2 鬼に金棒――美人に「バット」
「なんだ、おまえ。転校初日から喧嘩か?」
この『真戒女子高等学校』の唯一の売りは、教師陣が皆、『超能力者』であることだった。なにを言っているのかがわからない? うん、ぼくも自分がなにを言っているのかがわからない。
『超能力者』とは、普通の人間にはないような、普通の人間には不可能なような、不可思議、不可解な力、いわゆる『超能力』を行使できる特殊な人間のことである。年末のテレビ番組でスプーン曲げとかやっているあの人らのことだ。まぁ、特殊とは言ったものの、この世界の人口の五分の二はいるわけで、大して貴重というわけでも、珍しいというわけでもない。逆に、そんなに普遍妥当な存在というわけでもなく――言うならば、出会えたらラッキー程度である。
……しかし、そのラッキー程度が驚愕の総勢百三十六人もいて、しかも、学校で普通に教師をしているなんて、とてもじゃないが、なにを言っているのかがわからない。その話が本当だとしたら(公式ホームページに載せるぐらいだ。多分、虚偽ではない)、ぼくの目の前にいる女性、墓井無頼花も、そのラッキーの一人であることとなる。
茶髪ツインテちゃんに散々に、無残にヤキを入れられた後、ぼくは職員室へと足を進めていた。別に、ツインテちゃんの行いを告発しようとするわけではなかった。ただ単に、転校してきたら、教室よりも先に職員室に行かねばならなかったからだ。そこで、待っていたのが、ぼくが入ることとなるクラス、二年三組の担任――数学教師の墓井無頼花だった。
セミロングの黒髪に、それと同色の瞳。若干色白な体は、スタイルのいい、ボンキュッボンという用語が、その肉体のためにあるような、体つきだった。その上から女性用の背広 (ズボンがスカートになっているやつ)を身に纏っている。その着こなしは……よいとは言えず、むしろ、シャツが出ていたり、一部のボタンが留められていなかったりと、この人が本物の社会人なのかどうかが疑わしいぐらい、だらしない。しかし、そのおかげで――大きくワイシャツの胸元が開いていたおかげで――そこから、美美しい胸元を拝むことができた。ありがたや~、ありがたや~。
「初日から面倒は御免なんだけどな……」胸に気を取られていたぼくは、墓井のその一言で我に返った。墓井は気だるそうな表情で、ぼくのこぶだらけの顔を、値踏みするように、観察している。墓井はそれを真剣な眼差しで見ていた。なんの胸算用をしているのやら。ぼくには、墓井の胸の膨らみは見ることができるが、胸の内を見ることはできない。
今のぼくの顔には、三つの大きな膨らみがくっついていた。ゴリラと一戦交えたとしても、つかないレベルのタンコブである。
「いえ、転んだだけです」ぼくは呼吸をするように、嘘を吐く。まぁ、半分嘘ではないのだが。初日から面倒が御免なのはぼくも一緒だった。だがしかし、吐いてはみたものの、そんな薄っぺらな妄語で誤魔化せるのだろうかと、すぐに不安になった。
「あ、そう。大変だったな。後で保健室に行くといい」
なんか、誤魔化せた。てか、軽い――流石、日本の底辺。
「聞いたぞ。前の学校で色々、エロエロなことをしてたんだって?」
急に墓井が妖しげな(怪しげな)話を振ってきた。
「えっ……」
「えっと――胸や尻を触ったりするセクシャルハラスメントに、修学旅行中、同級生への夜這い。そして、合唱祭中の強姦未遂……」
なんか、物凄く酷い方向に脚色されていた。
