雨を呼んで
じりじりと照りつける太陽が足元の砂に反射し、じわじわと体力を奪う。
見渡す限りの砂、砂、砂。
暑さの中、顔に巻いた布が汗を吸い取り、顔に張り付いて呼吸を妨げる。
少年はそれを少しずらして灼熱の空気を軽く吸い込み、再び布を戻した。
ざくざくと無言で再び歩き出すが、紐と布でくくりつけた靴が砂に沈み、思うように進まない。
水を乗せた荷車の車輪が砂に沈み、余計に歩みを妨げた。
彼、ロイランはため息を飲み込み、思った。
妹が、待っている。
まだ産まれて間もない妹が渇きに苦しんでいるのだ。
なんとしてでも水を持って帰らなければ。
だけど。
もう何日歩き続けているのだろうか。
この世界が大干魃に見舞われ、水という水が干上がり植物という植物が枯れ、人々は水と食べ物を求めさまよい、わずかながらに水が残る場所に移動し、そこに集落を築いて落ち着いた。
しかしそこも永久に水があるわけではない。
彼等の集落もその一つで、水場が干上がり、水を求めて集落の中でも体力のある男達が十人ばかり水場を探しに出た。
次の集落の場所を探すためだ。
しかしこの世界のどこに次の水場があるだろうか。
雨はわずかにしか降らず、降ったとしてもすぐに蒸発してしまう。
彼等が水場に行き着いたのは、それこそ軌跡というべき確率であっただろう。
しかし、そこは集落とするには心もとない水量しかない、水場であった。
土でよごれ、多少大きな水たまり、といった風情であったのだ。
彼等はため息をつき、がっかりとしたが、それでも貴重な水であるのだ、と荷台に乗せていた樽に水を詰め込み始めた。
それでも樽3つ分にしかならなかったが、とりあえず帰らなければならない。
もう自分たちの集落には余裕がない。
この水を持ち帰らなければ、皆渇きで死んでしまうのだから。
彼等は再び歩き始めた。
集落には彼等の大事な人たちが待っていた。
妻、子ども、親・・・
彼等の渇きをなくしてやりたい、その一心で、もくもくと歩く。
自分たちが飲む分の水は最低限も確保せず、ただ大事な人達に水を届けることを考えていた。
しかしそれは破滅しか招かなかった。
一人、また一人と仲間が倒れていく。
ロイランが黙って肩を貸そうとするも、当人達がそれをしてももう持ちそうにないと拒否をする。
倒れていく仲間は最初から覚悟をしていたのか、懐から大事な人たちへの手紙を取り出し、ロイランにそっと預けた。
彼等の手は水分が足りないために老人のようにかさつき、そしてガタガタと震えていた。
本当はここで死にたくなどない。
待っている人のもとに帰りたい。
しかし自分の水筒は底をつき、わずかながらに残った水を分け与えようとしてくれる仲間の水は、彼等の命をつなぐもの。
わけてもらうわけには、いかなかった。
だからこそ託すのだ。
「ロイラン、たのむ」
そう言って、彼も息絶えていった。
ロイランは手紙を握り締め、溢れそうになる涙をぐっとこらえた。
そして手紙をそっと懐に入れると、振り返らずに集落の方に残った仲間と歩き出した。
集落を発ってからもう何日経ったのかわからない。
一刻の猶予もないのだ。
早く、帰らなければ。
「ロイラン、たのむ」
最後の男がそう言って息絶えたのを、ロイランは憔悴しきった顔で見送った。
どこを見渡しても、仲間の姿はただひとりとしてなかった。
懐では託された手紙たちが擦れあってカサカサという音をたてていた。
ロイランは立ち上がって、振り返らずに再び荷車を引き始めた。
手のひらの潰れた豆から血が滴り落ち、砂上にぽつぽつと落ちていく。
歯を食いしばって、ロイランは涙をこらえた。
まだ、その時ではない。
自分にはやらなければならないことがあるのだ。
泣いている暇などない。
水筒の水がつき、2日ほど経った頃、朦朧とした意識の中で荷車を引いていたロイランは、やっと集落についた。
唇もかさつき、声もでない。
なんとか人々に水を、と集落に一歩踏み込んだ。
物音一つ、しなかった。
土を固めて作った粗末な家々のそこかしこで、人々は倒れていた。
荷車を置き、ふらつく足で目に付く人に走りより、ゆさゆさと揺さぶるも、返事はない。
心臓の拍動は聞こえなかった。
ロイランは震える足を叱咤し、急いで自分の家の扉を開けた。
母親が妹を抱いたまま、倒れていた。
母親に声をかけようとするも、声は出なかった。
他の人々にしたように揺さぶっても、母親は目を閉じたままであった。
母親の手から妹を抱きとり、そっと揺すってみる。
まだ、妹は暖かかった。
柔らかな頬は痩け、涙のあとがかわいていた。
ロイランはそっと妹の胸に耳を当てた。
もう、そこには僅かな動きさえなかった。
少年は妹を抱いてふらふらと外に出た。
家々を訪ねて回り、生存者を探すも、誰もいない。
少年は、一人になった。
妹を抱いたまま少年は膝をついた。
のろのろと自分が引いてきた荷車を見る。
間に合わなかったのだ。
死んでいった彼等と自分は、水を大事な人に届けることができなかった。
胸でかさり、と音をたてる手紙を彼は片手で取り出し、手紙の宛先に書かれた人々の手にそっと握らせて回った。
妹の身体は徐々に冷えていった。
もう少し、早く戻ってこれていたなら。
あと少しで間に合ったはずなのだ。
ロイランは慟哭した。
出ない声を喉から張り上げ、枯れ果ててもう何も出ないと思っていた目から、涙がぼたぼたとこぼれ落ちる。
妹をぎゅっと抱きしめ、その渇いた涙のあとを指でたどった。
渇きの苦しみはいかほどであっただろうか。
我々が何をしたというのか。
こんな小さな妹までも奪っていくなんて。
ロイランは呪いを吐いた。
何に対する呪いであるのかは、わからない。
何にこのやりきれぬ思いをぶつけたらいいのか、わからなかったのだ。
ただ、非力であった、無力であった自分を一番に呪ったのは、確かだった。
ロイランの嘆きは3日3晩続き、それはいきなり大きな砂嵐となった。
ロイランのいた場所には何もなかった。
ただ、そこから空に大きな青い龍が舞い上っていった。
青い龍は世界を周り、大きな叫び声を上げ続けた。
するとどういったことであるのか。
じりじりと照りつけていた太陽の周りに黒い雲がかかり始め、それは空全体をおおった。
ぽつり、ぽつりと雨が降り始めた。
雨は渇いた大地を潤し、緑と水場、即ち人や動物たちに命を与えていった。
地上で歓喜の声が上がる中、龍は忽然と姿を消した。
何年か後に、大きなオアシスが発見された。
そこには、つたに絡みつかれた荷車と、そこに積まれた3つの樽があった。