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弓と剣  作者: 淳A
六頭殺しの若
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父の嘘  若の父の話

 嘘を隠すには真を幾らか混ぜた方が良い。

「六頭殺しの若とはサダの事と知ったのは昨日」

 それは本当だ。

 では、サダの弓の腕前を知らなかったか? いや、知っていた。 夕飯の肉という肉が全てあの子の狩りの成果である事ぐらい、十年前から知っていた。 そしてその成果が普通ではない量である事も。

 他の伯爵家に比べれば私が本邸で雇っている奉公人の数は少ない。 それでも常時二十四、五人はいる。 全部の肉を肉屋から買っていたら食費だって馬鹿にならない。

「兎や野鴨を狩れるからと言ってオークを射殺せると思うか?」

 それは誰だって思わないだろう。

「サダと一緒に狩りに行った事などない」

 それも事実だ。 私が弓を手にした事はないというのも嘘ではない。 サダの弓は誰かから教えられたのではなく、いつの間にか上達していたのだ。 ただオークを射殺したと聞いて、さもありなんと思う程にはサダの弓が卓越したものである事は知っていた。 伝説の「星を射落としたカヤ」の如く、とまでは言わないが。


 あれは確か、あの子がまだ十四の時だ。 私達が裏庭にいた時サダが飛んでいる鴨に目を留め、ぱっと矢を放った。

「みんなの分獲れたから今晩は鴨の丸焼きにしましょう。 ね、父上」

 私はサダのすぐ隣にいた。 最初から最後まで見ていたが、私の目には二回放ったようにしか見えなかった。 なぜ鴨が四羽、落ちてくる?

 弓には剣のような華々しさはない。 勇名を轟かそうにも弓技大会の類がある訳でもないが、これ程の腕前だ。 軍、いや、皇国有数の弓の使い手として、いずれ名が知られる事になるだろう。

 とは言え、何しろあの性格だ。 天真爛漫。 場所を選ばず思ったままを口にしては辺りをぎょっとさせ、礼儀を覚えるのが苦手という欠点もある。 あの性格は有名になったとしても変わらないに違いない。 少々頑固な所があるから。

 しかしサダを愛する人にとっては短所も愛すべき長所となり得る。 下手に昇進して重責を担い、周囲から厄介者扱いされるより、愛する妻と平凡ながらも幸せな毎日を過ごしてくれれば、と思っていた。 名誉欲など少しもない子だ。 それ程無理な願いではないはず、と。


  だからサダがどのような道を選ぼうと許すつもりでいた。 但し、自領の自警団はまずい。 私は自警団に情報収集活動をさせている。 どの貴族もそのような情報機関を自前で持っているものだが、私が指揮する自警団は「皇国の耳」と呼ばれる程広範で正確だ。 その為結構な数の依頼が舞い込む。 実を言うと、そこからの収益は領地の税収を数倍上回る。

 自警団員は全員能力と実績で選ばれており、血縁や縁故が理由で雇われた者は一人もいない。 自警団のトップは子弟、又は親戚で固めるのが普通だから、私の息子に向いている者がいれば継がせたが、三人共正直過ぎてこの仕事には向いていなかった。

 諜報員は常に物事の先を読み、人の心を読まねばならない。 その裏も。 場合によっては相手を欺き、先手を打つ。 咄嗟の判断が仕事の成功、時には自らの生死を左右する。 知力と胆力が欠かせない。 因みに、ここで言う知力とは学力ではない。 それもある程度は必要だが。

 サダが入団したら情報を収集するどころか他の諜報員の収集を妨害するだろう。 情報撹乱には妙な才能があるが、本人にその自覚がない。 意図して行っている訳ではないので、そんな才能、あっても他の諜報員の迷惑になるだけだ。 しかし兵力五万を数える皇国軍ならどこかに居場所を見つける事が出来るだろう。


 では、どの軍に入れる? サダが十七になった時、そろそろ入隊先を決めねばと思い巡らし、色々面倒な事に気付いた。

 ラガクイスト西軍将軍は私の従兄弟だ。 仲が良い訳ではないが悪い訳でもない。 けれどサダを西軍に入隊させず、後に弓の名手である事が知られたら中立の雰囲気を悪化させる事が予想される。

 南軍副将軍であるハシェ・バーグルンドとは幼馴染みだ。 あいつは間もなく将軍になる。 自軍に入隊させなかったからと言ってサダや私を恨むような奴ではない。 どこに入隊しようとサダの殊勲を心から喜んでくれると思うが、実子を持たないハシェはサダを我が子のようにかわいがっていた。 他の軍に取られて面白いはずはなかろう。 海軍のある南とは懇意にしておきたい。

