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農家の異世界奮闘記 外伝~日鴉戦記~  作者: 今無ヅイ


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4/13

Golden Blast.

 数日経っても、山はまだ終わらなかった。


 避難民の第一波は帝国側へ流した。子どもも、年寄りも、飛べない者も、どうにか南東へ落とした。だが、それで終わりではない。


 鐘が返ってきた山はまだある。返ってこなくなった山にも、遅れて逃げた者や、岩陰に潜って息を繋いでいる者がいるかもしれない。


 だからフレイヤは、まだ山に残っていた。


 南へ下りながら、残った尾根の見張り線を薄く保ち、返ってきた鐘の山へ小さい組を出し、伝令を飛ばし、生き残りを拾う。山を守っているというより、山を戸締まりしている感覚のほうが近かった。


 仮の詰所は、南寄りの尾根に組まれていた。


 崖の突端に木を組んで作った小さな鐘楼と、風除けの板壁、岩肌に寄せた火床、そこへ縄で繋いだ三つの見張り台。元は荷の中継と鐘の受け渡しに使っていた場所だが、いまはそれがそのまま、日鴉族猟兵隊の南方仮詰所になっていた。


 朝とも昼ともつかない薄い光の下で、木組みの鐘楼がきしきし鳴る。


 風があるからだ。

 南へ下ったぶん寒さは少し緩んだが、その代わりこの尾根はよく鳴る。板壁も、鐘の支柱も、張った縄も、風を受けるたびに小さく軋んだ。


 フレイヤはその音を聞きながら、鐘楼の脇に立っていた。


 山図はもう何度も広げ閉じしすぎて、折り目のところが白く擦れている。そこへ新しい印が増えていた。返ってきた鐘の場所。返らなくなった場所。拾えた者の数。死体しかなかった詰所。橋を落とした谷。もう使えない尾根道。


 消していくための地図みたいだった。


「北の二組、戻りました」


 言ったのは、鐘楼の下にいた若羽だった。声変わりの途中みたいな、まだ少し高い声だ。疲れているのに姿勢だけはやたらと真面目で、その感じがかえって若さを目立たせる。


 カイラの弟、リュカだ。十七。まだ完全に大人の顔ではないが、若羽の中では頭が回るほうで、鐘番と伝令の受け渡しを任されている。姉に似て気が強く、けれど怒鳴り合いになると必ず最後は負ける。


「何人」


「生きてたのは三人。うち一人は羽をやってて、自力では滑れません」


「死体は」


「……九」


 フレイヤは頷いた。


 驚く段階は、もう過ぎていた。


「南の谷へ回しな。ルダの列に混ぜる」


「はい」


 リュカは返事をして、すぐに鐘楼の中へ身を引いた。吊られた鐘の綱の具合を確かめ、風見布をひとつ直し、そのまま次の見張り台へ合図を送る。手際は悪くない。むしろ年のわりにはいい。


 その背中を見て、木壁に寄りかかっていたカイラが鼻を鳴らした。


「無理してんの丸わかりなんだよ、あいつ」


「そりゃ無理もするだろ」


 フレイヤは山図から目を上げずに言った。


「姉が姉だからね」


「なんだそれ」


 カイラは不機嫌そうに眉を寄せた。


 数日前の避難列で怒鳴り倒していたときより、顔色は悪い。寝ていないのだろう。髪も羽根も少し乱れている。だがそれでも武器の手入れだけはしていて、腰の山刀は鈍っていなかった。


