに済むよう、弓、槍、毒殺など、様々な方法を試した記録がございました。 口から矢で喉を突き、窒息死させる方法も提案されておりましたが、いくらオークの口が大きいとは申しましても大変な速さで動いている標的です。 もちろん矢を放つ方もぼうっと立っていては殺される訳で。 馬か馬車に乗って弓を引いている。 当然どちらも大揺れに揺れています。 そこに命中させるのは余程の弓の名手でも不可能と思われておりました。 試みた者はいたようですが。 失敗例しか記録されておりません。 他に矢で狙える弱点と言えば目ですが、目を潰されたくらいでは死なないですし。
正直な所を申せば、次々オークが倒れて行く所をこの目で見た私でさえ未だに信じられない気持ちでおります」
「あんなのまぐれに決まっているじゃん」
「百歩譲って一頭ならまぐれもあるかもしれません。 千歩譲って二頭もあり得るとしても、六頭まぐれ。 それはあり得ないです。 もっとも一頭まぐれで倒しただけでも歴史に名を残したと思いますが。 それほどあり得ない事ですから」
俺が知っているトビは物事を大げさに捉える奴じゃなかった。 割り算のテストで初めて十問全部正解した時だってトビはそれがどうした、て感じでさ。 次は二桁を解いて下さいと言ったきり、丸さえ付けてくれなかったのに。
それに比べたら今回俺がした事なんて要するに弓が狙った的に当たった、てだけの話じゃないか。 当たった先がオークの口の中、てだけで。 運がよかったとは思うけど、やれ歴史に残るの、家名をあげたの、て。
あわやの所から生きて帰って以来、トビったらちょっと俺に対する身贔屓の度が過ぎているような気がする。
ま、いいけどさ。 奉公人に持ち上げられたからって舞い上がっている場合じゃない。 将軍閣下から御飯に招待された時には舞い上がったけどな。 だって上級将校用の食堂とかじゃない。 なんと御自宅へ招待されたんだ。 父上の紹介状の威力ってすごいぜ。
「困り事があれば相談に乗る。 遠慮はせぬようにな。 いや、困り事などなくても構わん。 いつでも執務室へ遊びにおいで。 カルアも承知している」
帰りにはそんな温かいお言葉まで戴いた。 とても嬉しかったが、そんな社交辞令を本気にしてお邪魔するほど俺は厚かましくない。 縁故があると言っても父上の大叔母様が将軍のおばあ様って。 そんなのもう他人じゃね? 父上でさえ大叔母様には一度も会った事がないとおっしゃっていたし。
北に住んでいる俺の唯一の知り合いと言えば、我が家の執事の次男、コオ・タマラ小隊長だ。 いやもう、涙の再会?
俺には実兄が二人いるが、頭のいい兄上達は毎日お勉強に忙しくて俺と遊んでいる暇なんかなかった。 だから年は離れていても俺と一番遊んでくれたのはタマラ小隊長で、家にいた時俺はいつもコオ兄と呼んでいた。
タマラ小隊長は第三駐屯地所属だから第一に来るだけで何日もかかるのに、俺が入隊したと聞いて早馬で駆けつけてくれた。 数えてみれば俺が八つの頃入隊し、それ以来会っていない。 実に十年ぶりの再会だ。
昔から頼もしかったけど、昇進して更に頼もしさが増した感じ。 精悍さ溢れる北軍戦士になっていた。 満面の笑顔で、あの仏頂面の執事の息子とは思えん。 顔だちはそっくりなんだけどさ。
「若。 こんなに大きくなられて」
がしっと抱きしめられ、思わずいででで、と呻いちゃった。 き、筋肉痛が。
タマラ小隊長には駐屯地近くの町にある飲み屋へ連れて行ってもらった。 その飲み屋では、これがかの勇名轟く六頭殺しの若と紹介され、おおっ、というどよめきと共に英雄扱いされちゃった。
えへへ。 三十人も入れば満席になる店なだけに雰囲気が温かい。 店主からは色紙をねだられ、御飯を奢られ。 もー、すっかりおだてられちゃったぜ。 御近所の飲み屋で勇名轟いてもそれがどうした、だけどな。
ただ北軍は、いや軍というのはここに限らず狭い世界だからか? 入隊祝いにすごい気合いを入れるみたい。 おかげでそっちからもこっちからも顔も覚えきれないくらい、いろんな人にうまい飯を奢ってもらった。 将軍、副将軍に始まって、大隊長、次は中隊長、そして小隊長。 俺の直属上官だけじゃない。 他の隊の大隊長、中隊長、小隊長まで。
みんな、軍の飯はまずいだろう、と言って駐屯地の外にある料亭や食堂に連れて行ってくれた。 俺的には軍の飯だって別に普通じゃね、と思うけど。 なんと言ってもただなんだし。 飲み屋や料理屋の飯はもちろんそれよりうまい。 そりゃ金取っているんだから当たり前だろ。
もし軍の飯がまずかったとしても、ただで食えるのに金を払って外に飯を食いに行く気は全然なかった。 でも奢られるというなら別。 けちる気満々の俺はありがたく奢られた。 オークの賞金は手に入ったが、新兵の給金なんて雀の涙だ。 まさか父上から支度金を貰えるとは思わなかったし、武器や防寒具も全部一から買うとなると相当な出費になるだろ。 それは結局軍が出してくれたが。
なにしろ兵士は危険な職業だ。 改めて言うまでもなく。 死んでしまえば金はかからない。 でも病気や怪我で除隊になったらどうする? あり得るだろ。 そしたら実家に帰るのか?
