栄誉礼
御成婚式の後、皇太子殿下からまた感状を戴いた。 師範とヘルセスと俺にそれぞれ。
師範とヘルセスはともかく、俺まで戴いていいのかな? あの場にいたというだけの俺にまで、と恐縮しないでもなかったが。 後で絶対役に立つ事があるから戴いておけ、と将軍からのお言葉があったので有り難く頂戴した。
これでまた昇進とかなったら困るんだけどさ。 そしたらカルア将軍補佐が、昇進は頃合いを見るから心配するな、とおっしゃって下さったので安心した。
そうこうしている内に軍対も無事に北軍勝利となって終わった。 狂喜乱舞したいのは山々だが、それを皇都にいる今、あからさまにやるのはまずい。 近衛を刺激する。 という訳で、全面的に自粛するようお達しがあった。 祝賀会の類は全て北に帰ってから、という事らしい。
とうとう明日は北へ帰るという日、ヘルセスが俺の部屋に来た。 そして俺達と一緒に北には帰らないと言って除隊依願書を差し出した。
「皇都では誘拐事件に対する審議が開始した。 それを最後まで見届けるつもりでいる」
「そうか。 寂しくなるな」
「寂しい?」
「うん。 きっと他のみんなも寂しいと思う。 口には出さないかもしれないけど」
「せいせいする、の間違いではないのか?」
真顔でそんな事を言う。 どうやらヘルセスは本気でそう思っているみたい。 俺はちょっと呆れて言った。
「ヘルセス。 お前、自分がどれだけの事成し遂げたか分かっていないだろ?」
「成し遂げた、と言われるほどの事は何もしていない。 賊を追い払った事でさえ其方と猛虎の勇名のおかげであった。 私一人では殺されて何の役にも立たなかったであろう」
こいつ、賢い割にちっとも分かっていないんだな。 ここは一つ、ちゃんと言っておかないと。
「ヘルセス。 いいか? お前の知らせがなければ俺達はあの場にいなかった。 王女様が誘拐されていたら問答無用でお出迎え責任者の首が飛んでいたはずだ。 お前は師範の命を救ったんだ。
それにいくら誘拐はされなかったと言っても、お前の侍従がいなけりゃ皇都までの道すがら無礼や不手際があって、後でそれを責められただろう。 今回のお役目についたみんな、それをよく知っている。 何よりお前がやってくれた事はどれも自分から進んでやってくれた事だ。
北軍はお前に助けられた。 師範も、みんなも、俺も、それを忘れるなんて、ぜーーったいにない。 お前にとっては、ただ皇太子妃殿下のためにやった事に過ぎなくても」
俺の最後の一言を聞いたヘルセスの瞳に驚きが浮かんだ。
そりゃ俺は鈍いさ。 でもいくら鈍い俺でも分かる。 ヒーロンで妃殿下の瞳が喜びで輝いたのは本物の出迎えが現れたからじゃない。 その出迎えの中にお前がいたからだ、て事くらい。
そして妃殿下が御到着になって以来、お前の能面笑顔が心からの笑顔に変わった。 それが誰のおかげか聞くまでもないだろ。
するとヘルセスが居住まいを正して頭を下げた。
「サダ。 そなたに謝っておかねばならない事がある。 私はヒーロンで入国の許可を戴いていると嘘を吐いた。 越境すれば死刑と知りながら、そなたらの無知につけ込んで付いて来いと言ったのだ。
皇太子妃殿下の温情により青藍の騎士の称号を戴き、それによって越境が問題にされる事はなくなったが。 それなくば死は免れぬ所であった」
「なんだ、そんな事を気にしていたのか? その嘘のおかげで検問所の兵士を殺して越境するという余計な罪を犯さずに済んだんだから別にいいじゃないか。
第一、俺達は死刑になると知っていたって越境した。 だってそれしかあの場合やりようがない。 だからもし本当にそうなったとしても気にするなよ。 俺も師範も後悔していない。 騙されたとも思わない。 お前の機転のおかげで皇太子妃殿下をお救いする事が出来たんだ。 お前は正しい事をした、と胸を張っていろ」
しばらく無言でいた後ヘルセスは瞳に不思議な覚悟の色を浮かべて言った。
「其方と兄弟の契りを交わせたこの僥倖、誓って粗略には扱うまいぞ」
うーん。 この命を懸けたみたいな顔のヘルセスに向かって「ぎょうこう」ってどういう意味、とか聞けない。 まあ、いい意味である事は確かだろう。
ほんと、大貴族ともなると何を言うにも一々大げさで困る。 それともこれから行われる審議って、ヘルセスをこんな真剣な顔をさせるくらい難しいものだったりするのかな?
