結婚報告 若の父の話
「リネ・タケオと結婚しました。」
サダからの手紙を開封すると、ただ一行、そう書いてあった。 まあ、「父上へ」と「サダより」も数えるなら三行だが。
この進歩のなさ。 もう諦めのため息さえ出ない。 内容が慶事である事をまず喜ぶべきなのだろうが。
幸いな事にサダの手紙がどういったものであるか何事にも的確なトビが推察したのだろう。 前後の事情を詳しく書いた報告書が添えられている。
ただトビはメルハウス家の別荘で王女様が御休憩出来るよう準備を申し付けられており、お出迎えの現場にはいなかった。 それでこの急な結婚となった経緯はヒーロンの検問所にいたフロロバが補足してくれていた。
「首領。 これらの手紙は伯爵家関連と皇王室関連、どちらに整理致しましょう?」
私の片腕の一人、アフダルの質問に少し考える。
「伯爵家関連の中にサダ関連が増えているな?」
「はい。 もう一部屋、必要になるくらいかと」
「サダ関連の部屋を作るように。 その下にフェラレーゼ王女様誘拐未遂事件の項目を作成しなさい。 これに関しては未遂で終わったから全てよし、とはなるまい。 これから相当厳しい詮議が行われる。 どのような結果になるとしても黒幕が黙っていないだろう」
「了解。 それにしても次は王女様誘拐未遂でしたか。 大胆にして周到な計画ですね」
「うむ。 成功しなかった事に内心驚きを禁じ得ない」
「もしこれが成功していれば、王女様の御身にお怪我もなく救出していたとしても両国関係を悪化させたのではありませんか?」
「疑いなく、な。 不始末をフェラレーゼに謝罪するため、お出迎え特務隊長である北の猛虎の首は勿論、お出迎えに行った北軍剣士全員の首が飛んだ事態さえあり得た。 彼らの責任ではないにも拘らず。
稀代の剣士を失い、そのうえ百剣まで、となれば北軍弱体化は避けられない。 そもそもなぜ中隊長などにお出迎えをさせた、無責任極まる、とほとんど独断でこの人事を即決された皇太子殿下の責任問題、ひいては皇王位継承権喪失に繋がったであろう」
「前代未聞の一大事件ですが。 事が事なだけに公式発表はないと思ってよろしいですか?」
「なくとも噂が広まるのに大した時間はかかるまい。 全容を知っているのはディーバだけとしても相当数の貴族がどこかで一枚噛んでいよう。 皇太子殿下がこれをどう解決なさるか、どの貴族も興味津々のはず。 いや、戦々恐々と言うべきか」
「皇太子殿下は暗殺未遂事件も結局不問にしていらっしゃいます。 この事件も首謀者が挙げられぬままでは殿下の権威に傷がつかないものでもありません。 立証は難しくとも同一人物の仕業と疑う事は出来るのですからデュガンを放置なさるとは思えないのですが?」
「証拠がないのに断罪しては殿下に対する心証を悪化させる。 臣下なら、次は我が身、と考えるであろう。 戴冠してからならともかく、今は手順を無視なさってよい時ではない」
「しかし首謀者を不慮の事故死に見せかけて処断する事はお出来になりますでしょう? 或いは脱税等、別の理由をでっち上げて全財産を没収するとか」
「どれを選ぶにしても慎重な配慮を要する。 仮にデュガンを殺した所でそこで終わりとはなるまい。 殿下の戴冠に不安を抱いている臣下は彼だけではないのだから」
「少なくとも誘拐は未遂に終わったのです。 殿下は貴重な時間を稼がれました」
「まさに天の恩寵と言えよう。 この陰謀は成功するはずだった。 北の猛虎の首をついでに飛ばそうとさえしなければ」
「北の猛虎と名乗りを上げただけで賊が逃げた。 となると彼が事件解決の立役者となるかもしれませんね」
