15 歪んだ正義感が支配する「学校」
『伊甸閣』は『真戒女子高等学校』から車で三十分ほどの距離にある、高級和食料理店である。あの某タイヤ屋のレストラン紹介紙で星を貰っているぐらいには――高名であるし、テレビでチラチラ出てくる政治屋さんとか、芸能人とかがくるぐらいには――有名である。
その一室に、教頭――御厨蠅御がいた。
「くちゃくちゃくちゃ……くちゃくちゃ……」
美味しそうに松茸の炊き込みご飯を咀嚼しているその口は、あっぱれなほどに開いている。そのため、口に放り込まれた松茸たちの末路がよく見える。
「相も変わらず、いい食べっぷりね、御厨先生」
その問題しかないような御厨に優しい声が投げかけられる。本当ならば呵責されるべき案件であるのだが――御厨の目の前にいた女の口からは批難を告げる言葉も――指弾を告げる言葉も出てこなかった。
ただ、閑かそうに――静かに睨みつけていた。
「あぁ、美味しかったです。げっぷふぅ……」
怖いもの知らずにも、口を押えずげっぷをする御厨。目の前の食器はもう全て空っぽだ。
「味わって御飯を頂く御厨先生は嫌いじゃないわ。たとえ、食べ方が綺麗じゃなくとも、それに一時間近くかかろうとも」
「ありがとうございます」
女の皮肉が混じった言葉に動じず、御厨はポンポンと自分のお腹を叩いている。もしかすると、皮肉を言われたことに気がついてないのかもしれない。
「では、早速本題に入りましょうか」
「それより、デザートは?」
「このコースにはないの。これで終わり」
「じゃあ、早速本題に入りますか」
「……」
御厨の目前にいた女――人間正偽観は『真戒女子高等学校』の理事長である。元、政治家で――文部科学大臣、防衛大臣を歴任しているほどの大物。理事長に就任したのは政界引退後であった。
世間から定評があるその容姿は――少し低い背――目鼻立ちが愛おしい顔――張りのある大きな胸や尻――しなやかなウェスト――線の細いシルエット――潤いのある肌――
お姉様のような大人っぽさと、妹のようなあどけなさを持ちあわせており、その五十ぐらいの年齢を全くもって感じさせない、独特の華麗さ――可憐さをこれでもかってぐらい、放ち続けている。
「御厨先生……『闇の王子』はどうですか?」
正偽観が言う『闇の王子』とは、転校生――尾張罪檎のことだ。
「えぇ、やはり――物凄い力を持っているようですな。先日に引き続き、本日も教員一名を倒したそうです」
「ふぅぅん」と正偽観はそのことに関しては興味がないと言いたげだった。
「『闇の王子』は、あの方の究極の最高傑作であり――究極の最低駄作なのよ。そこら辺のただの超能力者に負けるような珠じゃないわ」
「はぁ……、そうですか」御厨はなかば自重するように――なかば自嘲するような――笑みを浮かべる。
「ただの駄作の俺とは違うってことですね」
「ええそうよ」正偽観は肯定した。「ただの駄作はいくら抗おうとも、争おうとも、ただの傑作にすらなれないの。究極の最高傑作――究極の最低駄作である彼女と、あなたが違うのは至極当然の結果だわ。まぁ、あなたにとっては至極悄然の結果だろうけど」
「全然そんなことありません……」と返す御厨。対して正偽観は「――だけれども」と言葉を続けた。
「価値は兎も角、勝ち負けはどうなるかはわからないわ。世の中には地獄の底に埋もれている傑作も、天国の頂きに立っている駄作も沢山あるのよ――駄作が傑作に勝てる場合もあるし――駄作が駄作に負ける場合もある」
腕を組みながら話す正偽観。その腕が自然に胸を支えるようになっていて――ただでさえ強調されている豊かな乳が、さらに強調されてしまっている。そのことを意に介していないようで、正偽観はその姿勢のまま話を紡いでいく。
