11 根城『パンデモニウム棟』
ここが教師寮……。ぼくの目の前には学生寮と同じ形をしたアパートがあった。差別化を図るためか、全体が悪趣味に赤で塗り固められていた。その見た目は――まわりと比べても結構浮いている。その『パンデモニウム棟』という名前も正直、どうかと思う。で、ぼくがそこにやってきた理由は、墓井のことが気になったからだ。
ぼくは寮へ足を踏み入れる。確か墓井は――カシちゃんの情報が正しければ、六階の『六十一号室』にいるはずである。階段で行くのも骨が折れるので、素直にエレベーターを使うことにした。最新技術はいいねぇ。楽だよ。楽。
先程のカシちゃんの言葉を聴いてから――自分のせいで墓井が精神的に物凄い傷を負ってしまったのではないかと心配になっていた。
まぁ、聴衆の前で全裸にされたのだもの、そりゃ痛手を負ってもおかしくはないわな。ぼくもぼくで、あの技――『大淫蕩無間地獄』を使うにあたって、それを覚悟していなかったわけではないが。実際問題、完全に精神がやられて、再起不能状態に陥っているのならば、解せないという思いを拭いきることはできない。
それで、ぼくは放課後になってから、カシちゃんから教師寮の位置とか、墓井の居場所とかを聴き、学校内にあるコンビニで菓子折りを買って、やってきていたのだ。
六階に着いたようで、エレベーターの扉が開く。その先には外壁と同色の廊下が広がっていた。ピンク色の点灯が何メートルおきに設置してある。まずい……だんだんとここが、ラヴホテルに見えてきた。どうしてこんな内装にしたのだよ……。そう困惑しているぼくの眼が前を行く二人の生徒の背中を捉えた。
二人とも知らない人で、これといった特徴もない。二人でなんか「墓井、体罰できないらしいよ」とか「あん時の恨み晴らしてやるよ」とか言っている。
あぁ、そういう系か……。ぼくは後ろから二人に忍び寄り、両手で二人の首根っこを掴んだ。「誰よ」とムスッとした表情をぼくへ向ける二人。ぼくは深呼吸をして、あの技を発動した。
――『大淫蕩無間地獄』
二人は着用物を粉々にしながら、(ぼくから見て)前方に吹っ飛び、倒れた。
「はじめまして、ぼくは尾張罪檎と申します」
「お……尾張罪檎」
その名を聞いた二人は顔に恐怖を浮かべる。
「反撃ができない相手に暴力を振るうのは、ただの弱い者いじめで――墓井先生がやっていたことと同じですよ」ぼくはなだめるように言った。「その顔、ぼくを知っていますね。ぼくのこと知っているっていうことは、なにをされたかもわかりますね?」
二人は首を縦に動かした。学校内のぼくに対するあのドン引き様だ。噂かなにかで知ったのだろう。
「取引です、もう二度と復讐をしないと約束してください。そうしたら、『大淫蕩無間地獄』をオフにしてあげますよ」
二人はさらに早いスピードで頭を振った。
「わかりました。オフにしておきます」ぼくは言葉の通り、『大淫蕩無間地獄』をオフにした。
「では、このことを、まわりの皆にも伝えてください。『体罰ができなくなった教師への一切の攻撃は許さない』と」
二人は立ち上がってお辞儀した後、逃げるように去っていった。
ふぅ……とぼくは六十一号室を探す。
* * *
「失礼します」
六十一号室には鍵がかかっていなかったので、挨拶をして普通に入った。入ったのがぼくだったからよかったものの、泥棒とかさっきの奴らに入られていたら、どうなっていたことか……。でも、墓井なら平気で返り討ちにしそうである。
「……」
担任をしているクラスの生徒が不法侵入をしたのにも関わらず、音沙汰もない。
「墓井先生~。ぼく、尾張罪檎がきました~。返事お願いします~」
「……」
返事がないことを確認して、ぼくは靴を脱いで堂々と上がっていった。だって、こそこそした方が怪しまれるじゃん。よく考えたら、堂々したところで、こそこそしたところで、どちらにしたって不法侵入だけど――そこに関しては触れないことにしよう。
で、墓井は何処にいるのやら。ぼくはとりあえず、目の前の扉を開ける――その先にあったのは散らかり放題のゴミ部屋だった。そこら辺中にコンビニの弁当のケースやらビールの空き缶やらが散乱している。
うわぁ、なんじゃこりゃ。服装からしてだらしないと思っていたが、ここまでだらしないなんて……。
そんな中、一つだけ汚くないものがあった。それが――壁に飾られた金色のバットだった。汚れが文字通り全くなく、燦爛と輝いている。
「へぇー綺麗ですね」と、珍しくぼくは見蕩れてしまっていた。本当にただただ、普通に綺麗だった。
「おい……誰だ……」途切れ途切れだが、墓井の声が聞こえてきた。
「あ、先生」
ぼくは斜め後方の布団に倒れている墓井を――見出した。
裸足に革の短パン。上半身はヘソ出しのホワイトタンクトップだけであった。汗をだらだら流しているようで、タンクトップが禁断なぐらい透けている。顔はまっ赤かで、心なしか湯気が出ているように見えてくる。
「ブラつけてないのですか? せっかくのいい形が崩れますよ」
