北へ
広大な北の原野をぱかぱかと走る荷馬車に揺られ、かれこれ三時間。 ケツが痛い。
やっぱり乗車賃が安いだけある。 けちらず普通の乗り合い馬車にしてもよかったが、ちょうど北の駐屯地行きの荷馬車がある、料金は乗り合い馬車の三分の一と聞いて飛び乗った。 安いだけに文句を言う気はない。 お目付役のトビはぶつぶつ文句を言っていたが無視した。 浮いた分で、もう二泊出来る。 いや、三泊出来るかも。
俺はヴィジャヤン伯爵家の三男だけど、懐が寂しいのは庶民とさほど変わらない。 貴族の子弟ともなればさぞかし贅沢のし放題、毎日遊んで暮らしていると思うかもしれないが、貴族はある意味平民よりずっとシビアだ。 馬鹿な子供に財産を食いつぶされる事や家名を汚される事を恐れ、早い時期に見極めをつける。 金の無駄遣いなんてとんでもない。 もし長男が馬鹿なら事故(食あたり、病気、天災、何でもいいが)で死んでもらう、くらい平気でやる。 俺が長男だったらまず助からなかったね。 今生きていられるのは三男だったおかげと言える。 ほんと、世の中何が幸いして命拾いするか分からない。
何しろ容赦がないのは俺の家に限った事じゃないんだ。 現に俺の知り合いの馬鹿は二十の時、乗馬の「事故」で死んだ。 子爵家の長男である事を鼻にかけ、領内の娘を次々食っていたから。
ほんとに事故だったかもしれないだろ、て?
ち、ち、ち。 違うね。 賭けてもいい。 そいつは普段馬車にしか乗らない奴だった。 少なくとも俺はその事故があるまであいつが馬に乗れるだなんて知らなかった。 俺だけじゃなく、領内の誰も知らなかったと思う。 でもあいつをよく知る人ほど全然その事故の知らせに驚いていなかった。
既に爵位を継いでいたって馬鹿な真似をする奴なんかいない。 特に父上の知り合いは、それでも貴族なの、と聞きたくなるような慎ましい生活をしている人の方が多い。 念のため言っておくけど、それって貧乏だからじゃないよ。 どうでもいい事には金を使わないというポリシー、て感じ。
例えば俺の実家のお隣さん、クマー侯爵は若い頃から他家のパーティーには出席しても自宅に誰かを招待した事はないので有名だ。 侯爵家継嗣なら派手な宴会やパーティーをしたって誰にも責められないだろうに。
爵位を継いだ時でさえお披露目や祝賀会の類は何もなく、しょうがないから父上は贈り物を持ってお祝いに行った。 その時の食事は我が家の普段の夕飯となんら変わらない野菜中心の料理だったらしい。 極めつけは庶民が飲む安ワイン。 因みにクマー侯爵が飲んだのは水だけ。 それを聞いて母上がおっしゃった。
「噂通りの堅実なお人柄ですわね」
「うむ。 あれならクマー侯爵家は安泰だろう」
父上は格下だけど領地は地続きだし、ちゃんとお祝いを持って行ったんだぜ。 そんなしょぼいもてなし、失礼じゃないの? 質素な食事なら安上がりは安上がりだ。 でも前に父上は、見栄は張る所では張るもの、とおっしゃったのに。
意味がよく分からなかったから、後で奉公人のトビに聞いてみた。
「客に粗末な食事を出すと、なぜ家が安泰なの?」
「祝い事のある時こそ慎ましさをアピールするよい機会と申せましょう。 普段は贅沢をしていたとしても世間にそれを悟られるのは賢い貴族のする事ではございません。 いつ何時金に困る事になるか分からないのですから。
税が払えなければ理由が何であろうと領地没収となります。 大公家や公爵家のような大貴族でしたら陛下から急場の御支援があるかもしれませんが。 皇王家にとって貴族の家など潰れてくれた方が嬉しいというのが本音。 中下級貴族にそのような援助などあろうはずもなく。