 東軍のオスタドカ副将軍の妻は私の妻、シノの実妹だ。 入隊させなければ何故甥を寄越さなかったと文句を言われる事は間違いない。 シノは妹と非常に仲が良いからシノの機嫌を損ねる恐れもある。 機嫌を損ねた妻ほど望ましくないものはない。

 サハラン近衛将軍とは飲み友達で、サダの事も何かと気に掛けてくれていた。 それだけにサダが近衛以外に入隊したら相当愚痴られる事を覚悟せねばならない。 それでも私に愚痴を零すだけならよい。 あいつは皇王陛下と近しい。 酒を傾けた折りに零した言葉が陛下のお耳に届いたら? 陛下が良い方にお取り下されば問題はないが。 万が一を考えると近衛に入隊させるのが一番無難と言える。

 モンドー北軍将軍は私の大叔母の孫というだけの繋がりだから入隊させなくてもさしたる問題はない。 皮肉な事に、サダが行きたがっているのは北軍だ。


 本人は自分の気持ちなんて誰も知らないと思っている。 だがあれの考えている事など本を手に取って読むより容易い。 十三の時に北の猛虎が出場した新人戦を見て以来、サダは毎日一生懸命剣の稽古をし始めた。 少しも上達しなかったが。

 北の猛虎がもう御前試合に出場出来ないと分かった時のあの子の落胆ぶりと言ったらない。 それから冬の防寒衣料の値段を家の者に聞き回り、今まで使い果たしていた小遣いを貯金し始めた。

 弓の稽古をしている様子はなかったが、その頃既に神技の域に達していた。  例えばある日、メイドのカナがサダを探していた事があった。

「どうした?」

「いえ、あの、強風で洗濯物が飛ばされまして」

 本邸の裏庭には高さ三十メートルはあるしだれ柳が何本か立っている。 洗濯物はその柳の高い所にひっかかっていた。 柳だから登れない。

「諦めろ」

 そうカナに言った所でサダが狩りから帰って来た。 どうやら以前同じような事があった時、洗濯物を取ってあげたのだろう。 カナから洗濯物の事を聞くと、一言、ああと頷き、どこに引っかかっているか見定め、矢に細い紐を付けてしゅっと射た。 洗濯物がうまくひっかかるように。 でもかぎ裂きをこしらえないように。

 静止している的なら百メートル先だろうと当てる奴はいくらでもいるだろうが、風に揺れる柳の枝にからまっている洗濯物を矢で穴を開けずに取る。 それはサダにしか出来ない。 ただ洗濯物を取り込んだからといって歴史に名が残る訳もなく、カナに感謝されて終わりだ。 


 改めて考えれば今回の殊勲も運と言える。 オーク狩りが盛んな北だが、サダは自ら進んでオーク狩りに弓矢で参加させてくれ、と願い出るような子ではない。 矢で倒すのは無理だと言われれば、そうですかと言って昼寝するのがサダだ。

 偶々襲われた。 矢で倒すしか生き残る道はない。

 そしてもしあの時のオークの群れが八頭だったら。 仮に北の猛虎がいたとしてもサダの命はなかっただろう。

 それに助けに来てくれたのが北の猛虎でなかったら。 もちろん、助からなかった。

 あの時サダが持って行った弓だとて、もう少し強ければ間に合う早さで連射は出来ず、弱ければオークに届かなかったに違いない。

 所詮、人の栄誉は運次第。 とは言え、あの場にいたのがサダ以外の誰かだったらただの一頭も仕留められず、オークに食い殺されて終わりだったろう。 また、八頭目のオークに殺されていたとしても皇国史上初のオークを射殺した男としてその名を残したと思われる。

 何よりオークを射殺せたのは運ではない。 自らの腕力と弓。 それだけで掴み取った栄誉だ。 私にとってサダの偉業が誇らしいのはこれが決してまぐれなどではないと知っていればこそ。


 それにしても名を残す事などに全く興味のないサダが齢十八にしてこれほど家名を上げるとは。 家名を守る事こそかろうじて成し遂げた私だが、それだけで終わる不甲斐なき父がせめてしてやれる事は、息子の夢の邪魔をせぬ事ぐらいか。 

 ふう。 サダの入隊を逃したそちらこちらに、嘘と真を適量混ぜ合わせた事情説明の手紙をしたためねばなるまい。

 十通で済むか? 北軍入隊の邪魔をせぬよう宥めるとなると二十通を越すだろうな。 やれやれ。 手の痛む事だ。 ならば我が息子にはただ一行でいいだろう。


「サダへ

 北軍で達者に暮らせ。

  父より」


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― 新着の感想 ―
本当にいい物語に出会えました。 続きが楽しみです。
[一言] 親の心子知らずとは言うけど、親の愛は知られる必要すらないほどに深いのね
[一言] 似た手紙を書くのかいっ!ww
2023/06/11 20:13 退会済み
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