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第9話

「——限界だった」

床に膝をつき、荒い呼吸を繰り返す。

視界は激しく歪み、肺が燃えるように熱い。

さっき、教室で彼女を拒絶し、距離を置いてから、ほんの数分。

たったそれだけの時間が、今の俺には致命的だった。

「……っ、くそ……」

もはや誤魔化しようがない。

俺の命の灯火は、白宮ひなたという燃料がなければ、一瞬で消えてしまう。

完全に、彼女なしでは生きられない身体になってしまったのだ。

「仁!!」

廊下に響く切実な足音。

顔を上げると、そこには肩を上下させ、必死に俺を探していたひなたがいた。

「……っ」

その姿を見た瞬間、全身の力が抜け、安堵が広がっていく。

そんな情けない自分に、猛烈な嫌気がさした。

「なんで離れるの!!」

ひなたが叫びながら駆け寄る。

「こんな状態なのに……どうして!!」

「……来るな」

掠れた声で、拒絶の言葉を絞り出した。

「は?」

「来るなと言ってるんだ……」

震える手を伸ばし、彼女を制する。

指先さえも、彼女の熱を求めて勝手に震えていた。

「……来たら」

声が、鉛のように重くなる。

「……もう、戻れなくなる」

「……」

ひなたの足が、ピタリと止まった。

「……説明して。ちゃんと」

静かな、けれど逃げ場を許さない声だった。

「……」

もう、隠し通すことは不可能だ。

俺は、震える肺を動かしてゆっくりと口を開いた。

「……俺さ。お前に触れてると、身体が楽になるんだよ」

「……」

「最初はただの偶然だと思ってた。でも、違うんだ」

一言一言を刻み込むように続ける。

「お前に触れてる間だけ、俺は『普通』でいられる。死の淵から引き戻されるんだ」

「……っ」

ひなたの表情が、凍りついたように固まる。

「逆に、離れるとこうなる」

俺は惨めな姿を晒したまま、自嘲気味に笑った。

「つまり……俺は、お前に依存して、お前を吸い取って生きてる化け物なんだよ」

「……それの、何がダメなの?」

ひなたの声は、震えていた。

「……は?」

「だって、仁は生きてるじゃん。目の前にいるじゃん。それでいいじゃん」

「よくねえよ!!」

俺は思わず声を荒らげた。

「なんで分かんねえんだよ! お前が何も失わずに、俺を生かせるわけがないだろ!!」

「分かんないよ!!」

ひなたも、泣きそうな顔で叫び返した。

「理由なんて聞いてない! ただ、一緒にいて仁が助かるなら、それでいいって言ってるの!!」

「違う!! 絶対に、相応の『代償』があるはずだ!!」

止まった空気の中で、俺の声だけが響く。

「……代償?」

「ああ。こんな都合のいい話があるわけない。俺が生き延びる代わりに、お前が何かを削られてるんだ」

「……っ」

ひなたの手が、わずかに震えた。

「……そんなの、分かんないよ。でも……」

彼女は顔を上げ、射抜くような視線で俺を捉えた。

「それでもいい。私は構わない」

「——は?」

思考が、真っ白に塗りつぶされる。

「いいって言ってるの」

ひなたは、断固とした口調で繰り返した。

「もし、私が何かを失っていたとしても……それで仁が生きていられるなら」

「……」

「私は、それでいい」

「ふざけんな!!」

激しい怒りがこみ上げた。

「そんなの、ただの自己犠牲だろ! お前の人生を何だと思ってるんだ!!」

「違う!! 犠牲なんかじゃない!!」

ひなたも負けじと、魂を振り絞るように叫ぶ。

「私が決めてるの! 誰かにやらされてるわけじゃない、私の意志なの!!」

「……っ」

「私が……仁のそばにいたいだけなんだよ!!」

その剥き出しの言葉が、俺の心の防壁を粉々に砕いた。

「……なんでだよ。なんで、そこまで……」

「好きだから」

「——」

世界から、音が消えた。

「……え」

間抜けな声が、自分の口から漏れる。

「好きだよ、仁」

ひなたは、頬を赤らめながら、けれど逃げずに言い切った。

「気づいてなかったの?」

「……」

気づくわけがない。いや、どこかで期待していたのかもしれないが、こんな破滅的な状況で告げられるなんて。

「だから」

一歩、彼女が近づく。

「仁がいなくなる方が、何万倍も嫌。そのためなら、何かを失う方がずっとマシ」

「……っ」

その告白は、あまりにも重く、あまりにも純粋で。

俺を縛り付けていた倫理観さえも、溶かしていくようだった。

「……俺は、嫌だ。お前が壊れるのだけは、絶対に嫌なんだ」

「壊れないよ」

「なんで言い切れるんだよ」

「分かんないけど、大丈夫な気がする」

ひなたは、ふっと優しく微笑んだ。

「だって……仁といると、私も安心するから」

「……っ」

第1話で聞いた時とは、重みが全く違う。

彼女もまた、俺を必要としているのだという、共依存の告白。

「ねえ」

「……なんだよ」

「さっきの続き、しよ?」

ひなたの顔が、ゆっくりと近づいてくる。

「……っ」

逃げない。もう、逃げる場所なんてどこにもない。

「怖い?」

「……ああ。怖いよ」

「そっか」

彼女は愛おしそうに目を細めた。

「でも、私は……怖くないよ」

距離が、限りなくゼロへと収束していく。

触れ合えば、何かが確実に変わり、もう二度と戻れなくなる。

それでも。

俺は、静かに目を閉じた。

——その先にある光も、闇も。

すべてを、彼女と共に引き受ける覚悟を決めて。

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