19 巨人との「遭遇」
別館――木造二階建てのペンションみたいな横長の建物。
窓が少ないせいか――そこの廊下は、日没がまだであるのに暗い。
そんな、薄い闇の中、二つの濃い影が浮かび上がる。
一人は――バットを肩に乗せて歩いている墓井であった。
一人は――自由な両手をぶらぶらさせているツインテちゃんであった。
二人は、墓井の部屋で準備をした後――裏口から別館に乗り込んだのであった。
「すいません、先生――こんなところまで、つきあわせちゃって」
「いや、いいよ。さっき、言っただろう――アタシもあいつに返すものがあるんだ」
「ところで、先生……その返すものとは……」
「そ、それはだな……」
墓井は本日何度目かの――指で唇をなぞる動きをはじめる。もちろん、恋に恍惚として見入る乙女のような面相もセットで。
「はい、なんでしょう」
「えっ、っと……その、なんて言うかだな……言うのはなににするかだな……」
墓井の言葉が奇妙なところで――微妙に濁る。心なしか文法も妙ちきりんになっているような――
「はい、なんでしょう」
「その……あの……この……どの……――――!」
墓井が足を止める。片手を広げ――ツインテちゃんの進路を阻んだ。
「……! どうしたのですか……?」
「く……くる!」
廊下の前方――曲がり角の右から大きな影が現れる。
二メートルを余裕で超える全長――「ぽぽぽ……」と呟くような声――長い……長い髪。
間違いなく――その女は如月だった。
如月は墓井とツインテちゃんを確認したようで、その場で動きを止める。
「よぅ、如月。休日出勤とはお疲れじゃないか」
墓井がツインテちゃんの前に出る。
「墓井先生……何故ここ……? 何故……その子……?」
「あぁ、アタシも休日出勤だ。お互いお疲れだな」
「……」
グニュウンと首を曲げた――如月は墓井の顔を覗く。その動きはまるで――選定をしているようにも、査定をしているようにも、見える。
髪の間から見える如月の目の赤い光に――墓井の後ろのツインテちゃんが、ヒッと退行する。震えはじめた体を縮めて――墓井と如月を見据える。
「無駄にアタシの生徒を怖がらせないでくれないか? オマエもお化け屋敷とか薮の見世物じゃないだろ?」
「私を……見世物にする……見世物にしたがる……娯楽施設……ない……」
「あった方が困る。人権あるアタシたちを見世物小屋にぶち込むことなんざ、論外中――論外。最早、娯楽の域を越えて誤娯楽――いや、誤楽だ」
「誤楽なんて言葉……ない……存在しない……」
「それこそ誤りじゃないか? あの漱石の奴も多用している文字だぞ」
「それは……娯楽の誤字……」
「ほら見ろ、やっぱ、誤娯楽じゃないか」
如月は蛇や金蛇のようにうねりながら――墓井から顔を遠ざける。
「じゃあ、如月。アタシたちは行かせてもらう。早く帰って麻雀の続きもしたいからな」
「……ぽぽぽ」
如月は道を譲るように――廊下の左側に寄った。
「ありがと」
「案外……簡単に通してくれますね……」
ツインテちゃんが如月に聞こえないぐらいの小声で言う。
「……さぁな」
「へっ?」
それから少し歩いて――丁度、如月を通り過ぎた際――
「……ぽぽぽ」
――墓井が手に持つバットを如月に向けて振った。
「⁉」
バットは如月の腰にあたったように――見える。
「ちょっ、墓井先生……!」
ツインテちゃんの心配そうな態度を傍目に、墓井は如月にぶつけたバットに注目しているようだった。
「なんだ……先制攻撃だと思ったんだけどな……」
「尾張罪檎……ところ……行かせない……ぽぽぽ……」
バットをあてられた如月は、思いの外、ぴんぴんしていた……。
それもそのはず――墓井のバットは、如月にあたっていなかった――
「先生……バットが……」
ツインテちゃんは異常に気づいたようで――墓井のバットの先を指差す。キッと如月を見つめている様子は――恐怖で震え戦く自分と戦っているようだった。
