時間稼ぎ
「ぐ……があっ!」
「キリエ!」
「これで守ってくれる奴は消えたな。どうするよ、お姫様?」
再び木に激突し、気を失ったのかだらりとしたまま動かないキリエを見て、ティアリアはごくりとつばを飲んだ。
そして、逃げることは出来ないと判断すると暗殺者の男に向かって一歩踏み出し、向かい合った。
「……交渉の余地はありますか? あなた方が受け取った金額はいくらなのです?」
そう。一歩踏み出した、向かい合ったといっても、ティアリアは戦うつもりなどなかった。勝つことができないのなら味方に引き入れてしまえばいい。そう考えたのだ。
確かに、それができるのならこの状況を打開することもでき、今後の自身の動きも楽なものになるだろう。
もしそれが叶わなくとも、話をして引き延ばすことで誰か助けが来るかもしれない。この場所はもう教師の待機場所のすぐ近くまで来ているのだ。先ほど自分が遭遇した魔物の群れの件もあるし、騒ぎを聞きつけた教師がこちらに来てもおかしくはない。
これが今ティアリアにできる最善の手だといえるだろう。
もっとも、それが成功するかどうかは別の話だが。
「ああん? はっ。部下や仲間は見捨てても自分の命だけは拾いたいらしいな。いや、流石は王族様ってわけだ。自分の命は金で解決ってか」
男の話にギリッと奥歯を噛みながらもティアリアは口をつぐむことなく会話を続ける。
「……私は、生き残らなければならないのです。でなければ、私を逃がすために残った彼らの想いを無駄にすることになってしまいます」
「ふーん。まあ、交渉なんて受けてねえんだけどな? っつーかそもそも金額なんて知らねえよ。言ったろ、俺は上から指示を受けただけだってよお」
「ならば、あなたは独立するつもりはありませんか? 上からの指示ということは嫌なこともあるでしょう。私の専属をなってくださるのなら、報酬を全額受け取ることもできますし――」
「わりいが、こっちも命賭けてんだよ。確かに上からの指示にゃあムカつくこともあるわな。でも、だからって足抜けできるわけねえだろ。んなことができる実力があるんだったら、てめえに言われるまでもなく抜けてらあ」
どうにか説得しようと試みるティアリアだが、男はその話しに乗るどころか揺らぐことすらない。
でもここで諦めるわけにはいかず、次はどう話をして引き延ばすか――
「それで、時間稼ぎは終わったか?」
「っ!」
だが、ティアリアの考えは男にも読まれていたようで、そのことを理解するとティアリアはこれでもかと言わんばかりに大きく目を見開いた。
「なんだその反応。まさか気付かれてねえと思ったのか? バカが。こっちもそれなりに回数こなしてんだ。これまでてめえみてえに会話で引き延ばす奴がいなかったわけねえだろ。つっても、引き延ばしたところでどうしようもねえだろうけどな。学園の教師共は今頃森中に現れた魔物の相手で大忙しだろうよ」
王女を殺しに来たのだから新人なはずがない。確かに熟練の暗殺者ともなれば今まで命乞いや時間稼ぎなど、幾度も遭遇してきただろう。
「そんなわけでまあ、これで終わりだ。精々依頼主と自分の無力を恨んで死んでけや」
そう言いながら男はゆっくりとした足取りでティアリアに近づいて行くが、その途中でふと足を止めた。
「ああ? ……あー、そういやあ結界の属性だったか。面倒だな……」
男は自身の正面にある結界の壁に触れ、めんどくさそうに溜め息を吐きだす。
ティアリアにできることはもうこれしかない。結界で守りを固め、助けが来るまでの時間を稼ぐしかないのだ。
だからこの結界はどうあっても抜かれるわけにはいかない。自分のためにも、キリエのためにも。そして、これまで自分を逃がすために命を懸けてくれた三人のためにも。
「――まあ面倒だが、それだけだな」
だが、そんなティアリアの決意は、男が突き出した短剣の一撃を受け、いともたやすく砕け散ってしまった。
「なっ!?」
「どうした? ご自慢の結界が壊されたことがそんなに驚きか?」
話しながら攻撃を仕掛けてくる暗殺者の男。だがティアリアも何もしないまま攻撃されることはなかった。
「おっ。結構再構築も早いな。そんじゃあまあ、何回まで耐えられるか試してみるか?」
とっさに張った結界ではあったが、先ほどの一撃が特別だったのか、それとももう終わりだろうと気を抜いていたのかは分からないが、何とか男の攻撃を凌ぐことができたティアリア。
だが、安堵したのもつかの間。男が再び攻撃を仕掛けてきたことで再び結界は砕け散ってしまった。
その後は必死になって結界を張り直し続けるティアリアと、笑いながら気楽に結界を割っていく男という光景が繰り広げられることとなった。
確実に遊ばれている。だが、それでいい。この男は自分よりも明らかに各上だが、油断して遊んでいてくれればいつかは機会が来る。
そうして待ち続け――その時が来た。
「ああ? んだこれ……」
攻撃をしようとしていた襲撃者の男だったが、不意にその動きを止めた。いや、止めさせられた、というべきだろうか。
よく見ると、男の周囲には半透明の壁――結界が張ってあり、その範囲が狭いため男が満足に動けるほどの空間がなかったことで、攻撃に威力が乗る前に壁に動きを阻まれてしまったのだ。
簡単に言えば、小さな折に閉じ込められた状態と言える。
「これであなたはもう動けませんよ」
息を切らし、膝に手をついて何とか立っているティアリアは、そう言って男のことを睨みつける。その表情は疲労がにじみ出ているものの、勝利を確信したように得意げな顔つきになっている。
「へえ……俺を対象に結界をかけて閉じ込めたのか。確かにこれなら動きを制限されるから、まともに攻撃することも難しくなるか」
男は自身の周囲に張られた結界を見て、実際に触れて確認をしてみるが、結界の範囲は自身を包み込むことができるぎりぎりのサイズの楕円体であり、一歩踏み出せばすぐにぶつかってしまほどの狭さだった。
このぎりぎりの狭さの結界に閉じ込めるため、今まで結界を壊され続けても何度も耐えてきたのだ。耐えて耐えて、そうして敵が油断した時を狙って結界の中に閉じ込めた。
これには暗殺者の男からしても感心すべき状況だった。過去に結界属性のものを殺してきた時も、こんな方法はとられることはなかったのだから。
敵を封じたことで安堵から一度深呼吸をし、空に向かって魔法を打ち上げるティアリア。これでティアリアの位置がよりハッキリわかることとなり、すぐにでも教師たちが来るだろう。
「チッ、めんどくせえことしやがって」
「今ならばまだ雇い主を変えることもできますが、どうしますか?」
勝ちが決まった今ならまだこの暗殺者という駒を手に入れることができるかもしれない。そうなれば自身の役に立ってくれることだろう。
そう考えて自信に満ちた表情で話を持ち掛けたティアリアだったが……
「……はあ。ガキが。この程度であんまし調子に乗ってんじゃねえ。ぶっ殺すぞ」
暗殺者の男はそれまでの気の緩んだ遊びが混じった表情を消し、苛立たし気な顔つきで武器を構えた。そして――結界が砕けた。




