18 とある女の「傲慢」
「はぁ⁉ 尾張がきていない⁉」
学生寮『コキュトス棟』の麻雀部屋の時計は十四時――言い換えれば午後の二時を指している。
そこで路西法ことツインテちゃんは叫びを上げていた。
「うん、まだ尾張ちゃんはきていないよ」そう説明したのは寿松木可愛こと可愛いちゃんだ。点棒を脇に退けた後――両手で雀卓の上の牌をかき混ぜている。
その服装は白い半袖ブラウスの上半身に――黒いスカートの下半身。見るからに涼しくて、可愛らしい姿をしていた。暑いからなのか、胸元を開けていて、鎖骨が丸見えである。
「あのぉ、乳デカ尻デカ三枚目女ァ……⁉ わたしとの約束をすっぽかしやがって……」
怒っているような――悔しんでいるような――表情のまま、ツインテちゃんは可愛いちゃんの正面に座る。
そこに――「おうおう、待たせたなぁ」鹿塩平安ことカシちゃんがやってきた。黒いパーカーとボトムのズボンというカジュアルな格好だ。
ベルトが緩いのかズボンの後ろの方が下がっていて、パンティーが丸見えになっている。本人はそれに気がついていないようで――危機感のない大きな欠伸をしているが。
「んもうぅ、遅いよ! わだす様、待ちくたびれちゃった‼」可愛いちゃんは頬を膨らませてカシちゃんを睨んだ。
「まだ、一、二分ぐらいやろ⁉ そんなにキレるこたぁないやろ!」カシちゃんは逆ギレしながらも――ツインテちゃんから右側の席に腰をかけた。
そこでなにかに気がついたように「なんや、法ちゃんもキレとんのか?」と心配そうにツインテちゃんの顔を窺う。なんか、可愛いちゃんを相手にした時より――声の質が優しい。
「いいえ、カシちゃんには怒ってないから……」
ツインテちゃんは小さく首を振った。若干、悲しそうにも見える。
「じゃあ、どないしたんや……」
「尾張ちゃんがこなくて、寂しいんだって~」
可愛いちゃんの茶化す感じの言葉に、「なっ⁉」とツインテちゃんは驚いた風になる。それを見かねたのか――カシちゃんが「黙ってろ阿呆。おまえには聴いてないんやボケェ」と可愛いちゃんに怒鳴った。
「あん? わだす様に喧嘩売ってんのかクソチビッ! クソちびり野郎ォ!」
可愛いちゃんの頭からかなりの量の煙が放出された――まるで蒸気機関車のようである。それに伴って、可愛らしい顔は――可愛らしい仏頂顔に豹変した。
「あぁ……そういうことかいな」カシちゃんは――激昂という文字をそのまま形にしたような可愛いちゃんを無視して、ツインテちゃんに向いた。
「罪檎なら、さっき如月に連れてかれとったで」
「えっ⁉」ツインテちゃんは開いた口を隠すように、手を口の前にかざす。
「二人で別館に行っとったわ。帰っていないところ見ると、今、物凄いしごかれとるんちゃうか?」
「しごかれているって……。殴られたりしてるってこと……」
「内容はもうちょっと待っといてや……まだ、情報が入ってきてないんや。きたら、ちゃんと教えるから」
「もうその時には遅いじゃない!」
ツインテちゃんはバンと雀卓を叩きいて立ち上がった。その衝撃で牌たちが一瞬だけ宙に浮き――ガシャンと雀卓中に散らばる。
「御免、寿松木ちゃん、カシちゃん、わたし行ってくる!」
「行ってくる……って別館か? 別館は……生徒だけでは行けないで!」
カシちゃんは――可愛いちゃんに首絞められている状態で言った。いつの間に可愛いちゃんが襲いかかっていたっぽい。
「大丈夫、わたしには考えがあるの」
「なにを考えているかはわからんけど――わかったわ。ほな、頑張っといでな!」
「気をつけてね法ちゃん……! さぁ、カシちゃん……覚悟しろ……!」
ツインテちゃんは足早に麻雀部屋から出て行った。その間にも、カシちゃんが可愛いちゃんからヘッド・チャンスリーを極められているが、そのことを気にする素振りを一切見せない。
――ただ懸命に走っている。
「……待ってて、尾張。必ず借りを返すから」
――瞳はまっすぐ前を向いている。
* * *
「というわけで、一緒に別館に行って貰えませんか?」
教師寮『パンデモニウム棟』の麻雀部屋は賑わっていた。多くの教師たちが雀卓を囲み――お祭りのように騒いでいる。
ツインテちゃんはその中の一人――墓井無頼花に頼み込んでいた。
「……尾張が…………捕まっている……」
墓井は右手、人差し指と中指を意味ありげに唇にくっつけて――なぞっていた。
そのうっとりした……甘い表情は――なにかの記憶を振り返っているようにも見える。
昨日――尾張罪檎と間違ってキスをしてから、墓井はこの調子なのであった。
「そうなんですよ! なので、お願いします」
