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弓と剣  作者: 淳A
新婚
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待機

 あんなに俺達を急がせたくせに皇都に着いたからって大審院の呼び出しはない。 もっとも急がせたのはダダン衛士隊長、と言うか彼を陰で操る誰かの都合だった訳で、別に大審院が急げと言った訳じゃないんだから仕方ないけど。

 いつ呼び出しがあるかなんて聞くだけ無駄。 誰も知らない。 そ、この世にもマッギニス補佐の知らない事があるんだ、と初めて知りました。 やっぱり世界は広い。


 待っている間、何をするか? 何も出来ない。 と言うか、外へ出られない。 安全確保の為、証人の外出は一切禁止されているんだって。 護衛が付いていればいいんじゃないかと思って聞いてみたが、それでもだめだった。

 ミッドー伯爵は俺達の退屈を紛らわす為、夜会をしたいと申し出て下さったが、そんなもの面倒で迷惑なだけ。 俺は夜会なんて今まで一度も出席した事はないし、これからだって出席するつもりなんかない。 そこで何をすればいいの? 俺は踊れないし、酒は飲めないし、話べただしさ。 好意で言ってくれてるのに悪いとは思ったが、絶対出席しません、と伯爵に言った。

 俺が出席しないと言うと俺にしょっちゅうくっついていなければならないマッギニス補佐も出席出来ない事になるが、彼も最初から夜会に出る気はなかったみたいで。 どうやら俺と同じ返事を師範とポクソン補佐も言ったらしい。 それで夜会はなしになった。


 師範とポクソン補佐は毎日剣の稽古をしている。 初日は二人だけでしていたが、それを見ていたミッドー伯爵家の剣士達が、是非お手合わせ願いたいと言って来たのだ。 今では二十人以上の剣士が道場で辛抱強く自分の番を待っている。

 俺もじっとしているのは嫌なので、庭で弓の稽古してもいいか、ミッドー伯爵に聞いた。 ここに的場はないけど敷地は長方形で、長辺の塀沿いなら八十六メートルある。 俺の的にしてはちょっと近すぎるが、この際贅沢は言ってられない。 マッギニス補佐は俺が稽古をしている側で本を読んだり手紙を書いたりしていた。


 自分の弓は持って来れなかったから伯爵が持っている弓の中で適当な弓を借りた。 これだけ近ければ的に当たるのは当たり前だけど速射の稽古が出来るし、長弓に矢をつけず、引き絞るだけでも筋力が落ちないで済む。

 伯爵御自身は弓なんて触った事もないそうだが、御先祖様に有名な射手がいたとかで。 その人が使っていた弓を倉庫から出してきてくれた。 俺が見た事もない不思議な形をしている弓だ。

 それを射ってみたんだけど、一度射っただけでそのすごさに舌を巻いた。 重い。 そして短弓なのに、あり得ない飛距離が出る。 八十六メートル程度の的ではどこまで飛ぶか分からなかったから一度空に向かって射った。 そしたら四百二十メートル先を飛んでいた鳥を打ち落とす事が出来た。


「ひえーっ。 こいつはすごい! 俺の持っている一番の強弓でもそこまでは飛ばないのに」

 俺がそう言ったら側で見ていたミッドー伯爵がおっしゃる。

「気に入りましたか? ならば差し上げます」

「え? この弓、家宝じゃないんですか?」

「射手がいなければ弓はただのがらくた」

 そう笑っておっしゃる。 本当にもらっちゃっていいのかな? でもこんな弓を作ってくれと誰かに頼んだって作ってもらえないような気がした。 昔からある弓なのに誰も真似した弓を作っていないのは、作るのがそれほど難しいからなんだと思う。

 迷ったけど触れば触るほど離れ難い気持ちばかりが湧いてくる。 俺は丁寧にお礼を言って、その貴重な贈り物を受け取った。 これも何かの縁なんだろう。

「その弓には銘があるのですよ」

 ミッドー伯爵がそうおっしゃって指し示す所に「北進」と彫られてあった。

 ほー。 俺に連れられて北に進む、か。

 名前までかわいい奴だ。 俺は弓をすりすりしてあげた。


 ミッドー伯爵家に一ヶ月滞在した後、次はグゲン侯爵家に行くように、との通達が来た。

 グゲン侯爵家の邸宅に到着したのは夕方で、それから一人ずつ別の部屋へと案内されたが、マッギニス補佐は自分の部屋へは行かず、俺の部屋へ来た。 その後に師範とポクソン大隊長補佐が続いている。