「あぁ……やられっちまった」
なんと墓井のバットの先がアイスのように――マグマのようにドロドロっと溶けていた。
投げるように――バットを捨てて――墓井は如月に向かう。
何時の間にか如月の右手には銃のような道具が握られていた――その尻にはホースがつけられていて――如月の後方――背負われているタンクへと伸びている。
「ぽぽぽ……ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽ……」
辺りの暗さ――そして、如月の高身長――その二つの事柄が原因で墓井とツインテちゃんは、寸前まで――ホースとタンク――その存在に気がつかなかったみたいだ。
金属特有の光沢がある――冷たそうな、その銃口が墓井へ向けられた。そこから、ポタッポタッと黒色の液体が垂れている。
「おい、路西。こいつの遊び相手はアタシがやる。おまえは尾張のところへ行ってろ……」
「で、でも……」
「この状況で、『でも』はない。早く行ってくれ!」
「は……はい!」
墓井の剣幕に押されツインテちゃんは踵を返して走り出した。
「もう皆、『でも』とか言いやがって――デモ活動をしてる暇があったら啓蒙活動をしてくれっつーの――まぁ、それは尾張の仕事か……」
残された墓井と如月――お互い譲るつもりはないらしく、睨みあっている。
「なんか必死そうだな。まぁ、こうなるのも必至なんだろうけど」
「墓井先生……何故、尾張罪檎……助ける……?」
「あん?」
「あいつ……墓井先生……倒した、挙句……学校……荒そうとしてるのに……」
「助けるもなにも――尾張はアタシのところの生徒だ。アタシの許可なく、勝手に指導されちゃあ、正直――困る」
「あなた……どうせ……自分……全裸になるの……怖いだけ」
「そうかもなッ!」
墓井の足が如月の脇腹に入る――如月はびくともしない。
「ふっ……硬いな……。なんか防護服でも着てんのかぁ?」
「ぽぽぽ……」
如月の銃から黒い液体が発射された。見事、墓井の腹部に命中し――墓井のタンクトップが溶けていく。
「厄介だな、それ」反射的なのか自律的なのかはわからないが、墓井は後ろに跳んで――如月と距離を取った。その衣服が溶けたせいで、お腹と右下乳が丸見えになっている。
「なんだっけか。確か媒介をコーヒーとしている能力だったかな――ふん、喫茶って名前は伊達じゃないな」
――如月の超能力それは……媒介『コーヒー』、系統『物質破壊系』、『コーヒーをかけたところをドロドロに溶かす能力』だった。如月が超能力を使うことは滅多にないので――学校の中で知っている人も滅多にいない。
「うん……伊達家では……ない。私……如月家……」
「あぁ、でも、オマエは随分と伊達な女だと思うぞ――そのド派手で個性的な格好とか」
「馬鹿にしてるの……?」
コーヒーが再度発射される。三回目だからか――「よっ」と身軽に墓井はそれを避けた。コーヒーはそのまま、墓井の後方の壁にかかり、溶かしはじめる――
……このまま、真正面から戦っていてもこれじゃあ勝てねぇな。これは墓井の呟きだ。
「降伏……するなら……今の内」
「降伏? こっちの台詞だよ――オマエも今の内に降伏しといた方が幸福だぞ」
カシャッ――改めて銃が墓井に突きつけられる。
「……降伏しない……なら……容赦しない……」
「それもこっちの台詞だ」
墓井は如月に背を向けて――逃げ出した。
その後ろからコーヒーが飛んでくる。
「……さぁ、どうしようか次は――…………そういや……」
墓井の手がズボンの両ポケットに入る――ガサゴソと音を鳴らして、ポケットに入っているなにかを確認している。
「よしっ――これはいけるかもしれない……」
墓井と如月の戦争は――墓井の撤退戦に差しかかったのだった。