裏門
「審問開始まで証人一行はミッドー伯爵家預かりとなる」
ダダン衛士隊長はそう言った。 それで終わりなのかと思ったら結構愚痴られた。
「証人の帰りを待った所為で審議の日が迫っている。 これ程待たされるとは予想外」
だからどうのこうの。 要するにお前のせいで、と言いたいらしい。 そして毎日馬を乗り潰す程急がされた。 皇都にあるミッドー伯爵邸に辿り着いた時はみんなへとへと。 何でもいいから寝かせてくれ、という感じ。
ダダン衛士隊長が念を押すように言う。
「安全確保の為、いつ到着するかは秘密にしている。 それ故邸内に入る時は裏門を使う。 そなたらに挨拶する為、伯爵は中で待っているはずだ。 我々衛士とは門前で別れる」
俺としてはさっさと休ませてくれるなら伯爵の挨拶なんかなくてもいい。 そもそも客を外で待つ人なんかいないだろ。 こんな寒い季節に。 何でそんな事をわざわざ言うのか分からなかったが、一応言っておくか、て事なのかも。
ただ馬から下りて門に近づくと、なんか変だと思った。 どうして変だと思うんだろう?
あ、この扉、取っ手がないんだ。 内にはあるのかもしれないが。 つまり外からは開けられないようになっている。 何なんだ、これ? こんな扉、見た事ない。
衛士隊長がその不気味な扉を叩こうとすると、マッギニス補佐が止めた。
「ダダン衛士隊長。 何回その扉を叩くおつもりか存じませんが、まさか皇国の英雄、北の猛虎と六頭殺しの若を地獄の門として知られるゼラーガ侯爵家裏門に送り込もうとなさるのではございますまい。 そしてポクソン補佐は皇王族のお血筋。 すると残るは私のみ。
だが地獄の門を騙されてくぐったと知られては知略で知られた家名の恥となる。 私はそこに一歩たりとも足を踏み入れる気はありません。 かと言って大審院衛士に抗うなど思いもよらぬ事。 故にここで自決する覚悟です。 私の分を叩けば数合わせに貴公に従う誰かを身代わりとする羽目になりましょうぞ」
な、何? それ、どういう意味? なんでマッギニス補佐はいきなり自決なんて言い出したんだ?
衛士の皆さんの顔が真っ青になってる。 それはマッギニス補佐が本気で言っていると思っているからだよな?
それに今、ゼラーガ侯爵家って言ったけど、ここ、ミッドー伯爵家じゃなかったの?
数合わせとか身代わりとか。 扉を叩くと、どうして身代わりが必要になる訳?
何が何だか分からないまま、俺はいつもと変わらぬ平然とした様子のマッギニス補佐と土気色に顔色を変えたダダン衛士隊長の顔を見比べる。
そこで、ぴーっとマッギニス補佐が鋭い口笛を吹いたら物陰から剣士が六人現れた。
俺はぎょっとして身構えたけど師範は落ち着いている。 たぶん六人から殺気が感じられないからだろう。 十人の衛士は一斉に剣を抜いたが、それをマッギニスが押しとどめる。
「御安心召されよ。 確かに私は門をくぐっていない、と我が父に証言する為の者達です。 我が死を見届け、死骸をマッギニス家に送り届ける手はずになっているだけの事」
そう言うなり、マッギニス補佐は短刀を引き抜き、逆手に持った。
「ま、待って、ちょっと! 何が何だか分からないしっ!」
俺は必死になってマッギニス補佐の右手首を掴んだ。 それと同時に衛士隊長が叫ぶ。
「マッギニス殿! そのお覚悟の程、承知致しました。 皆様全員をミッドー伯爵家にお連れします。 どうか刀をお納め下さいますよう」
「ではその扉には私の代わりに誰が入る事になるのでございましょうな? 己の命が助かるのは嬉しいとは言え、身代わりになる者にとって到底喜べるものではないはず。 誰に恨まれる事になるのか、予め知っておきたいのですが」
底冷えのするマッギニス補佐の言葉に衛士隊長は苦渋に顔を歪めて応える。
「だ、誰も。 まだ扉は叩かれておりません」
「叩く約束を反古にして無事に済む相手ではないのでは?」
「叩いても叩かなくても。 こうなっては是非もなし」
衛士隊長の瞳には深い諦めが浮かんでいる。 それを見たマッギニス補佐が言う。
「そういう事なれば、ダダン衛士隊長の身は如何ともしがたいが、脅しの種に使われた方の身を守る事はマッギニスが引き受けましょう」
衛士隊長の顔が驚きに包まれる。
「そ、それは……」
でもその後に言葉が続く事はなかった。
意味がさっぱり分からない。 でも何がどうなったのとか、とてもじゃないけど聞けるような雰囲気じゃないんだ。 俺達は無言でミッドー伯爵家へと向かった。 着いた時には深夜をとっくに過ぎていたが、ミッドー伯爵自らが出迎えてくれた。
衛士の十人は伯爵に挨拶したが、俺達には何も言わずに帰った。 ただ別れ際に衛士隊長がそっと、娘を、とマッギニス補佐の耳に囁いたのが聞こえた。 マッギニス補佐が目で頷く。 衛士隊長は深い感謝の込もった最敬礼をした。
どういう事情があるのか全然分からない。 でもなぜか生きている衛士隊長の姿を見るのはたぶん今晩が最後という予感がする。 そして連日の早駆けで体力も気力も余裕のない道中、彼がふと漏らした言葉を思い出した。
「あなたの弓を、たった一度でいいからこの目で拝見したかった」
あまりに急いだ出発で、俺は自分の弓を持ってきていなかった。
「皇都に着いたらいくらでも見せてあげますよ」
衛士隊長はそう言った俺にただ哀しげな微笑みを返しただけだった。