「御厨先生――駄作のあなたが『闇の王子』――尾張罪檎に勝てるとは限らないけど、負けるとも限らない。つまり、今のあなたは等身大のシュレーディンガーの猫なのよ」
「は……はぁ」
「で、ここからが本当の本題なのだけれど――御厨先生。あなたに『闇の王子』の懲罰を許可します」
「懲罰を許可ってことは……まさか」御厨が尾張罪檎と戦闘してもいいということである。
「期間は第三学年が修学旅行から戻ってくるまで。つまり……今から一週間後まで。けれども『特別懲罰』の行使は禁止するわ」
「でも、いいのですか? 尾張罪檎はあの方の……」
「いいわ。あなたに負けるぐらいじゃ、それだけの価値しかない作品だったってことよ。そんな駄作も――傑作もわたくしには必要ないわ」
「……わかりました」御厨はうやうやしくお辞儀をする――「では明々後日にはよき報告ができるように尽力します」
「えぇ、楽しみに待っているわ…………――――蠅御ちゃん」
そんな御厨を前に、正偽観は、その姿形とあっていない――いやらしい笑みを浮かべたのだった。
* * *
「あれん、アンタん、帰っていたのん?」
時刻は夜の二十時を回る――御厨は学校に帰ってきていた。
終業時間なのにも関わらず――職員室の灯がついていることが気になったので、御厨は職員室によることにしたのだった。
そこには、ただ一人――神島偉國がパソコンと向きあっていた。教師と言う産業の都合上、残業は仕方ないことではあるのだが――この時間まで学校にいる教師は、この学校にはなかなかいない。だからなのかはわからないが――御厨は神島を珍しいものを見る目つきで見ていたのだった。
「てっきりん、あの人間正偽観が朝まで帰さないと思っていたわん」
疲れているのか――神島の扇子の扇ぎ方が何時もより――弱い。体も疲労困憊と言いたげにダラーンと椅子の背もたれに預けている。唯一、ダラーンとしていないのは重力に逆らうように盛り上がっている――おっぱいのみだった。
「それがな、今日は意外と早く終わったんだ」
御厨は神島に近づいていき、そのパソコンを覗いた。
「なに、エロいの見てんだ?」
「アノーイング。あんたと違ってそんなものは見ないわよん」
画面に映し出されていたのは尾張罪檎の顔写真だった。その脇には個人情報的なものが文字となってズラーと並んでいる。
「なんだ、尾張罪檎に興味があるのか?」
「不純な理由での興味はないわん」
「純粋な理由での興味はあるってことか?」
「えぇ、純粋な憤怒に基づく興味だわん」
神島はパソコン画面を消して――御厨の方を向いた。同時に胸も向くわけで――その迫力に御厨は小さく一、二歩、後退る。
「蠅御ん、あのねん、次はん、ワタシがオワリサイゴに挑もうと思っているのん」神島の言葉は――自白のようでも――告白のようでもあった。
「どうしてだ。まだ二年生の教師は残っているじゃないか」
墓井と火結がやられた今、残っている二年生の教師陣は――二年一組担任の我孫子衿子――二年四組担任の古村狗瑠孫――二年五組担任の如月喫茶――そして神島を入れて四人である。
「……我孫子先生と古村先生がオワリサイゴにビビッていてん、戦いたくないそうなのねん……」
「あぁ、あの二人かぁ……」
安孫子と古村は――元自衛官ではあるものの、戦場経験が長かったせいか、自分たちが勝てそうにない相手を前にすると『戦略的撤退』とか言って、逃げてしまう。
「それでねぇん、ここはワタシと如月先生で一発やってやろうと思ったのよん」
「ほう、如月とか」
「墓井先生にしても――火結先生にしても――一対一で戦って負けたわけじゃないん。だから、チーム戦で挑もうと思ってん」
御厨は神島の言葉に頷く。
