死にたかった夜に
今夜、死にたかった。
雑居ビルの屋上、冷たいコンクリートに足を投げ出して、眼下の街を見下ろす。遠くでネオンがチカチ力して、夜の街が生きてるみたいだった。
車のクラクションが断続的に響く。でもここだけは妙に静かだ。もう何もかもどうでもいい。
佐倉灯。もうすぐ25歳。人生全てに疲れ果てた女。過去も今も未来も、全部が重くて心がすっかり擦り切れている。笑うのも泣くのも、何もかも面倒で。頭の中にずっと靄がかかっているみたい。生きてる意味なんて見つけられない。見つける気力ももうない。
もう死んじゃおう。今なら飛べる。
消えたって、きっと大したことない。
そう思った瞬間、背後から煙草の匂いが漂ってきた。
「お前、何してんだ?」
知らない男の声が、暗闇に響いた
振り返ると、煙草を咥えた男が立っていた。
背が高くて、細身だけどどこか力強い。目が鋭いけど、よく見ると綺麗な顔立ちだ。目の下に薄いクマがあって、ジャケットの袖が擦り切れてる。
擦れてるけど、どこか目を引く男だった。
少し長いダークブラウンの髪をなびかせながら、鋭い目でこっちを見てる。
「なんだその顔。死ぬ気かよ?」
そう言われて、私は小さく頷いた。
男は「バカみてえ。死ぬならもっと楽な方法あんだろ」と鼻で笑った。
「あんたに関係ないじゃん。ほっとけ。」
沈黙が流れた。
屋上の端から吹き込む風が冷たくて、背筋がゾクッとする。もうすぐ冬になるのだ。
遠くでまたクラクションが鳴った。
しばらくすると、男が煙草をふかしながらサラッと言った。
「死ぬなら俺と結婚しねぇ?」
「は?」
「俺、過去に人殺してるけど。まあ、どうでもいいだろ? どうせ死ぬなら、その人生俺がもらっていいか? 結婚しようぜ。」
頭が真っ白になった。人殺しと言われたら、普通は怖いし逃げたくなる。
だけど、人生を終わらそうとしていた私は、なんだか笑えた。
「それもありかも。」
男は少し驚いたあと、ニヤッと笑った。
「俺、矢崎蒼。お前は?」
「佐倉灯」
「灯、ね。覚えた」
と呟いて、また煙草を吸い始めた。
屋上の風が冷たい。蒼の煙草の煙が夜に溶けていく。こんな出会いから何が始まるんだ? 頭の片隅でそう思ったけど、考えるのも面倒だった。
「で、どうすんだ? 今から死ぬのやめて、俺と一緒に降りるか?」
蒼は煙草を吸い終わると、煙草を地面に押しつけて、立ち上がる。
「降りるよ。死ぬのめんどくさいし。」
「そっか。じゃ、行くか。」
蒼が先に歩き出した。私はその背中を追いかける。
死にたかった夜が、こんな形で終わった。明日から何が始まるのか、想像もつかない。ただ、蒼の背中が妙に落ち着いて見えた。
そこから始まる、予測不能な人生の続き。