1 不祥事と転校と「バナナの皮」
なんの不合理なのか不条理なのか、ぼくがこの、自分自身の足で、『真戒女子高等学校』の校門をまたがなくてはならなくなったのは、己の性的不祥事が原因だった。自分に起因している不祥事の時点で不合理も、不条理も、クソもないのだが。
不祥事とは言ったものの、それは小心者のぼく自身の性格からくる、誇張した、大それた言い方であって、実際のところを言えば、そんなに騒ぐほど、大したことでは……多分ない。
簡単に言えば、前の学校 (説明のしようがないくらい、一般的な女子校だ)の合唱祭中、ステージの上で――全クラス、沢山の来賓、保護者が見ている前で――『隣の同級生を全裸にして、押し倒してしまった』だけであるのだが……。
あれは、ぼくの性癖を起点としている故意や恋ではなく、自分の意思が全く介入していない、完全なる過失――つまり、事故であった――あったのだが、ぼくの言葉に耳を貸してくれる、善良な人間は、驚嘆するほど――困惑するほどに、誰一人いなかった。
で、その不祥事の責任を取らされて、前の学校から無理矢理、この『真戒女子高等学校』へと転校させられたのだ。
酷い話だ。『真戒女子高等学校』――日本の女子校のどん底の底――偏差値が驚異であり、脅威の『二十ニ』――この日本で(地球基準で考えても)一番に頭の悪い、一番に偏差値が低い、高校なのである。もちろん、入った者は自分の将来を切望することも許されない、絶望的な状況になるわけで――身長百七十三センチ、体重五十九キロ。スリーサイズは上から百、六十三、九十一。今年で十七になる、このぼく、尾張罪檎は主観的に見ても、傍から見ても、かなりと言えば軽い冗談になるぐらいに、マズイ状況に陥るわけだ。
まぁ、いいさ。今のぼくにとってはまだ将来のことなどは、どうでもいいことだ。高校生活をいかに平穏に、難なく、楽しむこと。それが、今のぼくにとって最重要の課題だった。地獄も住み処で、住めば都。心機一転、新天地でぼくは、今度こそ楽しい学園生活を手に入れてやる。
そんな普通の高校生が抱きそうな、安っぽい思いを込めて、校門を越え、一歩を、千里の道のはじめての一歩を踏みだした――瞬間だった。
「へっ?」なんと、なんとなんと……。前に出た足の下、不合理にも、不条理にも、バナナの皮が存在していた。ぼくの足はそれを思いっきり、躊躇なく、踏みにじっていた。「そ、そんな……」そんな――「莫迦な⁉」定型文の『そんなバナナ』なんて言うほど、ぼくは粋な人間ではない。バナナの皮は、そのまま、ぼくの足の力で滑り、後退する。ぼくは、そのまま、バナナが後退する力でバランスを崩し、すっこける。
「きゃっ!」
女の子の甲高い叫びにも似た声が響く。展開からしてぼくの声のようにも思えるが、今のはぼくのではない。じゃあ、誰のか。気になるものの、ぼくはその様子を見られなかった。見ることは叶わなかった。なにせ今、己の顔面はなにかやわらかいモノに埋没していたからだ。
この質感。顔面全体を包み込む、ざらざらとした布のような質感。制服のスカートの肌触りに近い……いや、スカートそのもののような。けれども、それは本質――本命の質感――ではない。本質はその布の下から、強烈に猛烈に、自己を主張する、吸いつくような弾力感、それだった。やわらかさと硬さ、相反する2つのモノが混じった、矛盾している感触。マシュマロみたいな触り心地と言えば、冒涜と捉えられてもおかしくないぐらいのもっちりさ。間違いないこれは……これは!
ぼくは早急に急速に、誰かの尻から、自分の顔を離した。きっと今のぼくの顔は、真っ青、藍より青い、血の気の引いた、赤が一切存在しない色になっているのだろう。ゆっくりと視線を上へ――尻の主へ向ける。
ぼくと同じくらいの年齢の、ツインテールの少女が、キッとしたつり目で、ぼくをねめつけていた。その表情からも、瞳からも、こちらを抑圧するような、威圧的な雰囲気を醸し出している。
また、やってしまった……。ぼくは既に、幾多の経験から、これから起こる事態を予測できていた。無駄だとわかっていても、ぼくの口からは自然、釈明めいた弁明が飛びでてくる。「ご、ごめんなさい……。あの、その……これは……」
「なに、アンタ。這い寄る蚯蚓の如く、著しく気持ち悪いんだけど?」
蚯蚓に謝れ。
「こ、これはワザとじゃなくて……事故なわけで……」
「ブツブツ小声で喋らないでくれない? 逆に五月蠅くて、腹立つ」
「ひ、ひぇ、ごめんなさいぃ。でも、そうは言われましても……」
「えぇ?」
彼女の方から詰め寄ってきた。彼女が放つ圧迫感が具現化したのか、恐怖心が視覚を歪めてできた錯覚なのか、まわりの風景がぐにゃあぁぁぁぁと歪んで見えてくる。
「だ、駄目です、近づかないで……! いや、近づかない方がいいです!」
「なにが言いたいわけ?」
「ちょ、ちょっと……」
その刹那、彼女の足がなにかに取られた。なんの不合理なのか、不条理なのか、彼女の足の下には、もう一つのバナナの皮が存在していたのだ。「きゃ、きゃあぁぁ!」バナナの皮のまにまに、彼女は前方――ぼくのいる方向へ、倒れていった。ぼくを巻き添えにして。砂煙が上がる。ぼくは押し倒される形で地面に倒れていた。彼女はそんなぼくの上から被さるような姿勢になっている。その顔はほのかに、いや、ほのかどころではなく、完全に赤く――真紅そのものになっている。そして、その視線はぼくの掌へと帰結していた。
「あっ」
ぼくの両手――天に突きだすように上方に掲げられた2つの掌は――2つの大きな(比喩ではなく、実際に大きな)果実を――乳房を鷲掴みにしていた。ぼくの両掌に、なんだろう、とんでもないほど、しっとりとしていて、やわらかい感覚が、電流のように伝わってくる。
「えっと……あの……その……」
「……」
さらに圧をマシマシにした瞳で、乳房の主はぼくを睨みつける。もう、これは自分の仇を見る視線だった。もう、ここまできたら、流石のぼくも諦めがついた。己の名誉を挽回する諦めが。もう、やけくそに笑顔を作って言い放った。
「い――………………いい、おっぱいしていますね」
「死ね! 痴漢‼ 卑劣漢‼」
ばしっ! ばしっ‼ ばしししんっ‼
結局、大きいのを三つも顔面で受ける羽目になってしまったのだが。