「そうかそうか。だがしかし……偉國、おまえと如月だけでは尾張罪檎には勝てないと思うぞ」
「はん?」神島は訝しむように、腰を上げ、御厨に詰め寄る。「それってん、どういうことん?」御厨は迫りくる神島の乳房を見て、満足げに頷いていた。両手もなにかを揉むような怪しい動きをしている。
「あぁ、要するに俺も混ぜて欲しいってことだ。尾張罪檎をやっつけたい……」
「あぁん、そういうことん」すぐ表情を和らげた神島は、嘆息した。
「ありがとうん。でもん、せっかくだけどん、お断りするわん」
「どうしてだ?」
「んん……それはねん……」神島が口ごもる――その様子は逡巡しているようにも感じられる。
「……もしかして、あいつらのことを気にしているのか?」
神島は一瞬、目を大きく見開いた――どうやら御厨の指摘は図星だったようである。
あいつらとは、現在、修学旅行中の三年生の担任団のことだ。
『真戒女子高等学校』を実質的に支配しているのは理事長と――教員以外で構成された『理事会』である。校長や教頭と言った管理職でも――そこには決して抗うことはできない。
校内でもその影響力は強力で――理事長もしくは『理事会』とつながりのある教員たち――現在三年生の担任団になっている八人――は管理職を凌ぐほどの権勢を持っている。
むしろ、その八人が管理職的な立ち位置になっていて――本物の管理職たちはただの雑用と化しているのが現状である。そのことからか、八人は冗談や皮肉交じりに――『八大公』と呼ばれていた。
「そうなんだな、やっぱり……」
「…………そうよん。もうすぐ帰ってくるじゃないん、あの『八大公』がん!」その声はもう怒鳴り声となんら変わらなかった――日頃、なにかあったのか、抱えきれないほどの『なにか』が感じられる。
「このまんまん、二年の担任団で尾張罪檎を止められなかったらん――さらに『八大公』に舐められちゃうじゃないん……! ワタシん、あいつらに馬鹿にされるのはどうしても癪なのよん……!」
「……それもそうだな」御厨はただ頷く。「わかった。じゃあ、尾張罪檎は偉國に任せる」
「……そうしてくれると嬉しいわん」
「その代わりだ。おまえたちが失敗した場合は俺が尾張罪檎を討つ。それでいいな」
「……えぇん、もちろんよん。まぁん、あなたの出番なんてないでしょうけどん」
「……そうなってくれると嬉しい」
御厨は踵を返して――職員室の扉へ向った。
「じゃあ、俺は行こうと思う」
「あらぁん、もう行っちゃうのん?」
「引き留めるってことは、もしかして、偉國。俺と寝たいのか?」
「違うわよん! どうしてそうなるのん⁉ てかん――その『寝たい』ってん、なんか別な意味も含まれているわよねん⁉」
「いや、俺が言ったのは、ただ純粋に寝るという意味だ」
「本当ぉかしらん?」
「あぁ、純粋に■■■するという意味だ」
「不純物しか残ってないじゃないん⁉」
ふんっと、神島は御厨から顔を背け、窓を向いた。外に広がる夜空には三日月が煌めいている。
「今日は忙しいのよん!」
「あぁ、じゃあ、また別な機会で楽しませてやる」
御厨はそう言い残して――職員室から出て行った。
* * *
教師寮の一階一号館の洗面所の電気がつく。
部屋の主である御厨が洗面所に入ってきた。
「はぁ。駄作か……」
御厨はワイシャツのボタンを外し――胸元を大きく開ける。
そこから、弦柄のブラジャーをつけた胸が現れる。
――両胸とも形がよく、大きさも丁度いい。――まるで均整美そのもののようだった。
その露出した――上乳の部分に蠅のタトゥーが入れられている。
――王冠を被った王様のような蠅。
――蠅のような王様。
「俺はいつまで経っても駄作と呼ば続けるのか……」
御厨はワイシャツを脱ぎ捨てて、その胸からブラジャーを取り去った。