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農家の異世界奮闘記 外伝~日鴉戦記~  作者: 今無ヅイ


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13/13

Leave It to Them.

 下りてきてからしばらく。

 この短期間で、後方はずいぶん形を変えていた。


 避難民用の天幕は列を増やし、木組みの小屋は一棟、また一棟と生えたみたいに増えている。泥にまみれた馬車道は踏み固められ、荷の出入りは止まらず、どこへ行っても誰かが走っていた。


 山から持ち帰った遺品は、布に包まれて隅へ積まれている。

 折れた短弓。名を刻んだ木札。羽根用の櫛。擦り切れた手入れ布。小さな護符。


 体は拾えなくても、名前だけは持ち帰った。

 山に置いてきたのは体だけだ。


 フレイヤは、その前をゆっくり通った。


 左腕には太い添え木。肘から指先まで白い布で巻かれている。右目は半分だけ開く。金の爆風に巻き込まれたとき、飛んできた石礫がかすめたせいだ。視界の端では、まだ時々、白い残像がちらついた。


 だが、立って歩ける。


 その程度で済んだのは、あの山がまだ「アタシを生かす」と決めたからだと、勝手に思うことにしている。


「だからって勝手に歩き回っていい理由にはなりません」


 後ろから飛んできた声に、フレイヤは肩越しに振り向いた。


 ツチダだった。

 相変わらず、寝ていない顔をしている。髪は乱れ、服の裾には土がつき、手には書類と薬包と、なぜか半分食べかけの黒パンまで持っていた。


「歩き回ってるのはそっちだろ」


「俺は両腕とも使えます」


「嫌味だねえ」


「事実です」


 ツチダはそこで足を止め、フレイヤの右目をじろりと見た。


「見えてます?」


「半分はね」


「それ、全然大丈夫じゃないです」


「半分見えりゃ山なら十分さ」


「ここ山じゃないです」


 ぴしゃりと言い返されて、フレイヤは少しだけ口元を緩めた。


 この男は変なところで容赦がない。皇帝にも言うことは言うのだろうが、怪我人相手にはもっと容赦がない。


「今日はどこまでです」


「観測台」


「駄目です」


「呼ばれてるんだよ」


「聞いてます。だから付き添いをつけます」


「子どもじゃないんだけど」


「今のあなたはほぼ手のかかる重傷者です」


 その言い草が妙に真顔だったので、フレイヤはとうとう笑った。頬の傷が引きつって、少し痛い。


「重傷者扱いにしちゃ、ずいぶん歩かせるじゃないか」


「止めても歩くでしょう」


「まあね」


「だからせめて転ばないようにしてるんです」


 理の国の男は面倒くさい。

 でも、その面倒くささに何度も助けられたのも事実だった。


「カイラは」


 フレイヤが訊くと、ツチダは顎で野戦病院のほうを示した。


「動けるって言って、朝から物資の仕分けしてます。肩、まだ全然だめなのに」


「忙しいほうがましなんだろうね」


「わかりますけど、休んでほしいです」


「休めるようなら、あそこまで悪い顔はしてないよ」


 ツチダは何とも言えない顔をした。


 その先の野戦病院では、ルダがいつものように怒鳴っていた。負傷者を寝かせる幅が足りないだの、翼の下に布を噛ませろだの、帝国兵相手に一人で三人分くらいの騒ぎを起こしている。

