王女様の悩み
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「――はあ……失敗したわ」
ティアリアは与えられた自室に手今日あったことを思い出し、深くため息を吐いていた。
「ウルフレックを味方に引き入れることができれば、今後優位に動くことができたはずなのに……いったい何がいけなかったというの」
ウルフレックは政治という面において前に出てくることはないが、発言力はある。それだけこの国を魔物達から守っている、という事実は重いのだ。もっとも、ウルフレックは基本的に領地から出てこないために貴族達からは侮られてしまっているが、それでももしウルフレックが表に出てくるようになれば現在の勢力図をひっくり返すだけの力があることは間違いない。
だからこそ、ティアリアはエルドのことを仲間としたかったのだが……失敗してしまった。
「……申し訳、ありません。殿下。私が不甲斐ないばかりに……」
自分が負けたばかりに自身の主にに不利益を被らせることとなったと考えているキリエは、今にも自殺してしまいそうなほど思いつめた表情をしているが、そんなキリエの顔を見てティアリアは緩く首を振って答えた。
「いえ、それは問題ではありません。……まったく問題がない、というわけでもありませんが、少なくともあなたが仕掛ける前にあのものは既に私に隔意を持っていたように思えます。その理由が分からない限り、どう動いていたとしても結果は変わらなかったでしょう」
そう。キリエは確かに戦いに負けたが、そもそもからして戦いが始まる前の時点からエルドは自分達に隔意を持っていた。
正直なところ勝敗なんて関係なく、その隔意こそが最大の理由だろうとティアリアは考えているのだが、なぜそんな風に思われているのかが理解できずに悩んでいるのだった。
「メリッサ。あなたは何かわかるかしら?」
「……僭越ながら、此度の件に関しましては、殿下に非があったかと存じます」
いくら考えても答えは出ず、それは自身の従者たちも同じだろうと思いながらも気分転換がてら問いかけてみたティアリアだったが、返ってきた言葉に眉を寄せてから答えた護衛の女性――メリッサへと体を向けた。
「私に……? それはいったいどんな? 作法に関しては普段以上に気を遣っていたつもりだったのだけれど……」
普段も〝良い子〟あるいは〝お姫様〟として振る舞っているが、今日は特に気を付けていた。にもかかわらず自分に非があったと言われれば、眉を顰めてしまうのも無理はないだろう。
「作法ではありません。あの者は誰かの振る舞いなど気にも留めていないでしょう。そうではなく、姫様のお言葉の内容です」
「……特段おかしなことは言っていなかったはずですが」
「端的に申し上げれば、真剣さが足らなかったのです」
そう言われて改めて自身の言動や考えについて思い直してみるが、やはりおかしなところは思い当たらない。
「……私は真面目に話をしていましたが……」
「そうでしょう。ですが、此度の話し合いで、殿下は彼らに得となるものを提示していませんでした」
「支援の約束はしたわ。騎士団を出すとも。それに何より、私との繋がりを作ることができるのだから、貴族にとっては何よりの報酬ではないかしら?」
貴族として、王族である自分との繋がりができるというのは単純な利益以上の報酬となる。状況次第、相手次第では、むしろ自分が不利益を被ったとしても王族との繋がりを優先するだろう。それが貴族社会での常識だったし、そんな貴族たちの考えも理解できるものだった。だからこそティアリアには分からない。
「それは王都や王都周辺などで暮らす貴族たちを相手にするのであれば正しいでしょう。ですが、相手はウルフレックです。彼らは王国の貴族でありながら、王国の庇護を受けずに独自の環境で独自の文化を築いて生きています。ある意味、彼らは他国の人間なのです」
「なにを馬鹿なことを言っているのだ! ウルフレックは確かに辺境の貴族だが、王国に暮らすものであることは間違いないだろう!」
メリッサの言葉にキリエがいきり立ったが、そんな彼女の言葉を無視してメリッサは話を続ける。
「それは私達の認識で、彼らの認識は別です。実際のところどう思っているのかなど、彼ら自身にしかわかりえません」
「それは、反乱を企てているという意味ではないのよね?」
「違います。ただ帰属意識がないだけです。彼らにあるのは愛国心ではなく郷土愛。王国に所属しているのも、特に不都合がないからとりあえずその枠組みの中に入っている、というだけです。必要であれば、先ほどのように王家であろうと牙を剥くでしょう」
