第三夜
のんきに湯呑みを揺らしながら、蓮見は声を上げて笑った。
「そいつぁ災難だったねえ」
「笑い事じゃあないよ、まったく。何度あのひひジジイのハゲ頭、どついてやろうと思ったことか」
だらしなく胡座をかきながら、牡丹はやけになったように茶を呷る。ちなみに今日は蓮見の部屋で、蓮見が用意した番茶だ。いつも通り禿たちには、牡丹が持参した菓子を与え、彼女たちは自室で牡丹付きの禿と遊んでいる。
見世の看板である昼三の牡丹は、寝室を兼ねた私室と専用の仕事部屋、宴会部屋、禿部屋を持つことが許されている。次点の付き廻しの蓮見には、寝室と仕事部屋、あとは禿部屋が与えられる。また、それぞれのお抱えの振袖新造には、別に小さな個室がひとつずつ用意されている。
広さに違いはあれど、自室があるだけ、昼三も付き廻しも恵まれている方だ。
その下の位の部屋付きは、寝室兼仕事部屋の一つ。最下位の縁席にいたっては、大部屋で雑魚寝を強いられる。客の相手をするのも、衝立で区切った相部屋で、そうなれば客層も自然、「手頃に女と遊べれば良い」という粗悪な男ばかりになる。
振袖新造になることも出来ず、禿として一通り修行をしてすぐに、縁席として客を取る羽目になる女もいる。彼女たちは年季が明けるまで、よほどの事がない限り、雑居房暮らしだ。
ただし、情けを受けて泣いて喜ぶような甘ったれは、花籠楼には存在しない。いや、存在してはいけないのだ。
(故に、上位女郎の役目は、郭全体に利をもたらしてくれる、質の良い客を長く引っ張り続けること。その客がまた別の良い客を呼んでくれるように、客を満足させることだ)
その点で、家老の弓木は極上の客だ。彼を慕う者は多く、彼もまた気軽な接待の日には、花籠楼を使ってくれる。美食と酒、機知に富んだ女郎との会話を楽しみ、連れの無体は許さない。昨日は久しぶりの、一人きりの登楼だった。
一方、材木問屋の青野屋は、自分の楽しみのためだけに見世に通い、しかも年甲斐もない助平爺。だから、金払いは良くても歓迎出来ない客なのだ。
憤懣やるかたないといった表情で、茶菓子として用意した金平糖を貪る牡丹に苦笑し、不意に蓮見は表情を曇らせた。
「……大丈夫だったの? 明楓と、庵治」
明楓にはあのあと、酔った青野屋を任せっぱなしにしてしまった。本音ではこちらの弓木の座敷に居たかっただろうに、彼女は姐女郎の命令を無事にこなしてくれた。性根が優しく、おっとりとした明楓だ。青野屋のような客は、一番苦手としている。独り立ちしていれば、「甘ったれんじゃない」と容赦なく叱咤するところだが、今朝は時間の許す限り泣き言に付き合った。今頃は同じ新造仲間と、庭先で駄弁りに興じているはずだ。
難しい状況の取り回しを任せた庵治も、昨晩、機嫌を損ねた青野屋に盃を投げつけられてしまった。けれども、庵治だったからこそ、あの程度で済んだのだ。立ち回りの下手な男衆であれば、最悪は青野屋を牡丹の部屋に乗り込ませかねなかった。
幸い、怪我も大したことはなかったようで、禿に軟膏を届けさせると、彼はしきりに恐縮していたそうだ。
「大丈夫だよ。あんがと」
「……なら、良かった」
他人の禿や、見世の男衆にまで気を配る、蓮見は本当に優しいヤツだ。親友の包容力の高さに、牡丹までむず痒い感覚に陥る。
ニマニマと含み笑いを浮かべると、蓮見は気味悪そうに眉をひそめた。
「何よ、気持ち悪い」
「ふへへっ。いやあ、蓮見姐さんは優しいなぁって」
「おちょくるんじゃないよ」
ふざける牡丹に、蓮見が殴り掛かる振りをしていると、部屋の外から蓮見の名を呼ぶ声がする。慌てて蓮見が襖を開けると、そこには先程彼女が案じた庵治が、いつも通り姿勢よく跪いて控えていた。
「庵治! どうしたの?」
「蓮見さん、女将さんがお呼びです」
「私? 女将が?」
用件に思い当たることがなかったのか、蓮見は不思議そうに首を傾げている。そんな彼女に一つ頷き、彼はちらりと牡丹に視線をやった。
彼の言いたいことを察した牡丹は、鷹揚に頷き掛ける。
「行ってきなよ、蓮見。あたしは適当にしてるからさ。時間かかるようなら、部屋に戻るし」
「……ごめん、牡丹。行こうか、庵治」
庵治に先導され、慌ただしく部屋を出て行く蓮見を見送り、牡丹は勝手知ったる気安さでその場にゴロンと横たわった。
女将の話は、随分長引いたようだった。
気が付けば寝転んだままうつらうつらしていた牡丹が、ハッと目を覚ますと、まだ高かった陽が陰りかけている。慌てて牡丹が身を起こすと、ぼんやりと窓際に佇んでいた蓮見が、ゆっくりと振り返った。別室で蓮見付きの禿と遊んでいたはずの翠、藍、珊瑚も、行儀よく部屋の片隅に正座している。
「……わりぃ、寝てた。――女将、なんの話だったの?」
バツの悪さに頭をかきながら尋ねる牡丹に、蓮見は曖昧に笑って首を振る。その表情が気になって、まじまじと蓮見を見つめていると、彼女はこちらに歩み寄ってきて、牡丹の額を指先で弾いた。
「いてっ」
「さっさと支度しな。夜見世、始まるよ」
蓮見の笑顔はいつも通り、控えめな大人びたものだ。声もいつもと変わらない。けれど、その様子にどこか違和感を覚え、牡丹は何とも言えない気持ちを抱えたまま、禿を引き連れて自室に戻った。