「うむ。 世間的には、な。 だが彼がその場に間に合ったのはヘルセスの情報があったからだ。 今回のお出迎えにしてもそこまでする必要があるのかと思う程のヘルセス公爵家の協力があった。 この機会にタケオに恩を売り、自軍に入隊させようという思惑があったからでもあろうが。 この件に関するヘルセスの寄与はタケオの寄与と同じ位大きい」
「しかしヘルセスの協力は金で買おうと思えば買えるものばかりです。 ヘルセスより、更に申せばタケオより、今回の殊勲は若ではないでしょうか。 沿道の貴族の協力、東軍の協力、全て若がいたからこそ提供されたのですし。
加えて、この度の御結婚。 それがなくてはタケオは無許可の出国で死罪を免れない所でした。 それを救ったのは若との姻戚関係。 若こそ何にも代え難い重要な役割を果たしたと言えるのでは?」
爵位を持つ貴族及びその継嗣の婚姻には皇王庁から事前の許可を戴く必要がある。 だからレイ・ヘルセスではタケオの妹とその場で結婚する事は出来ない。 だがそこにはサダが居た。
長い安堵のため息が洩れる。
「一人だけではどうしようもなかった。 偶々三人が一緒に居た、それが皇国の危機を救ったのだ。 幸運な星の巡り合わせと言えよう。 現段階では全ての陰謀が水泡に帰したと安心する訳にはいかないが。
ところでこの事件のあらましはサガにも知らせておくように。 彼の仕事も更に忙しくなるだろう」
「了解」
王女様がお忍びでヒーロンに御到着になる。 サダと共にタケオ、ヘルセス、そして東軍メルハウス中隊長がお出迎えに向かった、という早馬が私の元に到着したのは僅か二日前。 こちらからどうせよという指令を出している時間はなかった。 出した所でサダには届かなかったであろう。 王女様を始めとする全員が無事エダイナに御到着なさったという知らせが届くまで、どれだけ私の寿命が縮んだか知れない。
そもそも何故王女様がヒーロンに向かわれる事になったのか? それは皇太子殿下から「御身の安全を図るため」正規の道筋には影を、御自身はお忍びでヒーロンから入国するように、と書いてあるお手紙を頂戴したからだ。
その証拠を早馬で取り寄せて見れば、確かに殿下の他のお手紙と何ら変わる事がない皇太子殿下専用の便箋を使っていたし、殿下の御署名があり、押印されている。 手紙に付いている通し番号がでたらめだったから私達には偽物と分かったが、受け取る側にそれは分からない。
殿下の便箋は一旦お手が付いたら書き損じであったとしても厳密に管理されている。 しかし何も書かれていない便箋なら盗むのはそう難しい事ではない。 一々数えられていないし、便箋を納品する紙業者の倉庫から盗む事も可能だろう。
それに殿下のお手紙はどんなに本文が短くとも別のページに署名押印するしきたり。 だから誰かが受け取った殿下の手紙の署名押印のみのページを盗み、それを使用する事も出来るのだ。
皇太子殿下は立太子されてから既に十年を数える。 毎日五十通を越えるお手紙をそちらこちらにお出しになっていらっしゃるから、その内のどれが盗まれたかが分かったとしても誰が盗んだかまで知るのは不可能に近い。
今回北の猛虎をお出迎えに指名しては如何、と進言したのはヒエトパス侯爵だ。 彼がこの陰謀を知っていながら奏上した事も考えられるが、知らずに使われた駒かもしれない。 自分は皇太子殿下派と見られたいがために踊らされたか。
それより問題なのは殿下がタケオを指名した時、その場にいた者誰一人反対しなかったという事だ。
普段儀礼に関係する任務の全くない北軍が王侯貴族警護の訓練を受けているはずはない。 兵士に悪気はなくともフェラレーゼの習慣に無知な所為で王女様、或いはお付きの誰かが兵士の無礼をお怒りになる事態が起こり得る。 それらは容易に予想出来る事であるにも拘らず、殿下をお止め申し上げる者が一人もいなかった。 皆夫々胸に一物あったからだろう。
