姉上、襲来
『――あ、おい‼ まずいぞ。なんか来る!』
突然ペンネが警戒の声を発し、それから一瞬だけ遅れて俺も警戒するように腰を落とした。
何だこれ。なんで学園でこんなに強烈な気配を感じるんだよ。しかも、なんかこっちに向かって走って来てる?
っていうか、これもうすぐそこに――
「え?」
「そんなこと気にしなくてもいいわよ」
「……え?」
突然俺が警戒し始めたことに驚きの声を漏らしたエリオットだったが、直後に女性の声が聞こえてきたことで驚愕に目を見開いて振り返った。
だが、驚いたのはエリオットだけじゃない。誰かがやってくる。そう認識していたはずの俺も驚かずにはいられなかった。
「随分待たせるじゃない。できる限り大人しくしておこうと思ってたのに、つい来ちゃったわ」
「……あ、姉上……!? うっそだろ……? なんでここにいるんだよ……」
そう。強烈な気配を放ちながらやって来たのは、俺の姉。アイリーン・ウルフレックだった。
どうして姉上がここに? 確かに姉上は王都で騎士として働いているけど……って、そう言えば姉上って近衛騎士として勤めてるって話だったな。
ウルフレックは強すぎる。それが王国の貴族たちの考えだった。
だからその戦力を王族の守りに使いたい、という名目で一代に一人はウルフレック領を離れて王都で働くことになっている。要は人質だ。逆らうつもりなんてないけど、国はそう簡単に信じてはくれないようだ。まあ、純粋に戦力として使えるから手放したくないって思いもあるのかもしれないが……そんな感じで、当代はそれが姉上だったということ。
でも、その姉上がどうして学園なんかにいるんだろうか? 正直なところ、あまりこの人に相対とは思えないんだよな。
いやまあ、別に嫌いってわけじゃない。家族仲で言ったら良好な方だろう。ただ……この人少し問題があるんだよな。
「久しぶりに会ったお姉ちゃんに随分な反応じゃなあい?」
「あ……いえ、失礼いたしました、姉上。まさかこのような場所でお会いすることになるとは思っておらず、つい。ところで、姉上はどうしてこちらにおられるのですか?」
「ああ、それなんだけどね。――せっかく王都に来たのに会いに来てくれない姉不幸な弟をぶちのめしに」
「っ!!」
その言葉が届いた瞬間、俺は何を考える間もなくすぐさま後方に飛び退き、全力で警戒し始めた。
これだ。これが嫌なんだよ。この人、ことあるごとに戦いを挑んでくるというか、戦いを仕掛けてくるんだよ。
まあ俺だってその気持ちは理解できる。最近だって、ウルフレックのように暴れることが出来なくてストレス溜めてたし。大暴れしたいって気持ちは理解できるんだ。
でも、それに付き合ってやりたいとは思わない。
勝てる相手、勝ち目のある相手なら戦っても楽しいとは思う。多少であればストレスの発散にも付き合っていいと思う。――けど、俺じゃあこの人には勝てないんだよ。
そりゃあ『黄金』を使えば別だ。でも、使わないで戦うとなったらどうあがいても俺では姉上には勝てない。というか、兄上でも勝てないし、なんだったらウルフレックの戦士が全員まとめて戦いを挑んでも勝てない。それくらい強い人なのだ。
一方的にボコされて終わる。そのボコされ具合が重いか軽いかを変える。それがこの人との戦いになる。誰が好き好んでボコされに行きたいと思うのか。負けが決まっている戦いなんてやりたくないに決まってるだろ?
「やだ、冗談よ。流石に王女様がいらっしゃるときにそんな不作法はしないは。それくらいは学んだんだから」
「王女様って……ティアリアもいたのか」
姉上がひらひらと手を振って否定したことで俺は警戒を解き、周囲を見回してみたのだが、姉上の後方からティアリアとローザリアが小走りにこちらに向かって駆け寄ってきていた。
「そりゃあね。さっきまで話してた相手って王女様だし、そもそも私が来たのって王女様に話しを通しておくためだったもの」
どうやら、ローザリア達が話をしていた相手というのは姉上の事だったようだ。
まあ、それは理解した。でも、どうしてそんな重要な人物二人を置き去りにして俺のところまで走って来たんだ? あの感じだと、話し終わって解散したってわけじゃないよな? そもそもエリオットが俺のことを呼びに来ていたわけだし、まだ話し合いの途中だったんじゃないか?
