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農家の異世界奮闘記 外伝~日鴉戦記~  作者: 今無ヅイ


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7/13

No Time to Rest.

 西部方面軍司令部は、避難所より静かで、避難所よりずっと忙しかった。


 怒鳴り声がないわけじゃない。伝令が走り、机が鳴り、扉が開き、地図が広がり、誰かが短く命じ、誰かが短く返す。

 ただ、その音は全部、きっちり整えられていた。

 無秩序な喧噪ではなく、理屈で束ねられた騒がしさだ。


 避難所が「生きている者をどうにか繋ぐ場所」なら、ここは「まだ死んでいない戦をどうやって勝ち筋に変えるか」を考える場所だった。


 フレイヤは、そういう場所を好かない。


 嫌いとまでは言わないが、落ち着かない。

 木の匂いより紙と蝋の匂いが強く、風の代わりに人の判断が空気を動かしている感じがする。


 けれど逃げる気もなかった。


 司令部の一室。大机の上には西部山岳地帯の大図が広げられ、焼失地点、見張り線、避難民流入路、神聖国軍の侵入推定路が色違いで書き込まれている。

 紙の上に乗っているのは、フレイヤたちが実際に見てきた死んだ山だった。


 その机の端に、フレイヤとバルトは立っていた。


 座れと言われたが、フレイヤは断った。

 バルトも断った。


 向かいには西部方面軍参謀本部の参謀たちが並んでいる。


 右手には、老参謀、ハインリヒ・ブラウナー大佐。

 顔の皺がそのまま戦歴みたいな男で、机に向かっているのに、戦場の音をまだ耳の奥に残している顔だった。


 左手には、いかにも帝国軍らしい実務的な顔をした参謀、ヨアヒム・レーヴェ少佐。

 以前から日鴉族の国境警備隊との窓口に立ってきた男で、塩と鉄と伝令の話を通じて、日鴉族の体格や癖をそれなりに知っている。


 少し手前には、頭は良さそうな若い参謀、アルノルト・ケストナー少佐。目の動きが早い。頭の回転も速い。

 だが、その視線にはまだ、山が紙の上にしかない若さが残っている気がする。


 部屋の奥で、グライフェンタールが地図を見下ろしていた。


 相変わらず無駄のない立ち姿だ。戦場帰りの兵とも、司令部育ちの参謀とも違う。現場で汚れて、なお机の上でも鈍らない人間の立ち方だった。


「始めよう」


 低い声が落ちる。


 部屋の空気が、すっと締まった。


「日鴉族残存戦力の再編と、今後の山岳方針についてだ。

 フレイヤ殿、まず現状を」


 フレイヤは地図へ歩み寄った。


 指で北西を叩く。

 山口。神聖国側から数を通せる、あの嫌な入口だ。


「ここから入ってきてる。北西の山口だよ。幅があってそこそこ整った道がある。だから数を押し込める。

 こっちも見張りを厚く置いてた」


 指を滑らせる。

 見張り所。鐘尾根。仮小屋。鐘楼。焼けた詰所。


「でも食われた。見張り場所を焼かれて、詰所を潰されて、逃げ道と目を先に切られてる」


 兵站表を持っていたブラウナー大佐が、地図へ少し身を寄せた。


「北西は集落が少ないと聞いていたが」


「少ないよ」


 フレイヤは即答した。


「住むには向かない。あっちにも近いうえに、そもそも風が強いし、畑も痩せてる。

 だから見張りを多く置いてた。見張りが多いってことは、あそこが喉だって皆知ってるってことさ」


 レーヴェ少佐が補足するように言う。


「北西山域は、日鴉族にとって生活圏というより警戒線です。仮小屋と見張り所の密度が高く、集落は少ない」


 ケストナー少佐が顔を上げた。


「敵はその喉を最初に潰した、と」


「そういうことだね」


「案内がいた可能性は」


「ある。が、なくても数任せに充分踏めるだろうね」


 部屋が少しだけ静かになる。


 “数があるから”で押し切られるのは、地図の上では簡単でも、現場ではひどく重い。


 グライフェンタールが問う。


「神聖国軍の練度や進軍速度は」


 フレイヤは少しだけ唇を歪めた。


「正直、山に慣れてない、慣れる気も無さそうだ」


 その一言で、参謀たちの目が揃って上がる。


