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農家の異世界奮闘記 外伝~日鴉戦記~  作者: 今無ヅイ


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8/13

Delay the day.

 再編され、帝国領側に近い山に戻ったその日の夜に、日鴉族猟兵隊へ最初の任務が落ちてきた。


 北からの南へ流れる補給列を遅らせろ。


 たったそれだけの文言だった。

 だが、会議室で決まった「山で削り、平野で折る」を、初めて現場へ落とした命令でもあった。


 フレイヤは紙片を折って懐へ突っ込み、尾根の縁から下を見た。


 朝の山は、相変わらず冷たい。

 けれど、前みたいな穏やかな冷たさじゃない。見張りの風ではなく、殺すための風だ。

 数日で山の匂いそのものが変わった気がする。

 煙、血、焦げた木、濡れた革、薬草、そして神聖魔法の焼け跡に特有の、妙に澄んだ焦げ臭さ。


 その風を、ニクスが先に読んでいた。


「来る」


 灰色の羽が木陰から抜ける。

 朝靄そのものみたいな男だった。近づくまでそこにいると気づけない。相変わらず気味が悪い。


「数は」


 フレイヤが問う。


「先頭は軽い。補給と護衛の混成。

 本隊じゃない。だが、荷は多い」


「荷駄は」


「二十前後。駄馬もいる。荷車は使えてない。道が細い」


「槍は」


「長いまま」


 カイラが鼻で笑った。


「ありがたいね」


 その笑いは軽くない。

 弟を失ってから、カイラの声には、どこか噛み切れていない刃みたいな響きが残っていた。忙しく動いているうちは立っている。止まれば危うい。だから今みたいに、任務で前へ出しておいたほうがいい。