ツインテちゃんはお辞儀をした。その風圧のせいなのかはわからないが、墓井の黒いタンクトップに包まれた胸がプルンと揺れる。タンクトップに謎の凹凸っぽいものがあることから――もしかするとノーブラだと思われる。
「あぁ、多分、それ神島先生が絡んでいるッスね」
墓井から見て左側にいた火結が話に混ざってきた。
「神島先生、朝から仕事あるとか言って、別館に入ったきりッスもん、多分こりゃ、確定ッスねぇ」
「そんな……」
ツインテちゃんは絶望にも似た声を出す。
実のところ、神島の超能力は生徒間でも教師間でも、結構有名だった。
――瞳をあわせただけで発動し、一切合切の動きを封じるという強力な能力は敵味方、問わず――畏怖――を超えて――恐怖――の対象となっていたのだ。
「プー! ついに神島さんが動き出したプー!」
唐突に火結の正面――墓井から見て右側にいる女が弾むように飛び上がった。
蛇柄の軍服を着ている女で、右手に何故かトランペットを持っている――二年四組担任の古村狗瑠孫だ。
「やったゴル! これで尾張罪檎に怯える日々は終わったゴル!」
その隣の席にいる女が古村に同調する。その女は剣道の防具を身に纏っていて、右手に何故か軍旗 (見たことがない柄なので多分オリジナル)のついた竹刀を持っている――二年一組担任の我孫子衿子だ。
「いちいち、うるさいんだよ、おまえら!」墓井の一喝で古村と安孫子の二人は「ひぇープー‼」「ひぇーゴル‼」と震え上がった。
「で、路西、なんでオマエは、尾張を助けたい?」
墓井はツインテちゃんの方を向いて――問いかける。
「へっ?」
「このまま、尾張を助けに行ったら、オマエも貰いゲロを喰らうかもしれないんだぞ。神島はアタシよりも甘くはない――むしろ、辛すぎるっ……てのが妥当だろう。そんな、辛いし、辛いゲロを喰らってまで、尾張を助けたいか?」
「――はい――助けたいです」
即答だった。
「ほう、なんでだ? ……も、もしかして……まさか、オマエ、尾張に気があるのか……?」
「――い、いいえ――絶対違います!」
即答だった。
「理由は単純です。わたしがあなたにやられそうになった時、尾張はその身を挺して助けてくれました――だったら、尾張がやられそうになっている今、今度はわたしが身を挺して尾張罪檎を助けるべきだと思ったからです」――ツインテちゃんは口を阿吽の阿の形に開いて呼吸をする――「確かに、わたしはこんな学校まで堕ちてきた人間です。人間ですが――けど、わたしにはプライドがあります。絶対に譲れない――プライドがあります! わたしは尾張罪檎に助けられたままの人間では駄目なんです! それじゃあ、わたしのプライドが許さないんです! なので、どうかお願いします!」
お辞儀をするツインテちゃん。
「そうか……そういうことか」墓井はうんうんと首を縦に振って――また右手の指で自分の唇をなぞる動作をした。何故かはわからないが――墓井の声色に少しだけ、安心感が含まれてように感じられる。
「あの……駄目でしょうか?」
「駄目かと訊かれたら、駄目ではないと答えるしかないな」と墓井は腰をゆっくり上げ、「じゃあ、これから、神島のところへ行ってくる」と雀卓を囲む三人――火結――古村――我孫子――に告げた。
「ちょ、墓井先生、なに言っているのだプー⁉」
「ここは冷静に落ち着かないと……戦場だとやられちゃうゴル!」
「やかましい‼」墓井の怒号に、古村と我孫子はまたもや叫号した。今度は体のどこかから出した千円札を、許してくれと言わんばかりに差し出したが、普通に墓井にスルーされる。
「えっ……、どうしてですか?」
ツインテちゃんは意外そうにしていた。
「オマエから頼んでおいて、どうしてはないだろう」
「け、けど」
「アタシもあいつに返したいものがあるんだよ」
墓井はポンポンとツインテちゃんの肩を叩いて、麻雀部屋の出口へと歩んで行った。そんな墓井を火結が引き留める。「待ってくださいッス! 姉貴!」
「わっちも連れってくださいッス……。わっちも尾張罪檎とは色々あったんで……」
「駄目だ」
「どうしってッスか? やっぱり、わっちじゃ力にならないッスか……」
しゅーんと火結の顔に影が射した。相当へこんだみたいだ。
「そりゃ、決まってる」墓井が古村と我孫子を指差した。
「アタシがやられた後、この二人を守ってくれ」
「えっ私?」と、古村と我孫子が口をぽかーんと開く。
明らかに今の墓井の発言は、火結を適当にあしらっただけだが……。
「わかりましたッス!」と火結は眼を輝かせて――両手でガッツポーズをした。墓井の真意には気がついていないようである。
「じゃあ、行くか路西」
「は……はい!」
ツインテちゃんは墓井の後を追って――麻雀部屋から出て行った。