表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
弓と剣  作者: 淳A
公爵家継嗣
102/490

旅の思い出  プラシャント王女付き女官の話

 お部屋に付いている南東向きのテラスで一時の御休息をなさっていらしたプラシャント王女様が、くすっと思い出し笑いをなさった。

 明日は晴れの御成婚式。 冬とは思えぬ程日差しが暖かい。 これなら明日のお天気も大丈夫と思われる。 全ての準備が無事終了し、緊張が解れ、道中の楽しい思い出を辿っていらっしゃるのだろう。


 なんと快適な旅だったことか。 誘拐未遂はあったものの、それはすぐ忘れる事が出来た。 一度も訪れた事のない外国なのだ。 不便や不快な事の一つや二つは覚悟していた。 誘拐もあり得る事件の一つであったから余りにあっけなく片が付いた事に内心驚いていた程。

 これで終わりのはずはないと身構えた所為もあるかもしれない。 それから毎日楽しい旅であった事が余計強い印象となって残っている。 さて、王女様はどれを思い出されているのだろう?


 予期せぬ到着にも拘らず、エダイナにはとても気持ちのよい湯船が用意されていた。 ゆっくりお休みになられた王女様はヒーロンから到着した翌朝、影の一行がエダイナに着くまでの間お出迎えに来たジンドラ子爵令嬢とお話しになり、そこで令嬢も乗馬の名手と分かって馬談義に花が咲いた。

 一行が到着した後、ヘルセス様より今回の皇都入りに関して詳しい御説明があった。 王女様は侍女の格好をして粗末な馬車に乗るという奇策をとても面白がられ、お前達はいつもこのような楽な格好しておったのか、狡いであろうと御冗談をおっしゃった。 王女様の明るい御気分が皆に伝わり、この旅に大なり小なり不安を抱いていた侍女達も安堵の色を深めた。


 馬車に乗ればそこには様々な読み物が置いてあった。 恋愛小説、冒険小説、どれも胸が躍るようなお話ばかり。 だが何と言っても一番の人気はBL小説。 あれは我が国にはないものだ。 単に知らずにいただけなのかもしれないけれど、王女様はもう夢中でお読みになっていらした。

 ジンドラ子爵令嬢のBLに関する知識は相当なもので語らせたら留まる所を知らず。 お手持ちの蔵書にはまだ沢山この旅行には持って来れなかった名作があると言う。 それらを皇太子妃殿下用図書室に寄贈する事をお約束してくださった。 もう、お付きの侍女達まで大喜び。


 道筋にある貴族の邸宅で数々の歓待を受けたけれど、それよりも楽しかったのは部隊が野営した時披露された剣士の歌や踊りだ。 それはそれは息をのむほど見事な剣舞。 そして思わず王女様の瞳を濡らしたフェラレーゼの歌。 秀逸で笑うあまり涙が出た物真似。 あの「近うよれ」はたまらなかった。 ヘルセス様御本人は憮然となさり、似ておらぬ、と呟いていらしたが。

 旅の途中のお食事は全てその土地の食材を使い、どれも新鮮な上にとても美味しかった。 さりげなくフェラレーゼの調味料が使われた鳥や魚は比べては申し訳ない気もするけれど、自国の料理長を上回る。 旅の空にあって充分な器具さえなく調理されたとは思えない鮮やかな出来映えだった。 そういった濃やかな心づくしの一つ一つが王女様のお心の琴線に触れたように思う。


 今回のお出迎えが中隊長、しかも平民であると聞いた時、祖国にはフェラレーゼを軽んじているのでは、と憂慮する者がかなりいた。 ただその中隊長が我が国にさえ勇名轟く北の猛虎であるという事で、剛勇が理由で選ばれたのであろうと渋々ながら納得したのだ。

 とは言え、弱冠二十五歳。 お役目を仰せつかってからいくらも日にちがなかったと聞いていたし、細部には行き届かぬ事も多かろうと思っていた。

 お付きの侍女達には猫のいる馬車も大人気だった。 かわいらしいにゃんこ達にとても癒やされたのだけれど、この旅にはお毒味役として連れて来たのだとか。 体が小さいので少量の毒でもすぐ分かりますから、と。 老練な宮廷侍従も顔負けの心配り。 心中密かに舌を巻いた。

 そして噂に違わぬ北の猛虎のあの威容。 彼に従う剣士のほとんどはかなり年上の方ばかりとお見受けしたが、タケオ中隊長に向ける畏敬の眼差しは年下の者を見る目ではない。

 早朝の稽古を拝見する機会もあった。 王女様は見事なお腰の業物を操るなんとも鮮やかな剣捌きに感嘆のため息を漏らしていらした。 珠光と名付けられた剣は陛下の剣と比べても遜色はない美しさ。 それでいて豪壮。 あれを抜かれては賊が即座に逃げ出したのも無理からぬ事。 まさに一騎当千。 この剣士に挑むなど余程の命知らずであろう。 

 しかも道筋という道筋には数えきれないほどの警備兵が切れ目なく配置されていた。 あれはもう数万を越えていたのではないだろうか。 お出迎えがたった二百の兵と聞いて抱いていた警備の不安が跡形もなく消え去った。


 とは言いながら。 この御成婚が王女様にとってつらいものでなかったはずはない。 それを匂わせるような泣き言の一つ、どなたにも漏らす事などなかったけれど。

 ヘルセス様とは乗馬という共通の御趣味を通じ、御友情を育まれた。 お二つ違いでお似合いのお二人でいらっしゃる。 公爵家継嗣という出自に不足があったという事ではない。 皇国皇太子殿下の配偶者の打診があった時、王室未婚女性で相応しい年齢は王女様しかおられなかったのだ。 第二王女様は御年十一歳であらせられる。


 ヒーロンでのヘルセス様の口上を思い返す。 ヘルセス様御本人である事は直ぐに知れた。 たとえ一時であろうと広い西の庭でお二人きりにするなど筆頭女官として到底許される決断ではなかったが。 王女様に生涯たった一度きりのわがままと懇願され、私に否と申し上げる事は出来なかった。

 お側に仕える身でお二人のお気持ちをお察し申し上げるなど畏れ多い。 けれどヘルセス様が王女様を見つめる瞳は切なくも尊き御方の幸せを願う真摯な祈りに溢れていた。 あの瞳の輝きに嘘などあろうはずがない。


 毎日天に捧げていた祈りが届いたのかもしれない。 どうかこの御成婚が喜びに満ちたものでありますように、と。

 不安と共に祖国を旅立ち、誘拐未遂という陰謀もあった。 けれどこのお出迎えの手際の鮮やかさ。 そしてそれが皇太子殿下の御采配と思えば。

 心配性と常々からかわれる私でさえ明日皇国皇太子妃殿下となられる王女様のお幸せな未来を思い描く。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