【番外編】第二話 ふたりの距離と、ねこの尻尾
朝の陽ざしが差し込む静かな部屋。
目を覚ました美琴は、ぼんやりと天井を見つめた。昨夜、セイに「一緒に暮らそう」と言われてから一晩。現実感がじわじわと押し寄せてくる。
(え、私、ほんとに……同棲してるの? イケメンと?)
気恥ずかしさに顔を真っ赤にしながら、そっと寝室を出ると、リビングにはセイがいた。エプロン姿で、何やら朝食の準備中らしい。
「おはよう。……よく眠れたか?」
「え、う、うん。ってか、何その格好……!」
「朝食、パン派? ご飯派? ちなみに俺はどっちでも対応可」
「え、万能すぎて逆に怖い」
セイは器用にフライパンを操りながら、美琴にコップを差し出した。
「牛乳とオレンジジュース、どっちがいい?」
「ま、魔王城の朝食かよ……」
なんて言いつつ、内心、頬が緩む。こうして肩肘張らずに会話できるのは、どこか懐かしい。
ふと視線を落とすと、テーブルの下で白い猫が丸くなっていた。
「……え、この子?」
「ミミっていう。前に迷子だったのを拾ってさ。人間より俺に懐いてる」
「やだ、ズルい……なでてもいい?」
「どうぞどうぞ」
そう言って手を差し出すと、猫のミミはころんとお腹を見せた。
「うわ、可愛い……癒される……私、この子の下僕になる……」
「下僕って」
思わず吹き出すセイに、美琴も笑う。空気がふんわりと柔らかくなる。
食卓には、手作りのトーストとスープ、そして焼きたてのスクランブルエッグ。思ってた以上に本格的。
「……おいしい。え、セイってもしかして、主夫力高い系男子?」
「冒険者辞めたらカフェでもやろうかなって思ってた」
「それ、絶対人気出る……行列できるやつだ」
「でも俺、厨房よりもフロアに出て接客したい派なんだけど」
「え、顔面力で回していくタイプ?」
「ほら、お客様第一主義だから」
笑い合いながら、美琴はそっとスプーンを置いた。ふと、ふたりの関係がどこか“家族っぽい”と感じてしまう。
(――ああ、こういうの、いいな)
静かに流れる朝の時間が、心に染みていく。
午後になって、セイとふたり、近くの街まで買い出しに出かけることにした。
「これが君の好きなハーブティー?」
「うん。前に飲んだとき美味しかったから……」
「了解。ストックしとこう」
さりげなくカゴに放り込む姿に、美琴はきゅんとする。
(こういう、なんでもない気遣いって……やばい)
それから、調味料コーナーにて。
「……セイって、なんでシナモン3本もカゴに入れてるの?」
「朝のトーストに必須だろ? これがないと始まらない」
「君は何者なの。スパイスの化身?」
「将来的には、香辛料専門店とかもアリかなって」
「話がデカい」
どこまでも自然体で接してくる彼に、美琴の警戒心も徐々にほどけていく。
レジを終えて、買い物袋を片手に並んで歩く帰り道。
「こういうの、懐かしいね」
「え?」
「前の世界でも、こうしてふたりでコンビニとか行ったなって。夜中にカップラーメン買って、笑って、帰って」
「……うん、あったね」
懐かしさと、ほんの少しの切なさが入り混じる。
だけど今は、それを思い出話として語れるだけの時間が、ふたりの間に流れていた。
「……また行こうね。何度でも」
「うん、何度でも」
帰宅後、ふたりで夕食を作ることになった。なぜかメニューは「オムライス」。
「じゃあ、お互いにメッセージ書こう。ケチャップで」
「は? なにそのイベント……」
「付き合ってます感、出るだろ」
「……はいはい。じゃあ私が書くね」
数分後、完成したふたりのオムライス。
美琴が書いたメッセージは――「いつもありがとう」
セイが書いたメッセージは――「これからも、よろしく」
目が合い、笑い合う。
「……なんか、照れるね」
「でも、なんかいいな。こういうの」
食卓に、優しい時間が流れる。昨日までの距離感が、少しずつ埋まっていくのを、美琴は肌で感じていた。
夜、リビングのソファに並んで座りながら、猫のミミを間に挟んでテレビを見る。
「明日、森にキノコ取りに行こうか。今の季節、いいのが採れる」
「急に乙女ゲーのイベントみたいな提案するじゃん……」
「でも、俺と一緒なら絶対安全だよ?」
「そーいうこと言うから乙女ゲーくさくなるのよ!」
そんなふうに、じゃれ合いながらも、ふたりの心は確かに近づいていた。
そして夜が深まり、眠る時間が近づいても――
「おやすみ、ミコト」
「……うん。おやすみ、セイ」
その言葉が、自然に口からこぼれた。
もしかしたら、ふたりの“家族”としての第一歩は、こういう小さな一歩から始まるのかもしれない。
――ふたりと、一匹の猫と。
新しい日常は、静かに、でも確かに、育まれていくのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございました
次の話もお楽しみください
一ノ瀬和葉