軍対抗戦 ウェイドの話
「いいツラだ」
何の合図も無く、いや、その一言が合図だったのだ。 猛虎が道場を揺るがす咆哮と共に襲いかかってきた。
所狭しと縦横に飛び跳ねる猛虎の剣。 受ける、払う。 そして、打ち返す。 全身に伝わる一撃。
ががーーん。 ががーーん。
強烈な鋼の音が耳を劈く。
師範にはどうしても力負けしてしまうが、今日の私は師範の連続攻撃に立ち向かい、粘りに粘った。 どれだけ持ちこたえる事が出来るだろう?
以前は一瞬で片がついた。 去年辺りから段々堪えられるようになり、一分、二分と続くようになった。 これが始まると、一秒が永遠であるかのように感じられる。
それなら私は今まさに永遠を生きているのだ。 この稀代の剣士に出会え、打ち合え、高められていく喜びが私を満たす。
二ヶ月ぶりに師範に付けてもらった稽古の後、滝のように流れる汗を拭っているとポクソン中隊長が近寄り、師範にお声を掛けた。
「中々の仕上がりじゃないか。 かわいい剣士には旅をさせろ、を地でいく出来ばえだ。 銀狼に揉まれたのが大分効いたようだな」
師範が頷きながら答える。
「元々銀狼とウェイドの間に圧倒的な差はない。 力が少し上の相手との手合わせする方が、あっさり負ける勝負より学ぶ事が多いのは当然なのかもしれん。 もっとも力が少し上の練習相手なら百剣の中に何人もいるが」
「百剣と銀狼では流儀が違う」
「うむ。 これほど上達したのはそれが一番の理由なんだろう」
長年数多くの傭兵や他国の剣士とも戦ってきたノボトニー殿の防御は、北軍で、いや、北軍に限らず私がかつて見た事がなかったものだ。 彼は強い。 だが彼の強さは師範のそれとは全く違う。
師範も予想外の動きで私を翻弄するが、攻撃中心で防御を気にしない。 相手をあっという間にねじ伏せるから防御は気にしなくてもよいのだ。
ノボトニー殿は今まで一度も見た事がない技であろうと効果的に防ぐ。 彼の防御術を学んだおかげで隙のない相手に隙を呼び込む余裕が生まれた。
師範が私をぎろっと睨む。 思わずびびった。
「おい、ウェイド。 褒められたからっていい気になるなよ。 早々と勝った気になるんじゃない」
「勝った気? 何ですか、それは。 勝った気になど、なっておりません」
「いーや、なっているぜ。 びんびんになっている。 それはいい。 今はそれでいけ。
だが本番はグレッテだ。 それじゃあいつに勝てん。 あいつとやる時はな、勝つ気で向かうんじゃない。 絶対負けぬ気で向かうんだ」
それはどういう意味、と思わず聞き返しそうになったが分かるような気もした。 師範の剣は意外を、一撃必殺を狙う。 師範の一撃を返せる者はそういない。 だからどれ程自分に隙を作る大技であろうと大抵そこで勝負がつく。
師範の剣を真似ようとはしていないつもりだが、やはり無意識に真似していたのだろう。 私は派手な勝ち狙いの大技を仕掛けてばかりいた。 それは決まらなかった時に隙を作り、そこを狙われて負ける。 師範にはどうせ勝てない。 負ければまた挑戦するだけだ。
稽古では負ける事を気にしないで済むが軍対抗戦でやり直しはない。 仕切り直しも。 三本勝負。 先に二本勝った方が勝ち。 二本負けたら後はない。
デュエインの時は近衛大将ピテルコが一本、次にデュエインが一本を取り、三本目が時間切れで引き分けとなった。 最初の一本に負けたとしてもそれで終わりではないが、一本ぐらいと思ったらグレッテには勝てない。 それを許してくれるような相手ではない、という事だ。
それでなくともノボトニー殿との稽古では思い知らされた。 傭兵の剣は命のやりとり。 負けたら死あるのみ。 最初の一本。 次はない。 その気迫で臨む事が勝機を生む。 たとえ相手の技量が自分より上であっても。
残り一ヶ月。 私は隙を作らない事に重点を置いた稽古をした。
そして軍対抗戦当日。 広大な会場を揺るがす大歓声が剣士達を迎えた。
皇王族の方々が次々と御入場になり、新婚の皇太子殿下御夫妻が入場すると一際大きな歓呼の声が上がる。 最後に両陛下の御臨席を仰ぎ、試合が開始した。
東西南軍と対戦した時はいずれも私の出番はなかった。 北軍と近衛が例年のように勝ち進み、近衛も大将の出番はないまま迎えた最終戦。
先鋒、引き分け。
次鋒、引き分け。
中堅、引き分け。
副将、引き分け。
一戦、一戦、引き分けとなる度に興奮した観客の歓声が膨れ上がっていく。 そして遂に大将戦となった。
こいつがグレッテか。 すさまじい殺気が私の全身を包む。 だが師範の殺気に慣れている私にしてみれば何でもない。 殺気を比べても仕方がないが、この程度では師範どころかノボトニー殿を上回る事さえないだろう。
私は静かに受け流す。 音が消える。 全ての音が私の周りから消えて行った。
ぐわん。
最初の剣戟の音と同時に派手な火花が場内に散った。
さすがは近衛大将。 受け止める剣の重さ。 息を継がせぬ剣の速さ。
それでも負けるものか。 私はそれにぴったり付いていく。
受けて返し、相手の隙を辛抱強く窺った。 外さない。 ただ一つとして外さない。
隙だ。
「一本! 北軍大将ゲン・ウェイド!」
審判の声が上がり、どっと沸き上がる歓声に大会場が揺らぐ。
グレッテが更に熱くなったのが分かる。 こんなはずはない、これは何かの間違いだ、とその目が言っていた。
二本目開始と共に、ぐわああんと、まるで銅鑼を叩いたかのような鋼の音が響き渡った。 師範の剣とも見まごう重さの一撃が腹に響く。
それがどうした。 師範の剣を毎日受けて持ちこたえている私がこれを受け止め損ねる事はない。
がきん、がきん、と息をも吐かせぬ速攻が続く。 ここで私がやるべき事はただ一つ。 外さない。
私は、負けない。
胴だ。
「一本! 勝者、北軍大将ゲン・ウェイド!! この勝負、北軍をもって勝ちとなす!」
師範、やりました。 遥か彼方に座るその人に向けて、ただ一言報告する。
主審の下した審判の後の大歓声に包まれ、私の囁きが師範に届いたはずはない。 ましてや師範の声が私に届く訳もないのだが。 まぎれもない師範の声が聞こえた。
「よくやった」




