第四話 出会いは静かに、運命のように。
誰かに好かれることは、もう慣れてしまった。
でも――私が「誰かを好きになる」ことは、ずっとなかった。
魅了スキルを使わずとも惹かれてしまう人なんて、きっといない。
そう思っていたある日。
静かな午後、たった一人で本を読む青年。
彼の目に、一瞬、懐かしい影がよぎった気がした。
……どこかで、会ったことがある気がする。
心にそっと差し込んだ、小さな違和感。
それはまるで、時間を越えて導かれるような感覚だった。
これは、追われる恋じゃない。
人生で初めて――私が追いかけたくなった恋。
それは、何気ない午後のことだった。旅の途中、立ち寄った大きな町――“フィリナ”の中心街にある複合商業施設〈ルナ・アーケード〉。その最上階のレストラン街の一角に、美琴はふらりと足を運んだ。
「……この辺り、おしゃれすぎない?」
高級感漂う店が並ぶ中、ひときわ落ち着いた空気を放つカフェがあった。
カフェ〈ベルトメール書房〉――壁一面に本棚が広がり、静かな音楽と共に、香ばしいパンケーキの匂いが漂ってくる。
「ここにしよ……静かそうだし」
空いている窓際の席に腰を下ろしたその時。
「……あ」
少し離れた席で、一冊の本を読んでいる青年の姿が目に留まった。
背はすらりと高く、整った横顔。肩まで流れる淡い銀髪に、深い青の瞳。どこか、見覚えのあるような――
(あれ……? この人……どこかで……)
ページをめくる指先も、無駄がなく静かで美しい。その目は本の世界に深く没頭し、周囲の喧騒けんそうなどまるで気にしていない。
ふと、美琴の胸が騒いだ。
(……今の私のスキル、ちゃんと働いてるよね?)
いつもなら、目が合えば即・崇拝。ため息をついただけで告白される。
なのに、彼は美琴を見ても、何の反応も示さない。
それが、なんだか――新鮮だった。
数日後。
美琴はまた、あのカフェ〈ベルトメール書房〉を訪れていた。
そして、偶然を装いながら、彼の近くの席に座る。
彼は、また静かに本を読んでいる。小さなティーカップを片手に、時折、ページの余白にメモを書き込んでいた。
(名前……聞いてみようかな)
でも、話しかける勇気はなかなか出ない。
こんなふうに、誰かのことを「もっと知りたい」と思うのは、きっと初めてだった。
三度目の来訪で、ようやく勇気を出して話しかけた。
「あの、本……面白いですか?」
彼は少し驚いたように顔を上げ、美琴を見た。
「……ああ。これは、戦時中に書かれた日記なんです。作者の目線が独特で、ちょっと惹かれてて」
「そ、そうなんですね。あの、私、美琴って言います。ちょっと前から、何度かここで見かけてて……」
「……セイです」
彼の名前を聞いた瞬間、胸の奥が震えた。
(セイ……やっぱり……)
その日から、美琴は毎日のように〈ベルトメール書房〉を訪れるようになった。
セイと本について話す時間は、ほんのわずか。
けれどその一瞬が、彼女の一日を照らした。
ある日、セイが読んでいた本に、美琴が反応した。
「その本……私も読んだことあります。ラスト、衝撃でしたよね!」
「え? 本当に? この本、読む人少ないのに……」
目を輝かせるセイの姿が、胸を締め付けた。
もっと話したい、もっと笑顔が見たい。
次の日、美琴は小さな勇気を出して、一冊の本を彼に渡した。
「これ、私のおすすめです。……よかったら、読んでみてください」
「ありがとう。返すとき、また感想言ってもいい?」
「もちろん!」
それは、まるで恋文のやりとりのようで、胸がくすぐったかった。
本を貸してから、数日後。
美琴がカフェを訪れると、セイがこちらを見てほほえんだ。
「例の本、読ませてもらいました」
「えっ、どうでした……!?」
セイは頷いた。
「すごく、よかった。特に主人公の最後の独白……なんというか、読んでて泣きそうになった」
「わかる……! あそこ、私も何度も読み返しました」
「共感できる読書相手って、貴重ですね」
「うん……私も、こんなふうに感想を語り合えるのって、すごく新鮮」
しばらく会話が続いたあと、セイが言った。
「今度、この近くで古本市があるんです。……よかったら、一緒に行きませんか?」
美琴の心臓が跳ねた。
「……行きたい!」
セイがまた、少し照れたように笑う。
「じゃあ、土曜の午後にこのカフェで待ち合わせ、ってことで」
「うん、楽しみにしてます!」
カフェを出た帰り道、美琴は自分の頬が熱くなっているのを感じていた。
(本当に私、追いかけてるんだな……)
けれど、苦しくはない。
胸の奥が、優しく、甘く震えている。
セイ。
あの日、自分が命をかけて助けた、あの小さな男の子。
今では立派に成長し、こんなにも静かで、大人びた青年になっていた。
(まさか、こんな形で再会するなんて)
けれど、彼の様子からして、美琴のことを覚えている様子はなかった。
セイは言う。
「……なんだか、懐かしい気がするんです。あなたの声とか……空気感とか」
それだけで十分だった。
美琴の中で、過去と現在が静かに結びついていく。
そして彼女は、初めて知る。
“追う恋”というものの、もどかしさと、愛おしさを。
その夜、美琴は月の下でひとり、アーケードの街灯を眺めながら、ふと呟いた。
「……私、今、恋してるんだ」
胸の奥が温かく、でも少しだけ切ない。
「また、ここで会ってもいいですか?」
「……もちろん」
微笑み合ったその瞬間。
世界が、少しだけ優しくなった気がした。
――第4話 完
ここまで読んでいただきありがとうございました
次の話もお楽しみください
一ノ瀬和葉