今の俺には他に行く所がない。 帰るしかないが、そこで肩身の狭い思いをする事は目に見えている。 父上は今年、サガ兄上に爵位を譲るおつもりだ。 その日、サガ兄上は御結婚なさる。 そしたら家の切り盛りをするのは義理の姉上、ヘルセス公爵令嬢ライ様だ。
俺はまだ一度もお会いしていない。 サガ兄上の選んだ御方だからきっと素晴らしい女性だろう。 だけど俺が義理姉上に好かれるかどうかは会ってみないと分からないし、取りあえず好かれたとしても居候として同居してもうまくやっていけるかは住んでみなきゃ分からない。
仮に俺が無事に退役を迎えられたとしても、その頃には俺の甥が爵位を継いでいる。 代替わりしたら実家とは言っても他人の家も同然だ。 そんな所に帰って肩身の狭い思いをするより北に自分の家を買って落ち着きたい。 しかしそうしたくとも金がない、じゃ実家に帰るしかなくなる。 そうならないためにはそれなりの蓄えが必要だ。 じじ臭い考えかもしれないが。
ところが入隊してみるもんだね。 父上からの支度金がなくとも、いや、オークの賞金がなくてさえ困らなかっただろう。
入隊したその日から給金が貰え、しかも家賃、食費、全部ただ。 諸経費(風呂、洗濯代)もただ。 近衛東西南軍に見学に行った時は全食及び宿泊費、洗濯代、風呂代、しっかり金を取られたというのに。 まあ、その時は入隊していないんだから当たり前だけど。 正式入隊しても他の隊だったら付き合いとかに金がかかったんじゃないか、て気がする。 上官だけじゃなく先輩や同僚にもそれなりに貢がなけりゃどんな嫌がらせをされるか分かったもんじゃない。 それが北軍だとそっちから貢がせてくれ、なんだもんな。
武器は自分用をいずれ買うつもりだが、とりあえずは隊から貸してもらった。 壊さない限りただ。 それで弓を借りて鴨や兎を獲ってきた。 それを調理場に持って行ったら、なんと買い取ってくれたんだ。
そして防寒具。 全部揃えればかなりの金額になる事を覚悟していたが、入隊祝いと熨斗の付いた贈り物が次々届き始めた。 贈り主の名前は書いてあったが俺の知らない人ばかり。 どうして贈ってくれたの? もらってもいいのか分からなかったが、どこに返したらいいのか分からないし。 箱を開けちゃったから使ってもいいよね?
中身は手袋、帽子、ブーツ、パンツ、コート、マフラー、チョッキ、シャツ、腹巻き、股引、靴下。 それらをしまうタンスに冬用毛布や上掛け、湯たんぽまで届いた。 まだこれから夏になる季節だというのに手回しがいいと言うかなんと言うか。 欲しかった物が過不足なくどんどん贈られてくる。 まるで贈り主同士が打ち合わせしたみたいに。 どれもいずれ買おうと思っていた物で、しかも安物じゃない。
俺ってラッキー? 北軍にしておいて、ほんと、大正解だったぜ。
それにしてもコートくらいは目算でサイズが 分かるとしても、ブーツや股引までぴったりなのはなぜなんだ?
まさかこれがトビの言う所の勇名が轟いた結果だとは、その時の俺は思いつきもしなかった。