「岩場に向かない革靴に、歩き方も濡れた斜面で踏み込みが浅い。

 槍は長すぎる。枝や木に引っかかるし、細道じゃ後列と絡む。

 隊列は綺麗だよ。いかにも神聖国らしくね。でも山じゃ、その綺麗さがそのまま鈍さになる」


 そこで一拍置く。


「山を知らぬ者の槍は、ここじゃただ枝に引っかかるだけの棒だ」


 ブラウナー大佐が小さく頷いた。


「形式だけを持ち込んだ兵、か」


「そういうこと」


 ケストナー少佐が地図の尾根筋を指でなぞる。


「ならば、高所優位を前提に包囲・分断を――」


「山図の上ならね」


 フレイヤの声は乾いていた。


 若い参謀の指が止まる。


「アタシらは飛べない。高いところから、風を使って滑るだけだ。

 滑る先に次の高みがなけりゃ、ただ落ちる。

 荷があれば沈むし、羽をやれば地面を歩くしかない」


 レーヴェ少佐が横から静かに補う。


「日鴉族は飛行種ではありません。高所機動種です。

 高さを失うと、機動力も失う」


 フレイヤは地図の尾根と谷の線を指で叩いた。


「山があるなら、日鴉族アタシらは強い。

 でも山を失くしたら、ただの的だよ」


 ケストナー少佐はほんのわずかに息を呑んだ。


「……失礼した」


「いいよ。今覚えな」


 フレイヤは地図を見たまま言う。


「山は紙みたいに平らじゃない」


 今度こそ、部屋が静かになった。


 バルトがそこで、初めて口を開いた。


「若いのは滑れる。だが運びながらは限界がある。

 子どもや武器を背負えば距離が落ちる。負傷者を抱えればさらに落ちる。

 山でやり合い続ければ、先に擦り切れるのはこっちだ」


 低い声だった。

 飾り気はない。

 だから重い。


 ブラウナー大佐が腕を組む。


「つまり、神聖国軍は山に慣れていない。

 だが、山中で決戦してよいわけではない」


「そう」


 フレイヤが返す。


「削れる。けど勝てるわけじゃない。

 先にこっちが痩せ細る」


 その言葉を聞いて、グライフェンタールが地図の北西から南東へ、さらに山の外の平野部へ指を動かした。


「なら、戦いの場所はこちらが決める」


 参謀たちが顔を上げる。


「山で削り、平野で折る」


 短い言葉だった。


 だが、それだけで会議の骨が通った。


「神聖国軍は山に慣れていない。なら山中では行軍も兵站も痩せる。

 山で決着はつけん。山では遅滞し、削る。

 決戦は平野で我が軍が受ける」


 ブラウナー大佐がすぐに頷く。


「損耗の場所を分けるわけですな。

 山で兵站と歩みを削り、平野で主力を叩く。

 理にかなっている」


 工兵担当が紙を繰りながら言う。


「橋梁破壊、落石、導線選別、見張り線の再構築が要る」


 伝令担当が続く。


「鐘と狼煙だけでは持ちません。

 帝国側伝令線と接続し即効性、持続性を確保すべきでしょう」


 レーヴェ少佐が言う。


「現状、でんといな日鴉族側の組・班・隊の運用は崩さないほうが反応速度を保てます」


 フレイヤはそのやり取りを聞きながら、紙の上の山を見ていた。


 そうだ。

 山で全部を終わらせる必要はない。

 全部終わらせようとするから、全部抱える。

 抱えすぎたら、日鴉たちは飛べない。


 削る。

 遅らせる。

 生き残る。

 平野へ押し出す。


 そのために戦う。


 グライフェンタールが今度はフレイヤを見る。


「問題は、貴官らをどう立たせるかだ」


 その言い方に、フレイヤは少しだけ眉を動かした。


「“立たせる”ね」


「“使う”よりはましだろう」


「まあね」


 フレイヤは腕を組んだ。


「帝国式に綺麗に並べられたら、山じゃ死ぬよ」


「承知している」


 即答だった。


「ゆえに山での運用は、貴官らの形を優先する」


 レーヴェ少佐が別紙を開く。


「現状の聞き取りでは、日鴉族側は二人一組、五組で班、十班で隊。元フレイヤ隊古参を中心にまとまりがある」


「崩さないほうがいいね」


 フレイヤが言う。


「組と班の顔見知りが切れると、山じゃ反応が遅れる」


 バルトが短く補う。


「若いのは特に」


 グライフェンタールが頷く。


「では枠だけ帝国式に借りる。

 内側は日鴉族式のままでよい」


 紙へ指を落とす。