また、金遣いが荒ければそれが陛下のお耳に届き、何故それ程金がある、と痛くもない腹を探られる恐れもございます。 その辺りをよく弁えている当主ならその家は安泰、という意味ではないでしょうか」
「侯爵なのに夕飯に何を出すかまで気にしなきゃいけない、て事?」
「クマー侯爵は夕飯のメニューをお気になさったのではございません。 それが世間にどう受け取られるかをお気になさったのです。 貴族たるもの、爵位が何であろうと世間の風評を気に掛ける事は当然と申せましょう。
旦那様を御覧下さい。 困窮していなくとも質素倹約。 次代様もしかり。 領地管理を担うだけでも激務なのに、宰相府郵政庁情報伝達部に御出仕なさり、真面目な勤務態度で将来を嘱望されていらっしゃる。 だからこそ、当家は盤石と世間から噂されている次第。
失礼を承知で申し上げますが、若も少しは世間をお気になさっては如何でしょう? つい先日も」
矛先が俺に向かい始めたから、さっと逃げた。
改めて考えてみれば伯爵って微妙な立場だよな。 貴族とは言ってもそんなに偉くはない。 お上からは厳しく監視され、下からは陳情という名の突き上げをかまされる。 領地争いとか他の貴族とのもめ事だってあるし。
そのうえ父上は副業もなさっている。 何の商売か俺は知らないけど。 農作物の収穫は天候に左右されるからね、とおっしゃっていたから、たぶん天候に左右されない商売なんだろう。
それはいいが、どんな商売だって人を雇ったりしなきゃならない。 それには金がかかるだろ。 うまい話なんてそうそうない。 生き残るためにはえぐい事だってやらなきゃ。 苦労の種は尽きない。 それが貴族の現実だ。
次男三男なんて、さっさと独立しろ、で終わり。 とは言っても次男は長男のスペアとして有用だし、長男に子供が出来なくて次男の子供を継嗣にする事もある。 貴族の中には継嗣がいない、いても女だから貴族の次男か三男を婿に貰いたいという家もない訳じゃない。 でもそんなのは少数だ。 少数なだけにそのスポットを巡る争いは熾烈を極める。 世間受けする取り柄がある訳でもない俺に婿の話が転がり込んで来る訳がない。
世慣れた父上は長男のサガ兄上が爵位を継げる器と分かった途端、次男のサジ兄上と俺におっしゃった。
「お前たちに愛想を垂れ流す才能はない。 特にサダ。 お前の女の扱いは寒いの一言に尽きる。 婿の道は諦めろ。 文官として出仕するか、軍に入隊するか。 どちらもやりたくないなら早目に食うに困らない職を探せ。 いつまでも気楽な実家暮らしが出来ると思うな」
兵士と文官、どちらの道にも気が進まなかったサジ兄上は医者になる道を選び、必死にお勉強なさって医学校に入学した。 呑気な俺は軍でいい、とあんまり(全然)勉強はしなかった。
軍なら一番の人気はなんと言っても近衛軍。 皇王陛下をお守りする。 陛下直属だから他のどの軍より格上に見られ、華やかで近衛兵というだけで女にもてる(これ重要)。 国内は勿論、外国を訪問なさる皇王族をお守りするのも近衛だから配属先によっては色々な所に行く機会もある。
欠点といえば近衛軍ともなると高位の貴族の子弟が目白押しで、伯爵なんぞ鼻もひっかけられない。 親のコネをあてにしたって無駄。 出世したいなら自分で何とかするしかない、てとこか。
東軍も結構人気がある。 慣例で皇太子殿下が将軍として指揮を執っていらっしゃるから。 運が良ければ次代の皇王陛下に顔を覚えて戴けるかも。 皇王陛下ともなれば謁兵くらいはなさるだろうけど、兵士と一緒に訓練なさるはずはない。 皇太子殿下だって一兵卒にとっては雲の上の御方である事に変わりはないが、東軍兵士なら殿下と一緒に訓練する事もあるらしい。 一年に三ヶ月は同じ釜の飯を食うんだとか。 普通に生きていたら遠くから御尊顔を拝見する事さえ滅多に叶わない御方だ。 間近にお会い出来る機会があるだけでもすごい。