確かに、変と言えば変だ。 王女様を誘拐しようだなんて大事件だろ。 いくら未遂に終わったって。 なのに黒幕がまだ捕まっていない。 黒幕どころか誘拐犯さえ見つかっていないんだ。 皇王族に何かあると直接の責任はなくてもとばっちりを食らって処罰される事はよくある話なのに。
誘拐犯を捕まえられなかったら捕まえられなかった人が処罰されたり、とか。 そして誘拐未遂なら、なぜそんな事が起こったのかが調べられ、起こる事を止められなかった人が処罰されたりする事だってある。
ところがそれらしい噂は聞こえてこない。 改めて考えてみれば皇太子殿下暗殺未遂事件だって、あの傭兵達を雇った奴は誰だったのか俺は今でも知らない。 そもそも事件が世間に公表されていないんだ。 デュガン侯爵、て噂は聞いたけど。
サガ兄上が言っていた。 原因が皇王族の誰かにあるとか、皇王族の誰かが犯人か、犯人の中の一人である場合、何の審議もないんだって。 今回もそれ? もしそうならうやむやになって誰がこの誘拐を計画したのかさえ突き止められないかもしれない。 でもこんな大事件の犯人が捕まらないのは、すごくまずいような。
なぜか急に不安になった。 あんまり無理をするなよ、とヘルセスに言いそうになったが、それを口に出す事が出来ない。 ヘルセスの命懸けの覚悟が北軍を救ってくれる、そんな予感みたいなものを感じて。
翌日、ヘルセスが除隊したと知った二百名の北軍兵士は出発前に栄誉礼を贈った。
「ヘルセス公爵家継嗣に捧げる剣!」
ポクソン中隊長の掛け声で剣を打ち鳴らす音が新年の空高く響き渡る。 軍太鼓とラッパの音に合わせ、一糸乱れず行進する北軍兵士。 先頭に立ったポクソン中隊長が号令をかけた。
「栄えある北軍兵士、レイ・ヘルセスに、敬礼!!」
きびきびとした動きで一人ずつ歩み出て敬礼し、通り過ぎる。 それを受ける北軍儀礼服を身に付けたヘルセス。 どの兵士も普通の栄誉礼にはない一言を付け加えた。
「再会を待つ!」
静謐な表情で受けるヘルセス。 潤む瞳だけが彼の感動の全てを語っていた。
「見よ、あの美しさを。 儀礼とはかくあるべし」
オラヴィヴァがヴァンチュウに囁いた言葉が聞こえる。
は、初めて褒められちゃった! 後でみんなにちゃんと知らせなきゃ。 誰にも信じてもらえないかもしれないが。
最後に師範が言った。
「再会を待っているぜ、兄弟」
頬に伝う涙をそのままに、ヘルセスは師範に向かって北軍新兵が上官に捧げる最敬礼を返した。
胸の熱くなる見送りを背に受け、俺達は帰る。 北へ。
溢れんばかりの喜びを胸に抱いて。
追記
ハレスタード皇太子殿下御成婚翌年より、ヘルセス公爵軍は毎年精鋭騎士二十名を北軍へ強化訓練に送るようになった。 次第にヘルセス公爵軍剣士の強さが巷間で喧伝され、それに刺激された他の公爵軍が同様の訓練を開始した。 それが後年「皇国軍史詳細」に「皇国軍ト公爵軍ノ交流ハ、ヘルセス公爵家継嗣ガ北軍ニ入隊セシヲソノ始マリトス」と記載される所以である。
「公爵家継嗣」の章、終わります。