「なんだそれは……それでは反逆者ではないか!」
「だから、違います。それと、これはウルフレックに限った話ではありません。辺境や田舎と呼ばれる場所では、王族という存在を身近に感じることはありません。平民にとっては統治している貴族こそが王様で、貴族たちにとっては自分達の領地こそが自分の国なのです」
実際、田舎の方に行けば村でさえ似たような状態だ。村長は自身の国である村を支配しており、その支配が壊れないように貴族達にへつらっているだけでしかない。
貴族もそれと同じだ。自分の国――自分の領域を守るために他の貴族と仲良くするし、国という大きな存在に従っている。大小はあれど、領地持ちの貴族は皆似たようなものだろう。田舎の方に行けば特にそれが顕著というだけだ。
「そんな彼らにとって、姫様との――王族とのつながりなど、大した価値があるものとは思えないのでしょう」
「……でも、魔物の相手をするのに支援があった方がいいのは間違いないわよね?」
「それはそうでしょう。ですが、その支援の規模次第でしょうね。先ほど姫様は支援のことを口にしましたが、それがどの程度のものかまでは言及していませんでした。むしろ、それほど多くの支援はできない、とさえ感じることを言っていましたので、それが原因でしょう」
「……言葉や関係ではなく実物を、ということね」
「おそらくは。それから……」
そこでメリッサは一旦言葉を止めた。エルドの言動の理由に思い当たったことはあるのだが、それをこの場で王女相手に行っていいものなのか迷ったのだ。
「どうしたの? 何かあるなら言ってちょうだい。この際だもの。無礼な事だとしても許すわ」
「では、これは私の憶測ですが……」
そういって、少し迷いながらもメリッサは徐に話し始めた。
「彼らウルフレックは日々命を懸けてこの国を守っています。そんな彼らからしたら……少々無礼なことを申しますが、お許しを。彼らにとっては、国のために、と口にしながら命を懸けることなく政治争いを行っている姫様の事がくだらなく思えたのではないでしょうか」
「くだらなく……」
「もちろん私は姫様の想いも、苦労も存じています。ですが、それは彼らには見えず、分からないものです」
メリッサからの言葉が理解できず、ティアリアは目を丸くしているが、それも当然だろう。なにせ、今まで自身の言葉がくだらないものだなんて言われたことはなかったのだから。
完璧に一致しているわけではないが、メリッサはエルドの考えの大半を見抜き、理解していた。そして、それは仕方ない事だろうと同情もしていた。
「私も騎士として活動しているから多少なりとも理解できます。喩えるなら、疲れた、これ以上は無理だ、などと口にしている騎士候補の学生たちを見て、その程度で疲れたなどといっていたら将来騎士団に入った時に使い物にならないぞ、と考えているのと近い考えでしょう」
ティアリアの護衛となる前まで、メリッサは他の騎士達と同じように軍事演習に参加していたことはあったし地方の貴族たちの許を訪れる機会もあった。その際に王都との暮らしの違いというものを体感していた。そんな経験から導き出された答えがこれだ。
「命を懸けている。真剣に戦っていると口にするのは簡単ですが、実際にそうしている者からしてみれば実のない口先だけのおままごとに思えてくるのです」
言い終えたメリッサはどこか気まずそうにしてティアリアから目をそらしているが、ティアリアはそんなことは気にせず考え込むように口元に指をあてながら黙ってしまう。
「――命を懸ける、ね……ふっ。確かに、私は命をかけているわけではないものね。そんな私の言葉は、彼らからしてみれば子供のお遊びでしかないのでしょうね」
王族間で争っている今の状況は、決して安全というわけではない。それは先日の襲撃事件を思い出せば理解できるだろう。
だが、そんな事実はなかったものとして処理される以上、命を懸けて行動しているとは思ってもらえないのも仕方ないことだ。
「メリッサ、ありがとう。言いづらいことを言わせてしまったでしょう?」
「いえ、申し訳ありませんでした。私がもっとうまく話すことができればよかったのですが……」
「良いのよ。口がうまくて誤魔化しながら話されたところで、きっと私は本当の意味で理解することはなかったでしょうから」
そう言って微笑みかけると、ティアリアは窓に映る自分の姿に気づき、自分に向けられている視線を見つめ返した。
「それで、私は諦めないわ。私は、この国を変えてみせるんだから」
改めて自身の想いを口にし、大きく息を吐き出すのだった。