 ゴルムはすでに地面を見ていた。


 橋板の継ぎ目、支えの木、荷駄が通ればどこに重みが偏るか。敵を見る前に地形を見る男だ。


「ここだな」


 ゴルムが短く言う。


 尾根の中腹、細い渓流にかかる仮橋。もともと山の者が荷を渡すための小さな橋だったが、いまは神聖国の補給列も使わざるをえない。道幅は狭い。

 左右は岩壁。抜け道はない。前が詰まれば後ろも止まる。


 いかにも“削ってくれ”と言わんばかりの地形だった。


「落とせるかい」


 フレイヤが聞く。


「一度通してからならな」


 ゴルムは斧の柄で橋脚を軽く叩いた。


「先頭の護衛を渡らせて、荷を半分かけたあたりで折る。

 欲張るとこっちの逃げ道も死ぬ」


「どれくらい買える」


「半日」


 フレイヤは橋の上を想像する。

 革靴、長槍、荷駄、焦った号令、詰まる後列、岩にぶつかる音。崩れれば混乱は長引く。


「半日で十分だよ」


 フレイヤは山刀の鞘を軽く叩いた。


「勝たなくていい。

 時間を奪え。

 今日の半日が、平野で千人を生かす」


 それが猟兵隊の最初の戦いだった。


 布陣は短く決まった。


 ニクスが先行し、列の長さと歩調を測る。

 ゴルムが橋を折る位置につく。

 カイラは二番目の荷の横腹を噛む。補給列の腹を裂いて、護衛を動揺させる役だ。

 バルトは後ろ。撤退線を守り、最後に抜ける。

 フレイヤは全体を見て、切る合図を出す。


 帝国式に言えば、戦闘配置なのだろう。

 日鴉族の感覚では、いつもの山仕事を、今日は殺し寄りに並べただけだった。


 崖の上で、若羽たちが風を読む。

 日鴉族は飛べない上に、体格は帝国人の子供ほどしかない。

 高いところから風を使って遠くへ滑るために、滑り出す位置が命になる。

 先に降りれば終わる。地面に落ちれば的だ。

 逆に、高みにいられる限りは山の風そのものになる。


 フレイヤは若いのを見回した。


 再編直後の初陣だ。

 緊張していない顔はない。だが、怯えて固まっている顔もない。


「焦るな。

 橋が死ぬまでは、こっちも死ぬな。

 一度噛んだら消えろ。止まるな」


 若羽のひとりが頷く。

 別のひとりは喉を鳴らすだけだった。

 それでいい。恐怖がないより、恐怖を飲み込めるほうがましだ。


 ニクスがすでに消えている。

 見えなくなったあとで、枝がひとつだけ揺れた。


 やがて、下の道に音が生まれた。


 まず駄獣。

 次に革靴。

 そのあとに、長槍の石突きが岩を打つ硬い音。


 神聖国の補給列だった。


 先頭の護衛が橋にかかる。

 白を抑えた外套。だが歩き方でわかる。重心が遅い。湿った岩を信用していない足取りだ。槍は相変わらず長い。後列の肩と時々当たり、苛立ったように持ち直している。


 革靴はまだ岩を嫌っている。

 槍はまだ枝に噛まれる。

 神聖国は学んでいないわけじゃない。だが、学ぶ速度が足りない。


 先頭が渡る。

 護衛が数名、橋を越える。

 駄獣が一頭、二頭。

 荷が橋板を軋ませる。


 そのとき、ニクスから合図が来た。


 高みの枝が、一度だけ揺れる。


 フレイヤの右手が下りた。


「切れ」


 次の瞬間、山が噛んだ。


 最初に動いたのはカイラだった。


 崖から身を投げる。落ちるように見えて、その直前で羽が風を掴む。体が斜めに滑り、二番目の荷の真上へ出る。神聖国兵が顔を上げたときにはもう遅い。


 短弓の一射。


 駄獣の目に刺さる。


 悲鳴。

 暴れる荷。

 列が乱れる。


 同時に、別の高みから若羽が二射。荷を担ぐ兵ではなく、綱と荷袋の縛り目を狙う。袋が裂け、干粮と布束が坂へ散る。拾おうとした護衛が、後列の槍にぶつかった。


「敵襲!」


 叫びが上がる。


 そこで、ゴルムが橋脚へ斧を打ち込んだ。


 最初の一撃。

 二撃目。

 三撃目で、木が悲鳴を上げる。


 橋板が片側へ沈んだ。


 ちょうど中央にいた駄獣が足を滑らせる。

 荷ごと斜めに落ち、橋に半分ぶら下がる格好になった。後ろの荷駄が止まる。止まったところへ後列が詰まる。詰まったところへ、前の護衛が振り向こうとして槍を絡ませる。


 きれいな隊列が、橋の上で一気に汚く潰れた。


「よし」


 フレイヤは低く言った。


 ここからは欲張らない。

 削るだけ削って、消える。


「右腹をもう一回噛め!」


 カイラが返事もせずに滑る。今度は兵ではなく、橋を越えた先の荷を狙う。

 山刀で縄を断ち、樽を坂へ落とす。

 白い粉が散った。小麦粉だ。


 護衛のひとりが槍を突き上げる。

 長い。遅い。


 カイラはその穂先より先に横へ逃げ、崖の風へ体を投げる。滑空というより横滑りだ。地面につく前に、別の岩棚へ爪先だけで引っかかる。


 そこへ神聖国兵が二名、斜面をよじ登ってこようとした。


「バルト!」


 フレイヤが呼ぶ。


 低い位置にいた大男が前へ出る。


 地上での剣が速い。

 バルトは日鴉族としては珍しいほど、地に足のついた戦い方をする男だ。登りきる前の兵へ斜めに斬り込み、一人を道の外へ落とし、もう一人の肩口を割る。

 そのまま退かず、道の狭さを使って一瞬だけ“蓋”になった。


「抜けろ!」


 短い声。

 若羽が二人、岩棚から岩棚へ逃げる。


 その間にも、橋は死にかけていた。


 ゴルムが最後の支えを蹴る。

 重みに耐えきれなくなった橋板が、今度こそ真ん中から折れた。


 駄獣と荷がまとめて渓流へ落ちる。

 叫び。木の割れる音。水飛沫。

 そして、列全体の前進が完全に止まった。


 フレイヤはそこではじめて、敵全体を見た。


 先頭の護衛は前へ出られない。

 中腹は荷の崩落で乱れている。

 後列は何が起きたかわからないまま詰まっている。

 長槍は振れず、革靴は濡れた斜面を信用できず、隊列は橋の死骸に噛まれている。


 削れた。

 十分に。


 だが、もう次の瞬間には神聖国側も立て直しに入る。

 ここで欲張れば、こっちが死ぬ。


「終わりだ!」


 フレイヤが叫ぶ。


「荷だけ見ろ!人を追うな!

