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弓と剣  作者: 淳A
新婚
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普通  リネの話

 これって普通なのかな?

 最近、この疑問が何度も頭の中を過るんだよね。 なにしろ私は生まれてから一歩もあの村から出た事がない。 かろうじて読み書きは出来るけど、学があるって訳じゃないし。

 貴族のしきたりとか全然知らないのは当たり前として、軍の決まり事とか兵士の日常も知らない事だらけ。 リイ兄さんは無口で筆不精だからこっちから聞かない限りわざわざ何かを教えてくれたりしない。 聞いた事だって忘れた頃にしか返事が返って来なかった。


 農家の普通なら私だってよく知ってる。 だけど第一駐屯地みたいな開けた所は町とは言っても都会って言うの? 私の村みたいな田舎とは違ってとっても賑やか。 平民がやっているいろんな商売やお店とかがあってびっくりした。 ここじゃそれが普通なんだよね。

 世間の常識を知らないのも困るけど、それよりもっと困るのが旦那様や家の事なの。 特に旦那様の事となると兵士でしかも貴族なんだもの。 私にはそんな知り合いなんて一人もいないから誰かと比べるって事も出来ないし。 それでなくとも英雄なんだもの。 普通の人にはない便宜を図ってもらえているのかもしれないよね?


 それにしても不思議。

 どの家を買うか決まったのはいいのよ。 で、次の日入居って。 家って、そんなに簡単に買えるものだったの?

 家を買った事のない私には分からないけど。 その、何か、こう、あるもんなんじゃない? 例えば、お金を払うとか。

 入居出来た、て事は誰かがもう払っちゃったんだよね? その誰かって勿論旦那様なんだろうけど。 旦那様は今イーガンにいらっしゃる。 ここにいらっしゃらないのにどうやってお金を払えたんだろう?

 私は一ルークも出していない。 出したくたって持ってないし。 お金は持って来なくていいってトビに言われたから。

 そりゃお小遣いくらいは持って来ている。 でも私の小遣いで買えるような家じゃないでしょ。 この家がいくらしたのかトビから聞いてないけど、今まで見た家はどれも一千万ルーク以上だった。 ならこの家だってそれくらいはしたんじゃないのかな。


 そして引っ越ししたらすぐに家具が次々と運ばれてきた。 中には旦那様が今まで使っていらした家具もあるんだろうけど、新婚用のダブルの寝台って。 まさか一人でダブルの寝台に寝ていたの?

 ひょっとして、トビと一緒に寝ていた、とか?

 それはないか。 ここに来たばかりの時今まで旦那様がお使いになっていた兵舎にあるお部屋を見せてもらったんだよね。 それは普通の兵士が四人で使っている部屋をトビと二人で使っていただけで特別なしつらえなんて何もなかった。 寝台だって普通の一人用が二つ置いてあっただけ。


 それに運ばれて来た家具の中には夫婦箪笥に化粧台や姿見まであったんだよ。 どうして女しか使わない家具までお持ちなの?

 それだけじゃない。 食卓も十人が座れる立派なものだし、応接間にはふかふかのソファ。 つい最近まで独身で、兵舎暮らしだった旦那様が持っているはずのないものばかり。

 家具って普通は結納金を使って妻が買うものでしょ。 でも私はお金を出していない。 つまりこれも全て旦那様が買って下さったんだよね。


「あのう、トビ」

「はい、何でございましょう」

「家具だけど、お金は払ってあるのかな?」

「家具はいくつか旦那様が既にお持ちだった物を除き、全て旦那様の母方祖母である先代ジョシ子爵夫人からの贈り物です」

「えっ。 こんなに沢山? あの、お礼はどうしたらいいの?」

「旦那様の方からお礼は既に申し上げてありますが、奥様からも一言お礼を申し上げたいとおっしゃるのでしたら、お礼状を差し上げるのがよろしいかと存じます」

「じゃ、そうします。 こんなに沢山の食器に調理器具まで戴いたんですか?」

「いえ、そちらは義理の兄上でいらっしゃるヘルセス公爵家継嗣レイ様より戴きました。 もう北軍に戻る事はあるまいとおっしゃいまして」

「そちらもお礼の手紙だけでいいんですか?」

「はい」


 トビがそう言うなら、きっと大丈夫なんだよね。

 これで独身の旦那様が新婚用家具と食器を沢山持っている疑問は解けたけど、贈り物としては随分高額だと思うんだけどな。 こんな高級品を買った事のない私にはいくらしたのか想像もつかない。

 食器は全部深い青で美しい赤の紋章が入っている。 特注っていうの? 陶器を売っているお店に行ったってその場で買えるような代物じゃないと思う。

 調理器具だって様々な大きさの物が何十もあった。 一つだけ買うならともかくこの数では合計したら相当な金額になるんじゃないのかしら。

 貴族なら結婚祝いに気を張るのが普通、とか? それを聞きたくても私の周りにそんな事が聞ける貴族なんていない。 これから一緒に暮らす人達も旦那様以外は全員平民だってトビが言っていた。 もっとも普通じゃないと分かったからって私にはどうしようもないんだけど。


 ところで引っ越した日に旦那様の部下のマッギニスさん、これから同居する事になるリスメイヤーさん、メイレさん、フロロバさんに紹介してもらった。

「奥様、初めてお目にかかります。 オキ・マッギニスと申します。 何卒お見知りおきを」

「リネです。 こちらこそよろしくお願いします」


 はあー。 リッテルさんもりっぱな兵士だけど、この人は又、何と言うか。 とびっきりの貴公子だよね。 高貴な雰囲気が漂うって感じ。

 この人を怒らせたらトビを怒らせるのとは別の意味で怖いだろうな。 それに何だろ。 このすーっと背中を走る寒気……。

 冷気をしょっているだなんて。 すごいよね。 こんなあり得ない人まで旦那様の部下なんだ。

 一体旦那様って、どれほど規格外れの御方なんだか想像もつかない。 この人以上に怖い人だったらどうしよう? ちょっと見た限りではマッギニスさん以外は普通の人みたいだけど。


「奥さん、薬師のケマ・リスメイヤーです。 よろしくお願いします。 薬の御用命があったら何でもお訊ね下さい。 得意分野は毒薬です」


 ど、毒薬? それが得意分野? それってなんか変じゃない?

