禁域の王・ペンネ
「侯爵様が反逆罪なんてあるわけねえだろ!」
「第一王子はひでえ奴だって聞いたことあんべえ」
「降伏なんてすてまるかっ!」
この領は領地全体が農業を営んでいるため、そこら中に畑がある。この街だって領都ではあるが、その周囲には農地が広がっている。そんな農地までも壁で囲んで守ることなどできるはずもなく、必然的に農地は壁の外になり、当然ながらそうなれば壁の外で暮らす者達も存在していることになる。
そんな壁の外で暮らしている領民たちが、王子の軍からの降伏勧告を聞いて憤りをあらわにしている。中には農具を掲げて叫んでいる奴もいる。
「というか、そもそも逆らう気満々らしいんだけど?」
あんなことしたらその行為だけでも反逆罪としてとられてもおかしくないってのに。それくらい領民たちも分かっているはずだが、それでもあんな行動に出たのはそれだけローザリア達領主一族が好かれているからなんだろう。
「……エルドさん。あなたの言っていた奥の手というのは、この状況をどうにかすることができますか?」
領民を愛して自身を犠牲にしようとしている領主一族。そしてそんな領主一族を守ろうと立ち上がる領民たち。
理想ともいえる領主と民の関係がここにあるが、それがいま壊されそうになっている。
そのことが理由なのかどうなのかは分からないが、先日まで自分が犠牲になって降伏しようとしていたはずのティアリアは、悲し気に、だが覚悟の決まった眼差しで俺へと振り返りながら問いかけてきた。どうやら戦う覚悟が決まったらしい。
「まあ、できなくはないけど……あれって王国軍なんだろ? 全部殺しても問題ないのか?」
覚悟があるなら構わない。だが、その前に俺達が本気で戦うって言葉の意味を理解しているのか、そしてその結果を受け入れて進む覚悟が本当にできているのか確認しなければならない。
「……殺さずに制圧をすることは出来ませんか?」
「無理だな」
「そうですか。……ならば構いません」
僅かに瞑目した後、ティアリアは再び眼を見開いてはっきりと見つめ返してきた。
……まあ、いいか。まだ迷いはある。実際に戦場を見たことがなく、大勢の人が死ぬ場面も見たことがないだろう。だからティアリアが想像している〝戦場〟とこれから生まれる〝地獄〟は別物のはずだ。すべてが終わった後に後悔をするかもしれない。
それでも、今この時点での覚悟は本物だ。少なくとも俺はそう感じた。友達が困難い立ち向かう覚悟を決めたんだ。なら、共に戦ってやるのがウルフレックの男って奴だろ。……いや、あの場所なら女でも一緒に戦うわ。その代表格がうちの姉なわけだし。
まあなんにしても、思い切りやるか。
「そうか。それじゃあ――でてこい、犬っころ」
「ぶっ殺すぞてめえ!」
俺が足元の影をつま先で叩くと、ペンネが本来の姿、本来の大きさの状態で出てきた。
体高十メートルくらいのバケモノ。とてもではないが城壁の上になんて載っていられないため、陰から出てくると同時に壁の外下に降りていったわけだが、それでも圧倒的な威圧感を放っている。
「え、えるどさん……この魔物はいったい……」
突然俺の影から魔物が出てきたことで驚いたのだろう。その場にいた四人だけではなく、侯爵やそのお付きの人も驚き、見える範囲にいた警備兵たちは怯えや恐怖さえも感じている。
そんな中で、俺がやった、ということが分かっているからかティアリアは驚きながらも震える声で問いかけてきた。
「うちの庭に住んでた獣の王様の一人だ。ああいや、人じゃないから一体、かな」
「禁域の王……」
そうだな。まあそう呼ばれているけど、結構長い間一緒にいるとあいつにそんな呼び名は贅沢なんじゃないかって思えてくる。だって普段は何の役にも立たないわんこだし。
「そ、そんな存在がなぜこのようなところに……」
「森で遭遇して殺しにかかってきたからボコして契約した」
事実だけを端的に言ったはずなのに、なんでかみんな俺のことをわけが分からない存在を見るような目で見てきている。……そういえばここはウルフレックじゃないんだった。あそこのみんななら驚きはしても楽しそうに笑って喜んでくれるだけだったけど、他だとこんなに驚かれるのか。
