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弓と剣  作者: 淳A
公爵家継嗣
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嫁入り  リネの話

 年の瀬、北軍兵士のリイ兄さんから父さんに珍しく手紙が届いた。

「リネ、お前の嫁入り先が決まったぞ」

「え?」

「ほれ、読んでみろ」

 そう言って父さんが差し出した手紙には確かに私が入籍したと書いてある。 筆無精のリイ兄さんだけど偶に手紙で近況を知らせてくるから筆跡も本人で間違いない。

 だけど相手が六頭殺しの若って。 嘘でしょう? やむにやまれぬ事情があって?

 それがどんな事情か一言も書いてないってどういう事よ? まさか私を喜ばせようとして書いたでたらめ?

 この村で私が若様の大ファンである事を知らない人はいない。 六頭殺しの若様は初めて噂で聞いた時から私の憧れなの。 だってー、十八歳でオークを六頭も射殺したのよ? すごいじゃない!

 リイ兄さんが御前試合で優勝したとか、やれ昇進したの、オークを倒したのと聞いたって、村では評判になったけど、私はへーと思っただけ。 でもある日若様の御実家から私の家に美味しいお饅頭が沢山送られてきた時は、おおっと目を見張っちゃった。 これって若様がオークを倒した時、その場に居合わせて助けたとかいう御縁のおかげ?

 よく分かんないけど、リイ兄さんが若様みたいな有名人から贈り物をもらうくらい出世した、て事で間違いないよね。 そこで初めてすごく感心した。


 今年は「六頭殺しの若に捧げる歌」が大流行したでしょ。 とってもいい歌だから私もつい気合いが入ちゃって。 近所迷惑になるのも気にしないで歌いまくった。 歌い過ぎた事は私も認めるけど、リノ兄さんたら、何も父さんにまで告げ口しなくたっていいのに。 リネのやつ、若様に熱を上げてる、て。 なもんだから、嫁入り前の娘がそんな雲の上の人に惚れてどうするとか散々小言を言われちゃった。

 いいじゃないのよ、ねえ。 若様の所へ押し掛け女房に行こうとしている訳じゃあるまいし。 私を貰ってくれる奇特な人がいるなら相手が誰だって文句なんか言わずに嫁ぐわよ。

 そもそも相手がいないのは私の所為じゃないもん。 そりゃ美人って言われた事はないけど、体には自信がある。 御近所さんから、リネちゃんは働き者でよく気が利く、て言われているんだから。

 農家の嫁って大切な働き手だ。 私の兄がリノ兄さんだけなら私を嫁に欲しいという人はいくらでもいたと思うんだよね。 だけど一番上の兄は北の猛虎と聞いただけで、みーんなびびっちゃう。

 はっきり言ってその気持ちも分かるの。 リイ兄さんはどっからどう見ても危ない人だ。 入隊したっきりもう七年も会ってないけど、一度でもあのぎらつく視線に睨まれたら一生忘れるもんですか。 二度目を味わうなんて真っ平御免と思われたって仕方ない。

 それでも入隊してから鳴かず飛ばず、ならみんなもその内忘れてくれたんでしょうけど。 北の猛虎と言えば今じゃ知らない人はいないし。 虎と親戚になりたい物好きなんてどこにもいやしない。

 そこら辺の事情は父さんも分かっているからあんまり五月蝿い事は言わないんでしょ。 とは言っても私はもう二十。 この辺りの娘は大体十五、六になれば嫁ぐから二十過ぎたら嫁き遅れ。 やばいって言えばやばいお年頃。


「ちょっと、リノ兄さん。 父さんだけじゃなくリイ兄さんにまで余計な事を言ったの? これって私に目を覚ませ、というつもりでリイ兄さんが書いて寄越した冗談なんじゃない?」

 自分で口にしておいて、それはあり得ないと思ったけど。 父さん、母さん、リノ兄さんがお互いの顔を見合わせる。 おてんと様が西から上った訳でもないのに、そんな事ある訳ない、とどの顔も言っていた。

 細かい事にはこだわらない性格をしているピピ義姉さんが言った。

「兵隊さんには陽気な人が多い、て聞くもんね」

 ピピ義姉さんはリイ兄さんが入隊した後、他の村から嫁に来た。 だからリイ兄さんに会った事は一度もない。 正直に言っちゃえば、もしピピ義姉さんがリイ兄さんに一度でも会っていたら絶対リノ兄さんのお嫁に来てはくれなかったと思う。

 リノ兄さんが呟く。

「生まれてこの方、リイ兄が冗談を言っているのを聞いた事はないんだがな」

 ピピ義姉さんが明るく言う。

「北軍に入って冗談を言うようになったのかもよ」

 いくら人は変わると言ったって羊が馬になる事はないし、ウサギが亀になる事だってないよね。 リイ兄さんが冗談? それより犬が空を飛んだ、て事の方がまだ信じられる。 もちろんそんな事、怖がりなピピ義姉さんに言ったりしないけど。

 何事にも現実的な母さんが心配そうな顔をして言った。

「それよりさ、六頭殺し、て確か伯爵家の若様なんだろ? 勢いで入籍したはいいけど、御実家の方から別れろと言ってくるんじゃないのかね?」

「でもほら、ここに伯爵様から御祝儀を貰った、て書いてある。 別れさせたいなら手切れ金とか口止め料、て言うんじゃない?」

 そう私が言っても母さんはイマイチ納得出来なかったみたいで。

「嫁じゃなくて妾の間違いじゃないのかねえ」

 それに父さんが首を振った。

「妾なら入籍しねぇだろ。 奉公先が決まった、て書くはずだ」

「じゃあリネの嫁入り、決まり、て事で」

 リノ兄さんがそう締め括った。


 あまり深く悩む性格をしていない我が家の面々は私の嫁入り支度をし始めた。 ゆっくりと。 春までには先様の気持ちが変わるかもしれないし、と口には出さなかったけど。

 それに若様は新年半ばに第一駐屯地に帰っていらっしゃるんだって。 その辺りから二月一杯はすごく寒くて旅なんか出来ない。 私が嫁に行くのは早くて三月半ばか四月の初め辺りでしょ。 そう思っていたら新年に若様の従者でトビさんという人が訪ねて来た。