「尾張罪檎……。なにしにきた……?」訝しげにぼくに訊いてくる墓井。
「怪しい理由じゃありませんよ」そんな墓井を安心させるため笑顔を作る。
「……怪しい奴が吐きそうなセリフだ」
「そりゃ、心外ですね」
「真に怪しいと書いて……『真怪』か……?」
「『真怪』ですと、『実在する本物の妖怪』って意味になりますが……」
「ほら、やっぱ妖しい奴じゃないか」
「誤解ですよ。ぼくはただ先生が心配になってきただけです」
「『心理的なもの』ということか……。そりゃ『誤怪』だな……」
「井上円了はもういいですから」
「……そんな遠慮するなって」
「で……大丈夫でしょうか、先生……? なにかあったのですか……?」
ぼくは訊きたかったことを訊ねる。
「あぁ、悪い。熱が出た」
「……へっ?」これってまさか、ぼくの心配し過ぎだったのか……。
「きっと、全裸になったのが原因だろうな。昨日、微妙に寒かったし」
「……」
ぼくが原因だったのは憂慮の通りだったが、それが精神的な問題ではなく、肉体的な問題だったのは憂慮の通りではなかった。もしかすると杞憂に近いかもしれない。
「あの、これよかったら……」
ぼくは墓井に苦し紛れの菓子折りを渡す。苦しさが紛れるかはわからないが。
「ご丁寧にどうも。菓子折りなんか貰ったのは、はじめてだ」
思いの外、喜んでもらえたようでよかった……。ぼくが安心したのも傍ら、墓井はぼくがあげた菓子折りを、色んなものが乱雑に積み重なっている――ゴミ山の天辺におきやがった。「後で食べよう」と吐かしていることから、食べるのは確定みたいだが、なんかゴミの上におかれるのは悲しい気持ちになる。
「てっきり、全裸になったのが、ショックで寝込んでいるのだと思いましたよ……」
「ショック受けないわけがないだろう、ド阿呆? アタシは女だぞ」
いきなり、ド正論が、ド直球で飛んでくる。これぞ、まさに豪速球だった。
「すいませんでした」
「謝んな、おまえ」墓井は顔に怒りを浮かべる。
「おまえがアタシを全裸にしたのは、暴力を否定するという大義――もっと言えば、学校に自分は屈さないことを表明するという名分――この2つのためだったんだろう? だったら、おまえはやすやすとアタシに頭を下げちゃいけない――」具合が悪くなってきているのか、さらに息が切れ切れになっている。
「――下げるってことは、その大義名分――おまえはおまえ自身の理念も理想も自分から否定してしまうことになる。それに――アタシが被った害が『全て意味のなかったこと』になるというわけだ――尾張罪檎、おまえはただアタシにストリップをさせたかっただけか? そのためだけにアタシに喧嘩を売ったのか?」
その通りだ。墓井の言った通り、ぼくが墓井に頭を下げてしまうと、自分自身の『暴力に屈さない』という目標を否定してしまうことになる。
じゃあ、ぼくが言うべき言葉は……。
「墓井先生――………………いい体でした」
「ははっ…………死にたいのかボケカスゥ‼」
急に発狂する墓井に――ぼくは半ば困惑気味に「えぇ……」と呻いた。
「おまえ、女性の体を見ての感想がそれって……最低だぞ‼」
墓井の顔はさらに赤くなる。おいおい、いくらなんでも逆鱗の位置が特殊過ぎるだろ。なんだか、熱あるのにそんなに、はしゃいで大丈夫なのか心配になってきた――なってきたのだが、墓井はそんなぼくの気持ちも知らず、フラフラと立ち上がる。
「おまえ、それだから、路西に蛸殴りにされるんじゃないか⁉」
「ぼくが路西さんに殴られた理由ってそれだったのですか⁉」
――多分、違う。てか、なんで、ぼくがツインテちゃんに殴られていることを墓井が知っているのだよ。
「よし、このアタシが教えてやる……筆も下ろしてやるよ! ……卒業もさせてやる!」
「教えるってなにをですか⁉ 筆は下ろさなくていいですから‼ それに卒業はまだですから‼」
というか、この人、熱でおかしくなってない?
「おらぁ、こっちにこいぃぃ……ぃ…………」
糸を切られた操り人形のように、墓井は倒れはじめる。
ほら、言わんこっちゃない!
ぼくは墓井の背に手を回して、墓井を抱えようとする。しかし、それが不幸のはじまりだった。空中に投げ出された墓井の手がぼくのブレザーの襟を掴んだ。掴んで引っ張った。これは人間が倒れる時にする反応の一種である――きっと、ワザとではないのだろう。そのまま、ぼくの顔が墓井の顔に引き寄せられて……。
「⁉」
なんとぼくの唇が墓井の唇と密着してしまった‼ そうつまり、ぼくと墓井はキスをしてしまった‼
ぼくの……ぼくの大切なファーストキスが、奪われた瞬間だった。
「あ……あ……あ……」
衝撃のあまり、崩れるように、ぼくは尻もちを突いた。突いて、後退った。
墓井の方は、墓井の方で両手を唇にあてて、ぼくを見つめている。泣きそうなのか、その瞳はうるうると輝いて見えた。
「し、失礼しました!」
ぼくはなかば叫びのような声をあげ、撤退する兵士の如く、ぼくは必死になって逃げたのだった。