「あんまり調子に乗んじゃねえぞ? 俺様の方から契約してやっただけだ」
ボコされて契約することになった、っていう俺の言葉が気に入らなかったんだろう。ペンネは忌々しそうに城壁の下からこちらを見上げて唸り声を出している。
「俺に手も足も出なかったくせに?」
「てめえも俺様に傷つける事ができなかっただろうが」
うん、まあ、それはそうだな。基本的に俺の攻撃は通らなかったし、向こうの攻撃も通らなかった。かといって互角というわけではない。だって向こうの攻撃は完封したし。それに、こっちの攻撃だってまったく通らなかったわけじゃない。多少なりともダメージは入ってたんだから、あのまま戦い続けていれば俺が勝っていたんだから俺の勝ちでいいだろう。
まあ、体力百億の敵に一ダメージずつしか攻撃を通せない感じだったからものすごい泥仕合になってただろうけど。
それはそれとして、そろそろ動き出そうか。ずっとここに留まっていても味方の迷惑になりそうだし。それに、終わらせるんだったら早い方がいい二決まってるからな。
「まあ、久しぶりに暴れることができてはしゃいでるのは分かるけど、そろそろ仕事しろ」
「けっ。まあいい。やってやらあ」
そう言ってからペンネが悠々と歩き出し、王子率いる王国軍に向かっていったのだが、当然ながらそんなゆっくりのったり歩いていたら敵だって対応するに決まっている。
突然現れた巨大な魔物に混乱していた王国軍だったが、ペンネが動き出したことですぐに動き出し、陣形をとってペンネを迎え撃つ準備を整えた。
普通の奴ならそこで足を止めたり何か特別な行動に出たりするのだろう。だが、ペンネはそんなことはしない。
敵が待ち構えていると分かっていながら歩みは止めず、ニヤリと牙を剥きだしにして獰猛に笑った。
「なっ! お待ちなさい! 禁域の王と言えど、いくら何でも軍を相手に……する、のは……」
王国軍が待ち構えている場所に特に対策をすることもなく進んで行くペンネを不安に思ったのだろう。ティアリアは胸壁から少し身を乗り出しながら叫んだが、その言葉は途中で途切れることとなった。その理由? 簡単な話だ。そんな心配なんてする意味がないってことがハッキリわかる程の蹂躙が行われたからにきまってる。
「禁域で頭張ってたやつがどれくらい強いのかって言ったらドラゴンすら暇つぶしに狩り殺すほどだぞ? 作戦を練ってようやくドラゴンと互角に戦える程度の集団なんて、物の数に入らないっての」
ドラゴンは確かに強いだろうさ。街一つ……下手をすれば二つ三つと壊し、滅ぼすことができる存在だろう。でも、ペンネは下手な国であれば一国を滅ぼすことができる存在だぞ? そもそも格が違う。それなのにドラゴンで苦戦しているような奴らがペンネを倒せるわけがない。
「そら、どうしたあっ! 俺様の首を取る奴はいねえのか! ドラゴンを狩れるんだろ? だったら俺様の首も取ってみろや!」
あー……あいつ、遊んでるなぁ。そりゃあまあ、あの程度の敵、あの程度の数で本気を出せっていうのも無理な話かもしれない。それに、久しぶりに本来の姿ではしゃぐことができるんだ。長く遊んでいたいって考えるのは無理からぬことなんだろう。
「すごい……」
ただ、ペンネにとっては遊びでも、王国軍やその戦いを見ている者達からすればとてもではないが遊びなんて言葉では済ませられないだろう。
「まあ、今は全力を出せないから途中で逃げてくると思うけど、それでも半分は潰せるだろ」
今のあいつは俺と契約したことで全力が出せなくなっている。正確には、全力を出すと俺の魔力である『黄金』が流れ込んで発露してしまうから、それを避けるために全力は出させないようにしている。
俺だって『黄金』の保有者だってバレてもいいと思ってこの戦いを始めたけど、バレずに終わるんだったらそれに越したことはないしな。まあ、それでも普通の魔物なんかよりは全然強いけど。
そして、軍隊として半分も潰されればそれは〝全滅〟判定を出すべき状況で、まともな軍事行動はできない。