「奥様、そして御家族の皆様、お初にお目にかかります。 私は旦那様に仕える従者でトビ・ウィルマーと申す者。 何卒よろしくお願い申し上げます。

 御迷惑を顧みず奥様の御実家まで参上致しましたのは他でもございません。 旦那様が奥様好みの家を買いたいとおっしゃいまして」

 どひゃーっ。 さすがは伯爵家の若様。 新婚早々、ぽんと家が買えちゃうんだ!

「購入前に奥様のお好みがどういったものかを伺いたいと存じます。 また、旦那様は奥様とお会いする事を非常に楽しみにしていらっしゃいます。 お引っ越しがいつになるか御予定も伺わせて下さい。 尚、こちらにヴィジャヤン伯爵家からの結納金をお預かりして参りました」

 ウィルマー様はそう言って分厚い封筒を差し出した。 とてもきれいな紙で家紋みたいな印が入っている。 表に結納金と書かれていた。

 父さんが受け取って開ける前に裏をひっくり返して見たら百万ルークと書いてある。

「「「「「百万!!」」」」」

 みんな一斉に声を上げた。

 うわああ。 信じられない! 家を買う、て話だけでも驚いたのに。 一万ルーク札なんて今日生まれて初めて見た。 それが百枚よ。 百枚!

 これを見て初めて自分が玉の輿に乗ったんだ、て事を実感した。 村一番の美人でお金持ちの所にお嫁に行ったメイちゃんの結納金だって八万ルーク。 それだって、さすが美人は貰う額が違う、とみんなで噂したのに。 ここらの相場は五万がせいぜい。 都会じゃ十万越えるって聞くけど、貴族でもないのに百万だなんて桁外れでしょ。 まあ、あちらは貴族だけど。

 こんな田舎の村でも平民が貴族の妾に望まれる事がなかった訳じゃない。 でも支度金は貰えて十五万とか、そんなもん。 おまけに先様に相応しいようなあれこれを揃えなくちゃいけなくて、結局足が出ると聞いたし。 だけど百万なら足が出るなんてちょっと考えられない。 これって貴族同士が結婚する時の結納金としても破格なんじゃないの?


 みんな息を呑んで何も言えないでいる。 珍しく父さんが口を切った。

「リネ。 こりゃゆっくり嫁入り支度なんかしている場合じゃねぇ。 寒さがきつくなる前に出発した方がいい。 こんな田舎で嫁入り道具を買い揃えて持って行くより、あっちで買った方が立派な物が手に入るだろ。 鍋釜だって。 それに家を見たり家に合った家具を買ったりせにゃ」

 そう父さんが言うと母さんが頷いた。

「せっかく従者さんがここまで来て下さったんだしさ。 ついでに第一駐屯地まで連れて行ってもらえば安心じゃないか」

「でも寒さがきつくなる前、て。 それじゃ今すぐ出発する、て事にならない?」

「やれる、やれる。 お土産と身の回りの物だけ持っていき。 他はみんなあっちで買えばいいんだから」

 あのゆっくりしたペースでやっていた荷造りが嘘のよう。 ばばばばっという勢いで三日で片をつけた。


 出発前にまず父さんが言った。

「ま、うまくいかん時はいかんもんだ。 そんときゃ我慢せず帰って来い」

 次に母さん。

「ややこは早めに作っとくんだよ。 いつ追い出されるか分かったもんじゃないんだし」

 リノ兄さんには念を押された。

「そん時はちゃんと貰うもの貰ってくるんだぞ」

 ピピ義姉さんからは激励の言葉。

「最初の三ヶ月が勝負よ」


 どれもありがたく聞いておいた。 いずれ蹴り出されるとか言われなくたって覚悟している。 みんな私の事考えての言葉なんだし。

 相手は貴族の若様だもの。 いずれちゃんとした所から奥様をお迎えになるんでしょ。 私はそれまでの繋ぎ。 それでなくたって何の取り柄もない農家の娘なんか、いくらもしないで飽きられる。

 そんなの全然かまわないもん。 若様と一度お会いするだけでも話の種になる。 村の誰にだって自慢出来る事よ。 それがなんと、一晩を共に過ごせるだなんて!

 嬉しくて、きゃーっと大声で叫びたいぐらい。 地声が大きい、ていつも文句を言われているから本気で叫んだりはしないけど。 私にとってこれは世界の果てまで行く甲斐がある、ありがたいお話だ。 逃してなるもんですか。


 これからは若様の事を旦那様と呼べるんだ。 うふふ。

 もしかして、旦那様の子供を授かるかも? うきゃー。

 ひょっとしたら乳母として雇ってもらえるんじゃない? お乳は私があげてもいい、とお許し下さるとか? おおっ。

 そしたら、そしたら! その子が大きくなるまで旦那様のお側に置いて戴けたりして!!

 夢がどんどん膨らんで行く。

 でも、旦那様に嫌われたら?  ……へこむかも。 ううっ。


 微かな期待。 大きな不安。 隠しきれぬ喜び以外は身軽なまま、私は第一駐屯地に向けて旅立った。


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