 それに旦那様って弓部隊の小隊長じゃなかったの? どうして薬師が部下なんだろ?

 毒薬っていうのは兵士なんだし、戦いではそういうものを使う場面もありなのかな。 でも……。

 ひょっとしてリスメイヤーさん、普通なのは見かけだけだったりして。


「医師のルア・メイレです。 妊娠出産関係は専門ではありませんが、普通分娩なら何度か経験した事もあります。 安心してお任せ下さい」


 ひ、ひえーっ! こ、この人が私のお産の面倒を見るの? お産婆さんじゃだめ? 男の人にお産を助けられるなんて勘弁してほしいんですが!

 顔どころか体中が熱くなった。 ぎゃーっと叫んでこの場から走って逃げたいと思ったけど、いくらなんでも初対面の場から走り去るなんて。 相手に失礼でしょ。 ぐっと腹に力を入れて踏ん張った。


「ばか、メイレ。 やる事やってもいない内に、いきなり出産とか普通分娩とか、びびるだろ。 

 奥さん、御心配なく。 こいつはちょっと変わってる奴ですが、医者としての腕は確かですから。 

 俺の名前はパイ・フロロバです。 料理担当ですので、お好きな物とか嫌いな物があったら何でも言って下さいね。 今晩は奥さんの歓迎会です。 ごちそうですよ。 期待して下さい」

「は、はい……」


 フロロバさんの言葉で私は何とか気を取り直した。 最後は正真正銘の普通の人だ。 よかったあ。

 早速フロロバさんは台所で片付けたり掃除したりし始めた。 そうだ、夕飯を作るの手伝わなきゃ。 ぼーっと突っ立っている場合じゃない。

 広い台所だけど食材の山。 美味しそうな物が所狭しと置かれている。 台所には水場が二カ所あった。 これって中々便利だよね。 その一つを使って野菜を洗い始めたんだけど、そこでふと気がついた。


「あのう、フロロバさん」

「はい、何でしょう?」

「この野菜や肉や魚を買うお金、どうしたんですか?」

「ああ、御心配なく」


 そう言っただけで、フロロバさんはさっさと料理に取りかかった。 そりゃ心配するなって言うなら心配しないけど。 ほんとに心配しなくてもいいの?

 旦那様が払っていらっしゃるのかな? でも今、旦那様はいないのに。 

 つけがきくとか? つけだとしても、いつか払わなきゃいけないもんでしょ。 フロロバさんの様子じゃ払う気全然ないみたいに見えるんだけど。

 トビが払っているはずはない。 以前トビに、旦那様のお財布をお預かりしているの、と聞いた事があるんだよね。 その時、そのような事はございません、旦那様は常に御自分の財布をお持ちです、と言ってたし。


 こんなに沢山の食材が全部ただって。 どう考えても普通じゃないよね?

 ……フロロバさんは普通の人って思ったの、もしかして間違ってた?

 ま、詳しい事は後で聞けばいいか。 とにかくこれからはこの人達と一緒に暮らしていくんだもの。 仲良くしなくちゃ。

 メイレさんには度肝を抜かれたけど、医者相手に恥ずかしがっても仕方ないし。 他の人達にも驚いたけど、今はまだ初対面でお互いをよく知らない所為もあるでしょ。 少々変わっているくらい、その内慣れるよね。


 あ、それより旦那様って部下の人達から見たらどんな上官なのかな?

 毎日ほとんどの時間一緒にいるんだから、皆さん、きっと旦那様の事をよく知っているよね。 それで夕飯の時に聞いてみた。 それぞれこんな答えだった。


 リッテルさん 「一言でいえば天然だな、ありゃあ」

 マッギニスさん 「知略の根幹を御承知の方と申せます」

 リスメイヤーさん 「薬草をぱっと見つけてくれる便利な人、かな」

 メイレさん 「生気のオーラが眩しい人です」

 フロロバさん 「あんなにのせられやすい人って珍しいよね」


 一人の人間がこんなに違う言われ方するなんてあり得るの?

 マッギニスさんの言った「ちりゃく」と「こんかん」の意味がちょっと分からなかったから、後でトビに聞いとかなきゃいけないけど、旦那様を尊敬してるっぽい。 この中で一番賢そうなマッギニスさんから尊敬されているだなんてさすがは旦那様。

 それにしては他の部下の人達から尊敬されてるって訳でもないような。 上官をつかまえて天然とか、便利とか、のせられやすいとか、言う?

 それに生気のオーラが見えるって。 それも何だか。


 これが北軍兵士の普通って、そんなはずないよね?

 まあ、部下の人達が普通じゃなくても別に旦那様の所為じゃないとは思うけど。

 もうちょっと普通っぽい部下っていなかったの?


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