おのれ、前在籍していた学校――四三高校め! ぼくの次なる生活のことは、一塵も、考えていないのか! てか、なんだ、その悪意の塊みたいな改変は。こんなのを出されたからには――ぼくのこの高校での生活が、困難に近いものになる。あらぬ疑いをかけられる前に話しておくが、無論、前の学校の卑猥な出来事は全て、自分の意思が伴わない、非随意の事故である。
ぼくの心配なんか考えていないように――「とんでもないほどの前科だな、前科全開だ‼ あ、もしかして、アタシのことも狙ってたり……」――墓井はヘラヘラ笑いながらぼくの黒歴史を茶化しはじめた。え、その程度のことなのそれ。
「しませんから! それ全部、ワザとじゃありませんから!」
「へぇ、アタシみたいなおばさんには興味が無いと」
「やめてください!」
「あはっ、こりゃ、興味どころか、恋心までありそうだな! あははははは……」
「先生、超能力者なのですよね? どんなのですか、スプーン曲げ?」このままだと、ぼくが、墓井に禁断な想いを抱いている、痛いJKとして扱われそうだったので、話の軌道を無理矢理、修正しておいた。
「惜しい。非常に近いからこそ、異常に口惜しい。あいにく、アタシの能力は、そんな便利で理想的なもんじゃない。もっと不便で現実的なもんだよ」そう呟くと、墓井は教員用の椅子 (あの車輪がついているやつ)から腰を上げ、手を挙げ、背伸びをはじめた。
「機会がきたら、見せてやる。まぁ、その機会が永遠にこないことを祈るがな」
「じゃあ、その時をこさせてみせましょう」
「そうか、後悔するぞ」
さて、そろそろ教室に行こうか――と墓井は職員室の扉を、手でさし示した。異論もなかったので、ぼくは肯定して、墓井よりも先に職員室から出た。チラッと振り返ると墓井がなにやら黒くて長い棒のような物を、タオルで、丁寧に拭いていた。なんだろうかと、興味本位で、目を凝らすと、それが金属製のバットであることがわかる。きっと、野球部かなにかの顧問なのだろう――この時のぼくは、その程度にしか思っていなかった。迂闊だった。後々、その答えが、全くもっての不正解、及第点に及ばないものだと、嫌と言うほど――いや、嫌とすら言えないほど――知らされるのであるが。
* * *
自己紹介。自ら己を紹介することは、ぼくにとってあんまり得意ではない分野だった。理由は典型的であり、規範的なもので、『なにを話せばいいかがわからない』というものだった。そうは言ってみたものの、やっぱり違う。ぼくの場合、ただ単に『なにを話せばいいかがわからない』だけではない。むしろそれの方が、まだ、いい方であったとも思う。なにせ、ぼくはわからなさ過ぎて、至って余計で、至って要らなく、至って痛いことばかりを話してしまうのだ。今、この時のように。
「えぇ……と、はじめまして、こんにちは。四三高校からきました、尾張罪檎と言います。罪な林檎と書いて罪檎です。よろしくお願いいたします。えっと、スリーサイズは胸が百で、ウェストが六十三で、お尻が九十一です……。前の学校ではよく同級生から『胸が無駄に大きいね』と褒められていました。えぇと、男性経験はまだなくて、今現在は処女というか、乙女というか、まぁ、そんな感じです。仲良くしてくれたら嬉しいです、よろしくお願いいたします」
紹介が終わった後の教室には、シンプルな冷たい空気が流れていた。三十名ほどいるクラスの皆は、笑っているような、困っているような、どっちつかずの変な表情をしている。多分、どんな顔をしたらいいのかが、わからないのであろう。ぼくをこの教室まで連れてきた、墓井もなんだか微妙な表情筋の動かし方をしていやがる。さっきまで、変にぼくを揶揄っていた奴が、なんつー顔をしているのだよ。こん、畜生!