「一緒の部屋に休めば四人が交代で見張りに立てるので一人当たりの睡眠時間を増やせます」

 マッギニス補佐の言葉に師範が訝しげに聞いた。

「何か問題でもあるのか? ここは一応味方じゃなかったのか?」

「味方には味方の胸算用、というものがございますので」

「胸算用?」

「おそらく夜這いの類があるのではないか、と」

「はあ?」

 思わず素っ頓狂な声を上げてしまったが、考えてみれば師範を娘の婿に迎えたい貴族は結構いるだろう。 いくら平民と言ったって大隊長まで昇進すれば格が違う。 昇進前ですらレイ義兄上が師範を勧誘しに北軍まで来たぐらいだものな。

 呑気な俺はマッギニス補佐へ言った。

「だけど師範は独身だし。 ここの令嬢がどんな人か知らないけど、北に住んでもいいと言ってくれるなら結婚したっていいんじゃないの? まあ、いきなり夜這いは、ちょっと、その。 責任問題とかになったらまずいよな。 でも会ってみたら? 案外いい奥さんになりそうな人かも。

 あ、師範じゃなくて、マッギニス補佐狙い?」

 するとマッギニス補佐が首を振る。

「あちらの狙いはヴィジャヤン大隊長だと思います」

「えっ? お、俺?」

「グゲン侯爵令嬢は六頭殺しの若の大ファンなのだそうです」

「何、それ。 俺もう結婚しているんだけど」

「侯爵令嬢にとって平民を妻の座から蹴り落とすなど朝飯前」

 俺がうげーっと言ったら、ポクソン補佐が笑ってからかう。

「なんだ、この際つまみ食いしておこうとか思わんのか?」


 ちぇっ。 ポクソン補佐ったら他人の事だと思って。 何がつまみ食いだよ。 肝心の御飯をまだおいしく戴いてもいないのに。

 いや、リネをおいしく戴いた後だってつまみ食いなんてするもんか。 きっとリネは辛抱強く俺の事を待っている。 自分だけ勝手な真似をするなんて出来ない。

 そもそも一人しかいない妻さえ幸せに出来てないのに二人目だなんて。 そんな面倒くさい事はごめんだ。 それに妻以外の女の人と、あーんなことや、こーんな事するなんて無理。 恥ずいっ!

 とにかく全員寝具を俺の部屋に持ち込み、一晩二交代、隔日当番とした。 おかげで大して寝不足にならずに済んだ。

 ここでも師範とポクソン補佐は黙々と稽古に励み、ミッドー伯爵家と同じようにグゲン侯爵家の剣士達から慕われていた。 俺も毎日弓の稽古ばかりしていたが、侯爵家の皆さんとは毎晩一緒に食事をして、そこに令嬢も同席していた。

 無視したら失礼だから質問されれば、はいといいえで答えたが、令嬢からのお茶のお誘いとか、なんたらかんたらは全てお断りした。 侍女の人を通じて弓の稽古が見たいと言われたけど、危ないし、気が散るから近寄らないでほしいと返答しておいた。


 グゲン侯爵家に一ヶ月滞在したら次はダンホフ公爵家なんだって。 思わず愚痴が零れる。

「もう、ほんと、一体いつ審問って始まるのさ? 歓待されてる、て事は分かるけど。 いい加減にしてほしいよな。 こんなに何ヶ月も先の事なら証言が必要な時、その間際に呼んでくれればいいじゃないか」