 バルトはその少し外、木柵に寄りかかっていた。相変わらず表情は薄いが、脇腹に巻いた包帯が外套の隙間から見えている。

 ゴルムは指の腫れた手で木材を持ち上げ、工兵隊と何やら話していた。

 ニクスはどこにいるのかわからない。たぶん近くにいて、見えていないだけだ。


 みんな、怪我だらけだった。


 でも立っていた。


 立って、まだそれぞれの仕事をしている。


「……よく残ったね」


 フレイヤがぽつりと漏らすと、ツチダは一拍遅れて答えた。


「残ったから、ここまで来たんでしょう」


 それはそうだ。

 あまりにもその通りで、フレイヤは返す言葉をなくした。


 そのとき、帝国の伝令兵が駆けてきた。


「フレイヤ殿。辺境伯閣下がお待ちです」


「ほら見ろ」


 フレイヤが言うと、ツチダは深いため息を吐いた。


「わかりました。俺も途中まで行きます。転ばないでくださいよ」


「子ども扱いがひどいねえ」


「重傷者ですから」


 結局、付き添われる形で観測台まで上ることになった。


 丘陵の高みは、山の高みと違う。

 風はあるが、尖っていない。空が開けていて、隠れる岩も木も少ない。その代わり、人の手が入っているのがよく見えた。


 土塁。

 溝。

 逆茂木。

 魔力砲の砲列。

 補給用の荷車。

 伝令線。

 兵の列。


 山で買った十日が、そこにあった。


 グライフェンタールは観測台の先に立っていた。


 背を向けていてもわかる。あの男は立っているだけで、そこが司令部になる。


「来たか」


「来たよ」


 フレイヤは少し遅れて隣へ並んだ。


 丘の向こうにアギール平野が広がっている。まだ敵本隊は遠い。だが、ここが受ける場所だということだけは、嫌というほどわかる。


「見事な牙だね」


 フレイヤが言うと、グライフェンタールは視線を動かさずに答えた。


「貴官らが稼いだ十日が、この陣地だ」


 その言葉を、フレイヤはすぐには飲み込めなかった。


 十日。


 長かった。

 短かった。

 そのどちらでもある十日だ。


 北西が焼け、鐘が切れ、鐘楼が落ち、山が削れ、風が変わり、最後に鍵を閉めた。そこまでの時間が、いまこの土塁と砲列になっている。


「高くついたよ」


 フレイヤは低く言った。


 グライフェンタールはわずかに頷いた。


「安く済む戦などない」


 それだけだった。


 それで十分だった。


 しばらく、二人とも黙ったまま平野を見ていた。

 下では兵が動いている。荷が運ばれ、砲兵が角度を測り、工兵が最後の土を盛る。理の国らしい、きっちりした忙しさだった。


「神聖国軍はどうだい」


 フレイヤが問う。


「痩せている」


 即答だった。


「兵も、足も、腹も。

 山で好きにさせすぎたツケを、いま払っている最中だ」


 フレイヤは鼻で笑った。


 橋を落とした。

 荷駄を谷へ落とした。

 ぬかるみを残した。

 夜に迷う尾根を残した。

 悪い場所だけ残してきた。


 あれはちゃんと、向こうの腹を噛んでいるのだ。


「猟兵隊は休養に入れる」


 グライフェンタールが続けた。


「少なくとも会戦までは後方だ。必要なら観測と伝令だけ借りる。

 だが主戦場は、もう平野だ」


「そうだろうね」


 フレイヤは頷いた。


 それに異論はなかった。

 山はもう閉めた。

 次は平地の連中の番だ。


 少し離れたところでは、バルトが待っていた。

 木柵にもたれ、相変わらず大して表情を動かさない。

 そのさらに向こう、野戦病院の手前では、カイラが肩に包帯を巻いたまま木箱を仕分けているのが見えた。動きは荒いが、止まってはいない。


 みんな、まだ立っている。


「山は閉めたよ」


 フレイヤが言う。


「知っている」


「なら、次はそっちの仕事だ」


 グライフェンタールはようやくこちらを見た。


「ああ。次はこちらの番だ」


 その言い方は、以前会議室で聞いた声より少しだけ柔らかかった。


 フレイヤは丘の向こうを見た。


 土塁。

 溝。

 砲。

 並ぶ兵。

 走る伝令。

 運ばれる荷。

 後方で息をついている避難民。

 木箱に包まれた遺品。


 全部が一枚の風景に重なっていた。


 山の分は終わった。


 でも、終わったから消えるわけじゃない。

 山で死んだ者の名前も、山で削った十日も、そのままここへ流れ込んでいる。


 フレイヤは小さく息を吐いた。


「あとは任せた」


 声は大きくなかった。

 でも、風に消えるほど弱くもなかった。


 グライフェンタールは何も言わなかった。


 ただ、一度だけ頷いた。


 それで十分だった。


 フレイヤは踵を返す。


 戻れば、寝ろと怒鳴るツチダがいるだろう。


 ルダが包帯を巻き直し、カイラが忙しい顔で文句を言い、バルトは黙って立っている。


ゴルムは工兵相手に橋の悪口でも言い、ニクスは見えないところから全部見ている。


 その全部を残して、次の戦いは平野で始まる。


 猟兵隊アタシらにふさわしいのは、たぶん勝利ではない。受け渡しだ。


 山で買った十日を、平野へ渡す。


 それで十分だと、いまは思えた。

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