難点は、どの軍にも兵士は五万人以上いる。 だから東軍に入隊したというだけでお側に近づけるという訳じゃない。
南軍には海軍がある。 俺は海も船も好きだ。 夏はちょっと暑いけど、俺は寒いのが苦手だから南の天候はありがたい。
西軍には空軍がある。 飛竜に乗りたいなら西だ。
ただ客として乗る事は出来るとしても操縦する竜騎士になるのは簡単じゃない。 最初の飛竜は自分の金で買う事になっているから。 飛竜がいくらするのか知らないが、相当な金額である事は確かで、そんな大金、父上がぽんと出してくれるとは思えない。 下手をすると竜騎士どころか一度も飛竜に乗れない任務になるかも。 そうなったら何のために西軍に入隊したのか、と後悔しそう。
ところで、どの貴族も私兵を持っている。 名目上の団長は当主だけど、現場の指揮は弟か息子、でなければ親戚の誰かにやらせるのが普通だ。 ヴィジャヤン伯爵家にも自警団という軍隊っぽいものがある。 なぜかは知らないが、父上は俺だけじゃなく、サガ兄上とサジ兄上もそこに入れる気はないみたい。 今の団長は赤の他人だ。
三人も息子がいるのに誰も軍備に関係していないのは、ちょっと変わっている。 俺に給金を払うのが嫌なのかな? どうせ同じ金を出すなら強い兵士を雇いたい、とか?
なんとなく金の問題ではないような気がしたが、どこに行くかを決めろと言われた以上、自警団に入りたいと言った所で父上がうんと言わない事は目に見えている。 もしかしたら将来入るにしても、まず皇国軍へ入隊して学んで来いと言いたいのかもしれない。
いずれにしても俺の実家は南軍第六駐屯地と西軍第三駐屯地の真ん中くらいにある。 どちらを選んでも馬で二日もあれば実家へ帰れる距離だから実家暮らしみたいなものかもな。 帰った所で家族に会えるって訳じゃないが。 父上母上、どちらもお忙しくて本邸にいない事の方が多いし、サガ兄上は皇都。 サジ兄上は南でお仕事だ。
四月に入って父上に聞かれた。
「サダ、入隊先は決めたか?」
「えーと」
「見栄えで近衛か?」
「にするかもしれませんが。 しないかも」
「では将来性を見込んで東?」
「将来性? うーん、どうでしょう? 俺に、ありますか?」
「すると実を取って、西? コネもある」
「あ、でも南には海軍がありますし」
貴族の子弟ならどの軍であろうと無条件で入れる。 ただ一旦入ってしまえば、よほどの事がない限り他の軍へ移る事は出来ない。
「要するにまだ迷っているのだな。 それなら決める前に各軍を一度その目で見てきたらどうだ」
「いいんですか? そのう、旅費は?」
「タマラに出すよう言っておく」
やったね。
金払いの渋い父上に旅費を出してもらう事に成功したが、北軍にまで行く必要はないだろうと言われ、その分は貰えなかった。 それをけちって北への旅費をひねりだしたので貧乏旅行になっている訳。 お目付役のトビがいるから他の軍に行かず北にだけ行くという事は出来ない。
そう。 実は俺が入隊したいのは父上の希望から程遠い北軍だったりする。 確かに父上はどの軍を選んでもよいとおっしゃった。 だけどそれはまさか俺が北軍を選ぶとは思っていらっしゃらないからだろう。
北軍に入隊したって勘当されたりはしないと思うが、入隊支度金までは出してくれないだろうな。 それでも俺は北へ行く。
なぜ北か? それはもちろん、「北の猛虎」がいるからだ。