「で、せっかくここに来たんだから顔を見せてくれない弟にも会っておこうと思ったんだけど……随分おあつらえ向きな場所にいたのね。もしかして私が来ることを予想してたとか?」
「へ……?」
笑って話しながら闘気を纏いだした姉上。周囲を見回してみれば、確かにここは人通りも少なく、少し開けた空間のある庭だから戦うにはちょうどいいかもしれない。
だが、俺は決してそんなつもりでここにいたわけじゃない。
「ご冗談をっ……! 姉上が来ると分かっていれば、もっと人の多い場所に居ましたよ!」
そう。戦うことが分かってたらこんな障害物のない場所で待ち構えたりしない。最低でも実家のウルフレックにある森のような障害物の多い場所で待つし、できる事なら周囲に人が多くて派手に暴れたり大技を遣ったりすることができない場所で迎え撃つ。
本当に理想を言うのであれば絶対に傷つけてはいけない相手――王族のそばで王族を盾にしながら戦うが、そんなことをすれば流石に罪に問われることになるのでできない。
でも、今更そんなことを言っても意味はない。
俺は反射的に自身の目の前、姉上がいる場所に向かって自身が作ることのできる『平面』を全力で作り、その後も止まることなく壁を増やしていく。
だがその直後、俺の用意した壁は見事なまでにすべてぶち破られ、姉上の拳が俺の目の前まで迫っていた。
そうなるだろうな、という予想は合った。というか今までがそうだった。だから俺は目で見て反応するよりも早く、最初の壁に変化があったと感じた瞬間に体を傾けていた。
その甲斐あって、音さえも置き去りにし、空気の壁すらも破った姉上の拳を避けることに成功した。
知ってるか? これで魔法使ってないんだぜ、この人。正確には意識して魔法を使っていない、か。
姉上の魔法属性はとても単純で、『強化』だ。魔法をかけたものの性能を引き上げるという魔法だが、姉上の場合は無意識の状態であっても、呼吸をするのと同じように自身に最低限の強化を施している。
つまり、この人にとっては今の拳が〝通常攻撃〟というわけだ。……通常攻撃が音速を超えるっておかしくない?
ただ、避けることは出来たが戦いというのは避けただけで終わるわけじゃない。こちらからも攻撃を仕掛けないと、一方的にやられるだけで終わる。
「……ちょ、ちょっと何をしていらっしゃるの!? あなた達はご兄弟ではありませんの!?」
そう考えて反撃をしようとしたところで、俺達を制止する声が聞こえてきた。ローザリアだ。
「え? あ、はい。兄弟ですわ。ですが、我が家ではこれが普通の挨拶なものでして」
「こんなあいさつ……家でもやらないだろうがっ……!」
いくらウルフレックが野蛮だと言えど、流石に出合い頭の一撃が常識ではない。
「えー? でも久しぶりに会ったら殴り合いから始まるでしょ?」
「それは戦友とか仲のいい友人に対するもので、弟に対するものじゃないだろ!」
久しぶりに会った友人が肩を軽く殴るような、そんな感覚で殴り合いをすることはあるが、普通は家族間でやるものじゃない。
「でもでもぉ、私達は一緒に森に入って戦ったし、仲が良いし、一緒に寝たりしたんだから親友以上の関係でしょ? ほら、なら問題ないわ!」
「こっちは問題ありまくり何ですけどね!」
あんたみたいな人にいきなり攻撃を仕掛けられた奴の気持ちを考えたことがあるか? 無いだろ? ないよな。だってあんたそんなことを考えられるほど人のこと気遣ったりしないし。