 言ったって仕方のない文句をぶつぶつ呟いていると、マッギニス補佐が言った。

「お気付きではなかったのですか? 私達は暗殺されぬように四六時中警護されているのですよ」

「あ、暗殺? どうして? 俺、何かした?」

「したのではなく、これからする訳です。 証言を。 そしてその証言をされては困る人がいる。 ダダン衛士隊長では失敗したが、次がないとは申せません。 

 その点、貴族の家に滞在していれば一応安全です。 受け入れ側の真剣度は皇王族をお迎えするかの如く、と申しても過言ではない。 屋敷に招かれた者が滞在中に暗殺されたとなれば、その家にとって簡単には消えない汚名となりますので。 しかも今回滞在しているのは皇国に知らぬ者とてない英雄二人。 何かがあっては皇国史に最も望ましくない形で家名が載る事になる。 それでこのような厳重な警備になっているのです。

 私達としても北軍に帰った所で安全が確保出来る訳ではありません。 第一駐屯地一万五千兵の誰が次のダダンとならぬものでもない。 来客から土方まで身元の知れない有象無象も数知れず。 それで召喚終了まで長期滞在となっている次第」

 そうだったのか。 と分かったところで気分は明るくならない。

「はああ。 なあ、もう二ヶ月経ったのに、まだいつ頃呼び出しがあるか分からないの?」

「分かりません」

「いくら何でもそろそろ終わる頃なんじゃない?」

「審問がいつ終わるか誰にも分かりません。 大審院最高審問官でさえ答えられないでしょう。 審議の流れは様々な出来事に左右されますので」

「普通はどれぐらいかかる訳?」

「最短で一年という所でしょうか」

「い、一年!?」

「審問は事件の連絡が届いて間もなく、昨年十一月には既に開始しております。 それでも今はまだ四月。 召喚があるのは早くて九月。 通常なら十月か十一月になるでしょう」


 俺は生まれて初めて後悔というものを深く味わう事になった。 そうと知っていたらあんなに焦って第一駐屯地まで今すぐ来い、なんてリネに言わなかったのに。

 誰も知らない土地で、分からない事だらけで暮らす羽目になって。 両親の元で暮らしていれば少なくとも寂しい思いをしないで済んだはずだろ。

 俺の事、恨んでいるかもな。


 くすん。

 なんか、もう、会う前から嫌われていたりして?

 ううっ。 せっかくかわいい妻を手に入れたのにっ。

 大審院のばかったれ! さっさと終わらせろ!

 リネに離婚されたりしたら絶対恨んでやるからな! 俺は新婚なんだぞっ!


 俺の心の叫びなんて勿論どこにも届きはしない。 大審院にとっては証人の恨み言なんか、それがどうした、だろうし。

 相変わらず呼び出しはないまま滞在先だけが変わっていく。 ダンホフ公爵家までは一ヶ月ずつの滞在だったが、次のベイダー侯爵家からは一週間ずつになった。

 移動するためには外に出るから、その点は家に籠っているよりましだったけど、新しい家に到着すれば、やれ当主に挨拶の、家人に紹介の、と弓の稽古さえままならない日々が続いた。

 んもー、当たらなくなったらどうしてくれるのさ。 そりゃ俺は待機中の証人で弓の稽古に来た訳じゃないが。 稽古しなきゃ筋力が落ちるのに。

 しょうがないから移動の途中、馬に乗りながら北進を引き絞ったりした。


 冬は勿論、春が過ぎ、夏が過ぎ。 皇都に秋が訪れた。

 庭から見上げれば晴れ渡る秋空。 そこに動かない雲が浮かんでいる。 まるで何かを待っているかのように。

 俺みたいだな。


 北の方向を眺め、一体何度ため息をついただろう。

 リネ。

 名前をそっと呼んで呟く。

 ごめんな。 名ばかりの夫だけど、もうちょっと待っててくれるか? きっと帰るから。


 一週間ずつの滞在は、その内三日ずつとなり、しまいには一晩とかで次々にたらい回しにされるようになった。 俺には今いる家の名が何だったかさえ確かじゃない。


 そんなある日、ようやく大審院からの呼び出しがあった。


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― 新着の感想 ―
いつか読めるならミッドー伯爵視点のお話を読みたいと思いました。 サダファンの内面を見てみたいし、北進をプレゼントできたときの嬉しさや北進を愛用してくれることの誇らしさも見てみたい笑 もし、余裕がありま…
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