「子ども扱いすんなって顔してる」


 フレイヤが言うと、カイラは鐘楼の中にいる弟をちらっと見た。


「子どもだろ、まだ」

「十七だよ」

「十七なんてガキだ」


「二十四も十分若い」

「フレイヤ、喧嘩売ってんの?」

「売ってないよ。朝から面倒くさいねえ」


 カイラは舌打ちした。


 けれど、その視線はやっぱり弟のほうへ戻る。見ている。ちゃんと見ている。気にしていないふりをしても、何かあれば真っ先に飛び出すだろうとわかる視線だった。


 フレイヤはそれ以上は言わなかった。


 山に残る者たちは、みんな少しずつ余計なものを削られている。眠りも、食べ物も、会話の飾りも。だから家族の距離感くらいは、そのままにしておいてやったほうがいい。


 火床のそばでは、ゴルムが若いのを相手に縄の掛け方を見せていた。


「違う。そう結ぶと濡れたときに噛むだろ」


「でも昨日は――」


「昨日は昨日だ。今日は風が強い」


 太い指で縄を解いて、結び直す。木材の切り口、支柱の傾き、風の通り道。ゴルムは相変わらずそういうものばかり見ている。敵より先に地形を読む男だ。


「東の橋板、あとどれくらい持つ」


 フレイヤが声をかけると、ゴルムは顔も上げずに答えた。


「半日」

「短いね」

「昨日までなら一日って言った」

「今日は?」

「人が多い。荷も多い。踏み方が荒い。あと風が変わった」


 ようやくこちらを見て、短く付け足す。


「半日だ」

「じゃあ半日で全部流す」

「そうだ」


 その横を、ルダが負傷者に肩を貸しながら通っていった。


「そっちは?」


 フレイヤが問うと、ルダは息も乱さず答える。


「飛べないのが十七。歩けるけど遅いのが二十くらい。熱出してるのが三人。翼膜裂いてるのが二人。

 子どもは数え直しだよ。次から次へ増えるんだから」


「減るよりましさ」


「減らないように働きな」


 ルダはそう言って、そのまま若い母親に水を飲ませ始めた。


 詰所は小さい。

 でも、山の残り火みたいにまだ機能している。


 鐘が鳴れば返す。

 返ってきたら拾う。

 人を流す。

 道を切る。

 残れる場所を削って、残るべき命を南へ落とす。


 その繰り返しだ。


 フレイヤは鐘楼の梁を見上げた。


 粗い木組みだ。急造だから仕方ない。もともとこの場所は長居するための詰所じゃない。鐘を一時的に受け、合図を分け、荷を捌いて尾根を渡すための場所だ。戦争向けじゃない。