 消えろ!」


 若羽たちが一斉に動く。


 地面に落ちた荷へもう一射。

 火矢はない。だが油壺を割るだけでも十分だ。滑る。運べない。拾えない。

 別の若羽が伝令兵の外套を射抜く。殺しきらない。

 だが転ばせる。伝令が遅れれば、それもまた半日だ。


 カイラがもう一度だけ戻りかけた。


 目が血走っている。

 まだ足りない顔だ。


 フレイヤはその背中に怒鳴る。


「カイラ!」


 一瞬、肩が止まる。


「今は殺すな!

 削れ!」


 カイラの歯噛みがここまで聞こえそうだった。

 それでも彼女は戻った。戻って、岩の陰へ消えた。

 それでいい。今はそれでいい。


 神聖国側の指揮官が、ようやく声を張り上げる。


「隊列を立て直せ!

 前を空けろ!

 橋を――」


 だが橋はもうない。


 工兵らしき兵が前へ出る。

 遅い。

 ここから板を渡し直し、荷を拾い、列を立て直すには時間が要る。


 フレイヤはそれを確認して、踵を返した。


「南へ抜けるよ!」


 撤退は最初から折り込み済みだ。

 尾根へ戻る。岩棚を移る。高いところを繋ぐ。地面へ降りすぎない。

 滑れるやつから滑り、滑れない位置は歩いて次の高みへ渡る。


 日鴉族猟兵隊は、勝って残るのではない。

 削って消える。


 最後尾はやはりバルトだった。


 追ってくる二人を見て、一瞬だけ立ち止まる。

 ひとりを斬り、もうひとりの膝を払って、そのまま後ろも見ずに抜ける。

 若いのを先に行かせて、自分は最後に消える。あの男のいつもの仕事だ。


 ニクスは、戻ってきたのに気づかなかった。

 いつの間にかフレイヤの左後ろにいて、短く言った。


「二手に分かれた。追撃は軽い」


「補給列は」


「死んだ」


 その言い方がいちばん近い。


 死んだ。

 壊滅ではない。

 だが予定通りにはもう動けない。


 尾根を越えた先で、全員がようやく息をついた。


 若羽の一人が笑った。

 緊張が切れた笑いだ。すぐに別の若羽に頭を叩かれて、笑いながら黙る。


 ゴルムが斧の柄で地面を突く。


「半日だな」


 バルトが肩で息をしながら言う。


「それ以上かもしれん」


 ニクスが補う。


「後列に工兵が少ない」


「なら上出来だよ」


 フレイヤは言った。


 誰も「勝った」とは言わなかった。

 それでいい。

 これは勝ち戦じゃない。

 半日を買っただけだ。


 けれど、その半日は大きい。


 平野で受ける帝国本隊にとって。

 避難民をさらに南へ流す時間として。

 次の橋を落とす準備のために。

 何より、日鴉族猟兵隊が本当に戦力として機能することを、帝国にも自分たちにも証明するために。


 カイラが遅れて戻ってきた。


 息は乱れている。顔はまだ獣みたいだ。だが、ちゃんと戻った。戻ってきたという事実が大きかった。


「物足りない顔してるね」


 フレイヤが言うと、カイラは舌打ちした。


「削れって言うから削っただけだ」


「十分だよ」


「十分じゃない」


「そうだろうね」


 フレイヤはそれを否定しなかった。


「でも今日は、それでいい」


 カイラは何も返さない。


 ただ、橋のあった谷のほうをちらりと見た。

 そこにはもう、崩れた荷と詰まった列と、怒号だけがある。


 神聖国軍は山に慣れていない。

 なら、山で削る。


 会議で決まった方針が、初めて血と木屑と崩れた荷になって現れた。


 フレイヤは尾根の先を見た。


 まだ鐘が返る山がある。

 まだ落とせる橋がある。

 まだ削れる道がある。


「行くよ」


 短く言う。


「次の半日を買いに」


 若羽たちが頷く。


 日鴉族猟兵隊の初戦は、それで終わった。


 大勝ちではない。

 英雄譚でもない。

 ただ、敵の歩みを鈍らせ、荷を落とし、こちらは生きて消えた。


 それで十分だった。

 山で削り、平野で折る。


 その最初の一歩としては、上出来だった。

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