貴族は娘を陛下の側室に、と望んでいる。 妃殿下の座は逃しても寵妃の座は空いていると思えば、お出迎えの躓きがお二人の不仲に繋がるのは嬉しい事だ。 今回の婚姻によってフェラレーゼとの友好関係が盤石となるのを喜ばない者もいる。 新年の軍対抗戦がらみで、これで近衛の勝ちを確固にしようと考える者もいたはず。
ほとんどの者は誘拐などという大それた事が裏で企まれているとは知らずにいたのだろうが。 北の猛虎やサダの首が飛ぶ事態になる事を承知で陰謀に参加した者は少数だったと思いたい。 つまり皆自分の思惑しか考えなかったために皇太子殿下の失脚を画策する者に踊らされたという訳だ。
せめてヘルセス公爵かカイザー公爵がその場にいれば、それは少々審議の要あり、と殿下をお止めしてくれただろうが。 不運な事にその日はお二人共会議に欠席していた。 いや、それさえ相手の計画の内だったのかもしれない。 デュガン侯爵も欠席していたのだから。
カイザー侍従長と私は御前会議に出席する事は許されていない。 会議の後、決定事項を知らされるだけだ。 未決事項ならともかく、決定後では殿下に撤回させる事は出来ない。
皇太子殿下相談役という役職名こそ拝命したものの殿下が私に相談なさった事はないし、私から助言らしい助言を申し上げた事もない。 悩ましい案件なら山のように抱えていらっしゃる御方だ。 このうえ殿下の懊悩を増やしたい訳ではないが。 即断即決は必ずしも良い結果を生み出さないという事を、この際徹底的に御理解戴く必要がある。
私はすぐ皇太子殿下へ報告しに行った。
「殿下。 王女様はヒーロンから無事にエダイナに到着したとの連絡が届きました」
「彼女が誘拐未遂事件をどのように受け止めたか分かるか?」
「傍目には御満足戴いているようです」
「胸の内を悟らせるような迂闊な真似はせぬであろうしな」
「王女様の御心情だけでなく、フェラレーゼ側がどう出るか。 こちらが遺憾を表明するだけで納得してくれるならよいのですが。 北軍百剣の警護が付いているとは言え、道中事故や剣士の誰かが無礼を働いたとの不祥事が起こらないとは限りません。 果たして穏便に済むか、予断は許されぬ状況です」
僅かながら漏らされたため息が殿下の後悔を伝えてくれた。
王女様が皇都に御到着になるまで私の緊張は続いたが、結局心配していた類の事故も不祥事も起こらず、予定通り王女様の御一行が皇王城へ御到着になった。
何とも粗末な馬車での御到着ではあったが、お疲れになった御様子も見せず、晴れやかなお顔で王女様がおっしゃる。
「我が身の安寧を細々と御心配下さった皇太子殿下のお心遣い、とても嬉しく存じます。 皇国名立たる剣士の一糸乱れぬ見事な警護に深く感じ入りました」
お出迎えになった殿下がお喜びの色も露にお応えになる。
「それを聞いて安堵した。 実は侍従の者達から叱られたのだよ。 強いというだけで出迎えを選ぶとは思慮が足りぬ、と」
「強さだけでは務まらぬ事もございましょう。 しかしながら皇都までの毎日、楽しく不安もなく旅を続けられた事を鑑みますに、彼らが強さだけの者達とは到底思えませぬ」
「ほう。 旅の疲れを癒した後で、是非その楽しい旅の思い出話を聞かせてほしい。 そなたの目に我が国がどのように映ったのか知りたく思う」
「喜んで」
お二人が微笑まれるお部屋から退出し、そこで初めて私は全身から力が抜けていく思いがした。
これで終わりではない。 とは言え、王女様が些かでも御不満を感じられていたのならどれ程お隠しになろうと注意深く観察する周りの者達には知れる。 間もなく始まる審議の際、北軍の対応が充分なものであったかどうか必ずや追及されるであろう。
どうやらサダ達は無事お役目を果たしたようだ。
そして翌日。
「ヴィジャヤン。 六頭殺しの若が北の猛虎の妹と結婚した事、何故私に教えない」
お叱りのお言葉と共に皇太子殿下より過分の御祝儀を戴く事になった。