 それでも今は、この小さな鐘楼が南の山々をつなぐ喉になっていた。


 風見布が鳴る。

 鐘の綱がわずかに揺れる。

 山のどこかで、まだ誰かが生きている合図を待っている。


 リュカが鐘楼から顔を出した。


「西南の見張り台、返答遅れてます」


「何拍」


「三拍」


 フレイヤは山図に目を落とした。


 三拍ならまだおかしくない。風向き次第で音は遅れる。詰所の位置もある。だが、いまはその小さな遅れひとつが喉に引っかかる。


「待つ」


「はい」


 リュカは引っ込んだ。


 その横顔を見て、カイラがぼそっと言う。


「待つ、で待てる顔じゃないだろ」

「待てない顔で待つのも仕事だよ」

「嫌な仕事だね」

「戦って死ぬよりはましさ」


 カイラが何か言い返しかけて、やめた。


 代わりに鐘楼の柱を軽く蹴る。


「リュカ!」


「なに」


「綱、絡ませるなよ」


「絡ませるほど下手じゃない」


「この前絡ませただろ」


「あれは風が急に――」


「風のせいにすんな」


 鐘楼の中から、リュカのむっとした顔が覗いた。


「姉貴こそ、槍避けきれなくて肩切ってたじゃん」


「は?」


「見たし」


「てめえ」


「見たって言ってんだろ」


 フレイヤは思わず鼻で笑った。


 カイラが振り返る。


「何笑ってんの」


「似た者きょうだいだねえと思ってさ」


「どこが」


「うるさいとこ」


「最悪」


「聞こえてるぞ」


 鐘楼の中からリュカが言う。


「それも似てる」


 今度こそ、カイラが本気で睨んだ。


 でも怒鳴らなかった。

 怒鳴れば、少しだけいつもに戻ってしまう気がしたからかもしれない。


 フレイヤはそのやり取りを横目に見ながら、山図を畳んだ。


 数日で、ずいぶん静かになった。


 避難民が抜けたからだ。

 死んだからでもある。

 山は広いのに、残る音はどんどん減っていく。


 その静けさが嫌だった。


 遠くで、鐘が鳴った。


 南東だ。

 かん、と乾いた一打。

 少し遅れて、もう一打。


 全員の視線がほんの少しだけそちらへ向く。


 かん。


 三打目が返る。


 ルダが小さく息を吐き、ゴルムが縄から手を離した。ほんのそれだけの変化だが、それがいまの詰所にとっては十分すぎる安堵だった。


「まだ生きてる」


 誰が言ったのか、フレイヤにはわからなかった。


 でもその言葉は、どこにも嘘がなかった。


 フレイヤは鐘楼の脇へ歩いた。


 木の柱に手を触れる。朝よりは少し温んでいる。風はまだ冷たい。南へ下ったぶん柔らかくはなったが、それでも指先の荒れは隠せない。


 ここも、長くは持たない。


 なんとなくそう思った。


 理由は説明できない。ただ、山に長くいると、木の鳴り方と風の当たり方でわかることがある。持つ場所と、もう死にかけている場所。鐘が返るか返らないかの一拍みたいに、言葉にならない違和感がある。


「フレイヤ」


 バルトが低く呼んだ。


「なんだい」


「南からの列、次で最後だ」


「拾えた数は」


「まだ数えてる」


「そう」


 それで終わりだった。


 数字はあとでいい。

 先に流す。

 流せるうちに。


 詰所の上を風が抜ける。

 鐘楼の木組みが、きし、と鳴った。


 リュカが綱の位置を変えようと、鐘の脇へ半歩寄る。

 カイラが「気をつけろ」と言いかける。

 フレイヤが次に返ってくるはずの鐘の方向へ目をやる。


 その瞬間だった。


 最初に来たのは、音ではなかった。


 光だ。


 鐘楼の木組みの向こう、空気そのものがひび割れるみたいに、金色の煌めきが走った。朝でも昼でもない、妙に澄みすぎた色だった。夕焼けにも似ているのに温かさがない。きれいなはずなのに、見た瞬間に背筋が冷える。


 フレイヤの喉が、反射で叫んだ。


「散れ!」


 叫ぶより早く、金の光が鐘楼全体を呑み込んだ。


 燃える、というより――

 そこにあった形を“正しく消す”みたいな火だった。


 木組みの輪郭が、金に縁取られて一瞬だけ浮かぶ。次の瞬間には、支柱も、鐘の綱も、見張り台へ伸びる縄も、全部まとめて内側から爆ぜた。


 轟音が遅れて来た。


 空気そのものが殴りつけてくる。板壁が吹き飛び、火床が散り、梁が裂ける。フレイヤはとっさに羽を半ばひらいて身を捻り、飛び退いた。熱い。炎というより、光そのものが肌を削るみたいな痛みだった。