「フレイヤ殿を大隊長格。

 古参五名を中隊長格。

 組・班・隊の単位はそのまま維持。

 帝国側は補給、伝令、工兵、設営の連携のために兵を付す」


 そこで、フレイヤはほんのわずかに目を細めた。


「大隊長、ね」


「不満か」


「偉そうだろ、その響き」


 グライフェンタールは静かに言った。


「私も、かつては別の肩書きを背負っていた男だ」


 その一言に、部屋がわずかに静まる。


「名前などただの道具に過ぎん。

 要は、その名で何を動かすかだ」


 フレイヤは眉を寄せたまま、何も言わない。


「実態として、もう貴官が頭だ」


「そういうのは、もっと向いてるやつが――」


「いない」


 横からバルトが切った。


 短い声だった。


 フレイヤが振り向く。


「書類の上でも上に立て」


「バルト」


「少なくとも、地面じゃもうお前が一番上だ」


 部屋が静かになった。


 その一言には、慰めも励ましもなかった。

 ただ、今まで山で起きていた事実だけが乗っていた。


 フレイヤはすぐには口を開けなかった。

 反論より先に、避難列、鐘楼、崖際、怒鳴り声、泣き声、全部が頭に浮かんだからだ。


 皆、自分の声で動いていた。


 嫌でも、それはもう事実だった。


「……そういうの、本人に言うかね普通」


 ようやくそれだけ返す。


 バルトは肩をすくめた。


「言わんと受けないだろ」


「当たり前だよ」


「だから言った」


 お固い会議室での会話ではない。

 でも、だからこそ腹に入る。


 グライフェンタールが最後に問う。


「呼称はどうする」


 兵站参謀が紙束をめくる。


「帝国軍の帳簿上は、西部方面軍麾下山岳猟兵補助隊――」


「長いね」


 フレイヤが即座に切った。


 部屋の空気がわずかに緩む。


 グライフェンタールの口元が、ほんの少しだけ動いた。


「現場では何と?」


 フレイヤは一拍置いてから答えた。


「……日鴉族猟兵隊」


「よろしい」


 即決だった。


「以後、西部方面軍麾下、日鴉族猟兵隊とする」


 その瞬間、戦火の中で半ば自然発生していた名前が、初めて机の上で固定された。


 難民の寄せ集めでもない。

 ただの警備隊でも見張り衆でもない。


 猟兵隊。


 バルトが小さく息を吐いた。

 フレイヤはそれを聞きながら、机の上の地図を見た。


 避難のための地図ではない。

 削るための地図だ。


 グライフェンタールが結ぶ。


「方針は決まった。

 日鴉族猟兵隊は山岳監視、導線破壊、遅滞、避難補助を主任務とする。

 正面決戦は行わない。

 山で敵を痩せさせ、平野へ押し出す。

 帝国軍本隊はその時を受ける」


 ブラウナー大佐が低く繰り返す。


「山で削り、平野で折る、ですな」


 グライフェンタールは頷いた。


「ああ。戦場の形は、こちらが決める」


 会議はそこで終わったわけではない。


 その後も補給の話、縄橋の話、日鴉族の翼保護具、子どもと負傷者の区分、帝国伝令線との接続、砲兵との識別方法、細かい実務が山ほど続いた。


 だが骨はもう決まっていた。


 フレイヤは会議机の端に手をついたまま、紙の上の山を見下ろした。


 もう、ただ逃がすだけじゃない。

 今度は削る。


 削って、生き残って、押し返す。


 会議が終わって部屋を出ると、廊下の外では伝令がまた走っていた。


 避難所ではたぶん、まだツチダが走っている。

 カイラは忙しい顔のまま立っているだろう。

 ルダは帝国兵怒鳴り、ゴルムは橋板を数え、若羽はまだ落ち着かない顔で弓弦を張っているはずだ。


 受け入れられて終わりじゃない。

 助けられて終わりでもない。

 生き残った羽を、戦える形へ戻す。

 それが次にやることだ。


 フレイヤは最後にもう一度、西部山岳地帯の地図を振り返った。


 死んだ尾根。

 まだ返る鐘。

 切った道。

 残す道。


 その全部を頭に入れて、踵を返す。

 さあ、山に戻ろう。

 勝手に入ってきた失礼な奴らを、日鴉族のやり方でもてなすために。

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