これだから、自己紹介は好きにはなれない。毎回、ぼくの自己紹介が終わると、こんな、居心地の悪い雰囲気になってしまって、滅入る。逆になんて言えば、なにを言えば、よかったのやら。ぼくにはすっきり、さっぱりだ。
そんなぼくの当惑など、墓井は全くもって気づいていないようで「じゃ、じゃあ……あそこがオマエの席だ」と、窓側の最後尾を金属製のバットでさした。教室に持ち込むのかよそれ。さらに当惑が募るが、そこをいちいち突っ込んでいると、話が進まなくなりそうなので、示された席へと向かい、尻を下ろした。
まず、ぼくが行ったことは机の中の確認ではなく、まわりの席の確認だった。もしかしたら(もしかしなくても)、その席の方々には――とある事情で、とてつもないほどの迷惑をかけるかもしれないからだ。その迷惑は下手したら、その場合によっては、謝礼も通用しない、洒落にならない事件にまで発展するかもしれない。だから、自分の机の中に四次元空間が入っていようと、核弾頭が入っていようと、ぼくはまず、まわりの席に気を配らなければならないのだ。
前の席には、可愛らしいセミショートの女の子が座っていた。こんな夏の暑い真っ盛りなのにも関わらず、夏服の上から、長い、袖あまりのするセーターを着ている。一昔前に流行した萌え袖というやつだろうか。今この時期に視界に入ると、なぜか自分の体が暑苦しくなって、燃え燃えキュンしてくる。
その隣、ぼくの斜め前の席には日焼けした肌のボサボサ髪の女の子が座っていた。見るからに攻撃的な性格をしていそうである。汗のせいか、顔がいかつく、照っていて怖い。
最後に斜め前の後ろ、つまり、ぼくの隣に座っていたのは――
「…………ふん!」
――さっきのツインテちゃんだった――え、マジかよ。マジスカ。こんなの、運命の悪質過ぎる悪戯である。少女漫画とか、小学生とかが描く処女漫画とかだと、そこから恋愛や偏愛に発展する、運命の良質過ぎる秘戯であるのだが、結局のところ、それは浮世離れした夢女子、妄想童貞のくだらない戯言である。現実は性犯罪の加害者が、性犯罪の被害者の隣に居座るという、クソほど最低最悪なシチュエーションなのだから。空気の重さと言ったらダンテが詠う神曲の、地球の全重力が集まる、地獄の最下層、ジュデッカよりも重いものになる。
新しい高校生活、いきなりの前途多難で、自然に口からため息が出てくる。こうなったのは、悪意はなかったとはいえ、全面的にぼくが悪いのだけど。
「あ、そうだ。おい、路西」
墓井の唐突な呼びかけに、ツインテちゃんは反応した。どうやら、このツインテちゃんのファミリーネームは路西と言うらしい。
「そうえば、昨日が期限だった課題、出していないそうだな」
「は、はい……すいません。今日中に出します」
「今日中?」
墓井はじりじりとツインテちゃんに寄ってくる。ぼくが前いた学校でも提出物を忘れたら、こんな感じに怒られていたな――高校という場所は古今東西、提出物にうるさいのかもしれない……とぼくは呑気なことを思っていた。が――バシンッという打撃音と共に、その思考は綺麗さっぱり、消え去った。なんと――墓井が、持っているバットを、ツインテちゃんの机に思いっきり叩きつけたのだ。
「期限は昨日中だった気がするんだが――それはアタシの気のせいか?」
久しぶりに、素直な恐怖を覚えた。
決して墓井のバットがではなく、目の前の生徒を鈍器で脅かしているのにも関わらず、表情がない、全くなにもない――狂的なほどの冷たい無表情を、その顔に浮かべている墓井――墓井無頼花そのものが怖くて、怖くてたまらなかった。
「おしっこをかけられた蚯蚓の如く、著しく申し訳ないと思っております」
蚯蚓に謝れ。
「申し訳ない、もうしない、そんなジョークの常套句は、もう聞き飽きた。冗談を言うなら、もっとマシな、笑談したくなるようなことを言え」
「お、お待ちください、これはまだ一回目です、一回目ですから‼」
懇願するような――悲痛な命乞い――
だが――それも――それも、届かなかった――
無慈悲にも墓井はバットを振り上げる、ツインテちゃんに向けて。
そうだ、そうだった……。ぼくはその光景を見て、遅まきながら思い出す。この学校は、およそ、この世の中に伝えられている、『体罰』と表現されている全ての行為を、教師が行使することを、公で許可されている、日本唯一の学校だったのだと。