 地面を転がって、すぐに起きる。


「ルダ!」

「生きてる!」


「ゴルム!」

「まだ死んでねえ!」


「バルト!」

「こっちだ!」


 声は返る。

 だが足りない。


 鐘楼の前にいたはずの小さな影が、見えない。


「リュカ!」


 カイラの声が裂けた。

 フレイヤは振り返る。

 金の炎に包まれた鐘楼の上部が、ゆっくり傾いでいた。鐘そのものが片側へ落ち、焼けた綱が空中で蛇みたいにうねる。そのすぐ脇、崩れた足場の端に、リュカがいた。


 飛び出そうとしていた。


 片足をかけ、体を前へ投げる。

 本来ならそこから崖へ出て、谷風を掴めたはずだった。


 だが、遅かった。


 爆ぜた梁の破片が、右の羽をまともに打った。乾いた、嫌な音がした。骨まで届く音だった。

 リュカの体勢が崩れる。

 ひらいたはずの羽は、風を掴まない。掴める角度じゃない。傷んだ片翼が空気を逃がし、若い体はただ前へ落ちた。


「姉貴――!」


 その声だけが、やけにはっきり聞こえた。


 次の瞬間、リュカの体は鐘楼の下の斜面へ叩きつけられた。


 落ちた場所が悪かった。


 崖の途中じゃない。

 詰所の下へすでに回り込んでいた浄化師団の前衛、そのすぐ手前だった。


 白金の縁取りがついた槍が、迷いなく突き出される。


 羽を折られ、立ち上がりきれない日鴉族は、そこではもうただの的だった。


 一本。

 一本。

 また一本。


 リュカの体が跳ねる。


「リュカッ!」


 カイラが飛び出した。


 ほとんど反射だった。考える前に足が出ていた。山刀を抜き、崩れた鐘楼の残骸を蹴り越え、弟のほうへ一直線に出る。


 フレイヤも動いていた。


 走るんじゃない。掴みに行く。

 あれは間に合わない距離だ。

 あそこでカイラまで落ちれば、次は姉弟揃って終わる。


「カイラ、戻れ!」


「離せぇッ!」


 フレイヤの手がカイラの肩布を掴む。振り払われる。もう一度、今度は腕ごと引く。カイラの顔はぐしゃぐしゃだった。怒りと恐怖と、理解したくない現実が全部一度に剥き出しになっている。


「リュカが――!」

「見えてる!」

「まだ――まだ息が――」

「ない!」


 フレイヤは怒鳴った。


 怒鳴って、そして自分でもその言葉に喉が裂けそうになった。


 だが言うしかない。

 あの場で見えているものを、言葉にして止めるしかない。


「今行ったらお前も死ぬ!」

「放せッ!」


 カイラが本気で肘を振った。フレイヤの頬をかすめる。痛みより、熱い。近くでまた金の火が木組みに走り、梁が崩れ落ちる。


 その横から、バルトが割って入った。


 無言でカイラの腰を抱えるように引き剥がす。カイラは半ば獣みたいに暴れた。蹴る。肘を打つ。叫ぶ。だがバルトは放さない。


「離せ!

 離せよ!

 あいつ――!」

「見ろ!」


 今度はバルトが怒鳴った。


 短く、重い声だった。

 カイラの動きが一瞬だけ止まる。


 斜面の下で、浄化師団の兵が槍を引き抜いていた。リュカの体はもう動かない。

 羽の裏側に、金と赤がいやに鮮やかに散っている。


 あれは、もう助からない。

 助けるとか助けないとかの段階を、すでに越えている。

 カイラの喉から、変な音が漏れた。叫びでも嗚咽でもない、ただ切れた音だった。


「……っ」


 フレイヤはその顔を見たくなかった。

 けれど目は逸らせなかった。


 鐘楼の上では、まだ金の炎が木を食っている。神聖魔法の火は赤くない。なのに、燃えた木の匂いだけは同じように臭い。鐘が傾ぎ、支柱が軋み、次の瞬間には音を立てて片側へ落ちた。


 鐘楼が、死んだ。


「頭!」


 ゴルムの声が飛ぶ。


 フレイヤが振り向くと、南側の見張り台から白い影がいくつも登ってくるのが見えた。浄化師団本隊じゃない。だが前衛としては十分な数だ。槍。盾。祈りの印を下げた外套。山には不向きなはずの連中が、数で斜面を埋めてくる。