拝見したかった? どうして過去形なんだ? 変だな、とは思ったけど、その時は理由を聞いたりしなかった。
俺は急に思いついてミッドー伯爵にお願いした。
「弓を貸して下さいませんか?」
こんな夜中に弓だなんて、と伯爵は不思議な顔をなさったが、壁に飾ってあった弓を指差した。
「それでよかったらどうぞ」
その強弓を手に取り、玄関から外に出て冴え冴えと輝く月に向かって矢を放つ。
びいーーん。
矢はまっすぐ、まるで月に届いたかのように飛び去る。 俺の目にさえ弧を描いて落ちる所は見えなかった。 みんなが漏らす感嘆のため息が聞こえた。
「ありがとうございます」
感謝の一言を心からの微笑みと共に言い、衛士隊長は立ち去った。
俺達は別々の部屋に案内されたが、全員一つの部屋に集まった。 ぬぐいきれない疲労がマッギニス補佐の顔に隈となって表れている。 それは分かっているけど、俺はどうしても朝まで待つ事が出来そうもなかった。
「今なら説明してくれるよな?」
俺に促され、マッギニス補佐が静かに語り始めた。
「ダダン衛士隊長は娘の命を脅迫されていました。 それで私達を滞在予定のミッドー伯爵家ではなく、拷問で有名なゼラーガ邸に連れて行ったのです。
あの裏門は俗に地獄の門と呼ばれ、恐れられているもの。 扉を叩いた数だけ人間を入れるという決まりである事は知られていますが、中で何が行われるのか誰も知りません。 ゼラーガの裏門をくぐった証人は必ず告白書に署名を残すのですが、全員扉の向こうで死ぬか生きていても発狂しているので。
衛士隊長にとって今回の証人に随行人がいる事は計算外だったでしょう。 これなら地獄の門は免れたのでは、とも思ったのですが。
証人は平民出身のタケオ大隊長と伯爵家三男であるヴィジャヤン大隊長。 道中話してみればどちらもゼラーガの名を聞いた事がない。 ならばあの門の事を知っている可能性があるのは私だけ。 聞いた事はあっても見た事がなければ門の中へ送り込まれる前にその意味に気付く事はないと考えたのかもしれません。 門の中へ送り込みさえすればよいという約束だったのでしょうし。
そして門の中では私とポクソン補佐をそれぞれ別室に監禁しておく。 そうすれば証人が拷問された所を見たかという質問に対し、見なかったと答えるしかない。 つまり拷問によって得た証言が大審院で使える事になります」
「でも、マッギニス補佐。 あの時お前は本気で死ぬ気だったよな? その説明だと随行人のお前は無事じゃないか。 どうして死ぬ必要があるんだ?」
俺の質問にマッギニスは当然みたいな顔をして答えた。
「私は無事でも大隊長とタケオ大隊長が無事ではありません。 大審院から六頭殺しの若と北の猛虎をゼラーガ邸へ連れて行けと言う命令が出されたはずはないのです。 あれは誰かの陰謀。 とは言っても相手は大審院が正規に派遣した衛士。
タケオ大隊長とポクソン補佐ならダダン衛士隊長以下十名を始末する事も出来たでしょう。 ですが衛士を傷つけたりすれば反逆罪と同等の扱いとなります。 証人を勝手に拷問するのは命令違反。 ダダン衛士隊長は後で処罰される事になるでしょうが、こちらに正当な理由があっても衛士への傷害行為が許されるとは思えません。
彼が今まで一度も会ったこともないお二人に個人的な恨みを抱いたとは考えられない。 おそらく何か、或いは誰かを種に脅迫されている。 ならばあそこで彼を止めるには、彼が守りたいものにその脅迫以上の事が起こると脅すしかありません。
随行人が自害したら証言があった所で審議では使われません。 しかも自害の原因は証人を護衛すべき衛士が脅迫された挙げ句、正規の受け入れ先ではない所へ証人を連れて行った故。 これが明らかになれば大審院の権威を揺るがす一大醜聞。
そして私が自害したら黒幕は勿論、直接手を下した者全員に我が一族の復讐が容赦なく襲いかかる。 ダダン衛士隊長にどういう理由があったとしても関係ありません。 彼が守ろうとしていた人、物、全てが失われるでしょう。
そのような悪名が付随する家名が幸いし、ダダン衛士隊長はどちらにしても守れないなら、せめて皇国の英雄二人を救う道を選んだ、という訳です」
ポクソン補佐がため息をつきながら聞いた。
「それにしてもよくあのタイミングで手勢をあの場所に配置出来たもの。 私達がゼラーガ侯爵家へ連れて行かれると一体いつ知ったんだ?」
「知っていた訳ではありません。 物陰に隠れていた者達は召喚状が届いた時、こういう事もあろうかと保険として配置しておりました。 同様な保険は他にもいくつかの公侯爵家に。 一番あり得るのがゼラーガ邸でしたが」
俺はただただ呆然としてマッギニス補佐の説明を聞いていた。 今までだって彼に守られている事ぐらい知っていた。 でもそれは俺が馬鹿な真似をしないように、という防波堤みたいな役割なんだと思っていた。
マッギニス補佐の頭が切れる事は言うまでもない。 今回救われたのだって彼の先見の明のおかげだ。 だけどあの場でダダン衛士隊長を止めることが出来たのは、マッギニス補佐が本気で命を捨てるつもりだったからに他ならない。 初めて知った彼の覚悟の、その深さ。
説明が終わり、マッギニス補佐は糸が切れたみたいに眠りにつく。 俺達三人は彼の満足そうな寝顔を言葉もなく見つめ、その夜を過ごした。




