画家 ピエレの話
絵で食っていくなんて夢は、とっくの昔に捨てていた。 そんな俺だが、最近よく同じ質問をされる。
「よお、ピエレ。 お前、画家になったんだって?」
それに対する俺の答えも同じだ。
「なった、ていうか。 まあ、絵は元々好きで描いていたんだ。 偶々、若を描いた絵が売れてさ。 俺も画家の端くれに仲間入り、て訳」
そして俺の答えに対する反応も似たようなもの。
「へえ、すげえな」
「はは、すげえ事なんてないさ」
口ではそんな風に受け流しているが、本当は我ながらすごい事だと思っている。
昔から自分の絵が下手だとは思っていなかった。 いや、そこそこいけているという自信だってあった。 だけど現実問題として絵筆一本で食っていくにはパトロンがいる。
無名の俺の絵を気に入って、好きなように描かせてくれる金持ちがこの広い世界のどこかにいるかもしれない。 でもそいつを捜す手間を考えただけで気持ちが萎えた。 何しろ俺には伝手もコネもない。
画家として生きていく事を考えて仕事を一つ、二つ、引き受けた事もあった。 だけど画廊や客から注文されて描き始めれば必ずああしろこうしろと口出しされる。
まあ、金を払う方が出来上がる前にあれこれ言うのは仕方がないが、出来上がった後で気に入らない、と一文の金も払ってもらえない事があるんだ。 これにはまいった。 それじゃ絵を描いている間、借金して生活していた俺はどうなる?
俺はしがない平民だ。 親に金がある訳じゃない。 絵を描く以外の取り柄はないから有名な画家に弟子入りする道も考えた。 でもそれには支度金がいる。 よっぽど気に入ってもらえれば支度金はなくてもいいと言ってもらえるかもしれないが、そんな親方に出会うためには皇国中を旅しなきゃならない。 その旅の資金はどうやって作ればいい?
親が土地持ちなら農作業で食って絵は趣味にする事も出来ただろう。 残念ながら俺のおやじは単なる工員だ。 手に技術があるとか、大家で家賃みたいな定期収入があるとか、そんなんじゃないし。
読み書きが出来ない俺には力仕事以外やれる事はない。 だがそんな仕事をやらせてくれと言ったって俺の筋肉を見ただけで弾かれる。
そんな訳で画家になるのも土方になるのも諦め、北軍に入隊した。 剣を握った事もないのに兵士になったらろくな目にあわないだろう。 それこそ無茶だとは思ったが、じゃあ他に何になる?
俺としては全然期待してなかった。 ところが入隊の時の面接で、何か得意なものがあるか、と聞かれた。 絵が描けますと答えたら、その人に、ちょっとここに何でもいいから描いてみろと言われ、紙とペンを渡された。 その試験官の似顔絵を描いて見せたら、お前は俺の隊に来い、と言われたんだ。
試験官の名前はステューディニ小隊長。 俺が入隊して間もなく中隊長に昇進なさった。 ステューディニ中隊長は建築と設計を担当している部隊を指揮している。 そこで様々な建物やら橋の設計図面を見せられた。
「いいか、ピエレ。 大工が何かを建てる時には、こういう風に土台から仕上がりまで最初から決めていなければ始められない。 問題は、この図面をこのままお偉方に見せたって何が何だかさっぱり分かってもらえんのだ。 だからこの図面を元に建物が建った後の完成予想図を描いてほしい。 出来れば背景も一緒にな。 色とか資材で分からない所があれば聞くように」
絵が得意な俺にとってそれは難しい事じゃない。 この仕事にありついたおかげでいつでも自由に写生に行くことが許された。 新兵なら剣、弓、馬、水泳と、いろんな訓練や試験がある。 それに受からなけりゃ厳しい特訓が待ち受けているんだが、それを全て免除してもらえた。 新兵の行進訓練だけは一応やってこいと行かされたが。
俺にしてみれば飯の心配をせずに描く時間が与えられただけでも有り難い。 幸い俺の予想図は案外好評で、仕事が押してない時は好きな絵を描いていいとまで言ってもらえた。 そして俺が入隊して十二年経った年に六頭殺しの若が入隊した。
一緒に風呂に入って見た若の背中の美しさに思わず息を呑んだ。 筋肉の量だけ比べるならもっとすごい体をしている兵士はいくらでもいる。 だけどあれは永遠に止めておきたい美しさだ。
俺の絵心に火が付き、似顔絵を描いて若にあげたら、とても喜んでもらえた。 若はその絵をおばあさんに送ると言う。
「こんなに素晴らしい絵、ほんとにただでもらってもいいんですか? 申し訳ないです」
「ああ。 欲しいならもっと描いてあげるぜ。 その代わり弓の稽古をしている時、若のスケッチをしてもいいか?」
「いいですよ。 とてもかっこよく描いて下さって、どうもありがとうございます」
気に入ったものが描けたので何枚か若にあげ、それとは別に自分の手元に何枚か残した。 と言っても、それをどこかに持っていくつもりは全然なかった。 若の絵というだけで売れるんじゃないかとは思ったが、無名の画家の絵に高値が付くはずはないし、どれも気に入った絵だったから。
そんなある日、第一駐屯地にレイケラさんと名乗る人が俺を訊ねて来た。 レイケラさんはラティネン伯爵家が出す本の手伝いをしていて「貴婦人の友」という雑誌も出版しているんだとか。 で、そこに載せるのに俺の絵を買いたいと言った。 どうやらラティネン伯爵様は若のおばあさんの家で俺の絵を見て気に入ってくれたらしい。
「六頭殺しの若を描いた絵があるのでしたら全部買い取りたいのですが」
若の絵はどれも気に入っていたから何だか売りたくなくて俺が売り渋っていると、レイケラさんは金の所為だと思ったようだ。
「一枚一万ルーク出します」
「えっ。 スケッチ一枚に一万ルーク?」
「はい」
さすがに度肝を抜かれた。 そこまで払ってくれるのなら。
「十枚あるけど」
「見せて戴けますか」
それで見せたら本当に十万ルーク払ってくれた。 全部買うから少しは値切れ、と言われるかと思ったのに。
「これからも描き終わったらすぐ連絡を下さい。 全て買い取ります」
そう言ってレイケラさんは帰っていった。
それだけじゃない。 次にレイケラさんが来た時に、来年の新年号に若のポスターを付録で付けたいからその絵を描いてほしい、と依頼された。 それにはなんと、一枚に十万ルーク払うという。 手付けに五万。 完成した時に残りの五万。 この他にも貴族からの引き合いが来ているそうで。 水彩、油絵、スケッチ、なんでも買い取ってくれるんだと。
兵士を止める気はない。 第一、ここには若がいる。 だけど若の絵で得た金は俺が本業を画家にしたとしても家族を養っていけるくらいの金額だ。 絵で飯が食える。 その夢がこんな形で叶う事になるとは。
印刷された「貴婦人の友」新年号付録のカレンダーが年末に届いた。
一月を飾る若の端正な横顔。 そしてその片隅に記された、画家「アロ・ピエレ」の署名をしみじみと見つめる。