「もう来る!」


「わかってる!」


 フレイヤは答えた。


 答えた瞬間に、選択肢が消えたのがわかった。


 ここはもう終わった。

 鐘楼が焼け、連絡線が切れ、前衛が回り込んだ時点で、この詰所は死んでいる。


 残る意味はない。

 残れば、ここで全部終わる。


「下がるよ!」


 フレイヤが叫ぶ。


 ルダが負傷者を引きずるように立たせ、ゴルムが崖道側へ走る。若羽たちの顔は真っ白だった。だが、まだ動ける。動けるうちに動かさなきゃいけない。


 カイラだけが動かない。


 バルトに押さえられたまま、弟の死体のほうを見ている。目を見開いたまま、何も捉えていないような目だった。


「カイラ」


 フレイヤが呼ぶ。


 返事はない。


「カイラ!」


 今度は頬を打つような勢いで名を叩きつける。


 ようやく、視線が揺れた。


「……下がれ」

「……やだ」


 掠れた声だった。


「やだ、じゃない」

「置いてけるかよ……」


 フレイヤは息を飲んだ。


 その一言はわかりすぎるほどわかった。

 さっきまで、自分たちは荷も箱も場所も置いてきた。

 今度は弟だ。


 理屈で切れるものじゃない。


 でも切るしかない。


「置いてくんじゃない」


 フレイヤは低く言った。


「今は取れないだけだ」


 嘘ではない。

 戻れるかどうかはわからない。

 それでも今ここで死ぬよりは、まだその言い方のほうがましだった。


「……」


「生きて残れ。残って、あとで取り返せ」


 カイラの顔が歪んだ。


 納得なんてしていない。するはずもない。

 それでも、その言葉でようやく足元が戻る。


 バルトがその隙に、半ば抱えるようにしてカイラを引いた。


「ゴルム!」


 フレイヤが叫ぶ。


「南の縄橋、まだ使えるか!」

「一回だ!」

「十分!」


 ゴルムはすでに斧を抜いていた。崖道へ渡す仮橋の支えを見ている。最後の一度だけ通して、そのあと落とす気だ。


「ルダ! 歩けないのから先!」


「やってる!」


 火床のそばで倒れていた若羽を二人がかりで担ぎ上げる。見張り台の一本が崩れる。風が金の火を煽る。鐘楼の梁が落ちて、今度は地面の木杭が弾け飛んだ。


 フレイヤは最後に一度だけ、下を見た。


 斜面の中ほどに、リュカがいる。

 もう動かない。

 白い羽の片側が、ありえない角度に折れている。


 日鴉族は飛べない。

 高いところから、風を使って遠くへ滑るだけだ。

 羽を折られ、地に落ちた時点で、若い鴉はもう山の民の強みを失っていた。


 その事実が、胃の底を冷たく抉る。


「頭!」


 バルトの声で、フレイヤは振り向いた。


 だめだ。

 ここで止まれば本当に終わる。


 フレイヤは歯を食いしばり、踵を返した。


「全員、南へ!」


 崖道へ走る。

 足場が揺れる。縄橋が鳴る。ひとり渡り、ふたり渡り、負傷者を支えた若羽がよろめきながら続く。カイラはバルトに押されるように進み、それでも一度だけ後ろを振り向いた。


 その視線の先で、鐘楼が完全に崩れ落ちた。


 金の炎が木組みを包み、鐘の縁を舐め、最後には重い金属音とともに谷へ叩き落とす。


 山を繋いでいた音が、そこで切れた。


 ゴルムが最後に渡る。

 振り返りもせず、斧を一閃した。


 縄橋の支えが断たれる。


 木と縄が悲鳴みたいな音を立てて崩れ、詰所と南側の尾根の間に深い断絶が生まれた。追ってきた浄化師団の先頭が、そこで一瞬だけ足を止める。


「五分だな」


 ゴルムが吐くように言う。


「十分だよ」


 フレイヤは答えた。


 十分じゃない。

 でも、今はそう言うしかない。


 南へ。

 さらに南へ。


 もう鐘はない。

 もうあの詰所はない。

 山に残る側でいられる時間も、たぶんここで終わった。


 フレイヤは走りながら、喉の奥でひとつ息を殺した。


 泣くな。

 怒るな。

 まだ終わってない。


 でも、何かひとつが、確かにここで終わった。


 背後で燃える鐘楼の光が、木々の隙間からいつまでもちらついていた。

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