16 疑いよりも明確な。
警邏の人はまだ若くて、悪女カレン、と言う名前を聞いてもいまいち分からない様子だった。
まあ当時は世間をにぎわせた、相当に有名な人物だったとしても、それから十数年の月日が経過している訳で、年の若い警邏が知っているとも思えない。
その一瞬の、訳が分からない、と言う顔をして動きが止まったその隙をついて、私は怒鳴った。
「人違いも甚だしいこと言わないで!! 私は砂漠のエーダ!! カレンって言う人じゃない!」
私は逃げなかった。
ここで逃げ出すのは、あまり良い選択肢とは思えなかったのだ。だって逃げたら後ろ暗い事があるってねつ造されそうだし。
とにかく、人違いだ、知らない、と怒鳴ったわけである。
でもリリー姫は、この私の主張を全く聞く様子もなく無視をした。
「捕まえてください! この女こそ諸悪の根元!! 処刑されたと聞いていたのに……!!」
「だから人違いなんだってば!! 知らないっての!! 一体いつ処刑されたんだよその人!」
「白々しい!!」
リリー姫はきっと私を睨みつけて、さっさと捕まえろと警邏に指示を出す。
そして警邏の人は、貴族階級というか、王族階級のリリー姫に逆らうのは得策ではないと思ったのか、私に近付いて言う。
「話を聞かせてもらおうか」
「そっちの人達の言っている事、何にもわからないのに話もヘった暮れもあるか! なんであなた達の子供や孫が、うちの戸口の前に置き去りにされてんだよ!! 遙か遠くの砂漠だぞ!!」
「顔色一つ変えずに嘘をつくのは、当時から上手だったわね」
吐き捨てるような調子で言ったリリー姫。ムージは私に抱っこされて、しがみついていたのだけれども、マシューであろう赤毛の男の人が、警邏に言う。
「その子供は紛れもなく私の息子なのだ。その女から解放していただけないか」
「……は、はい」
「お前、手を離せ」
「だから絶対に違うんだってば!!」
ここで私の主張は何一つ通らず、ムージは私からマシューの方に受け渡された。
この間ずっと泣きじゃくっているムージを、彼等はよしよし、となだめている。
リリー姫は明らかにほっとした顔で言う。
「ああ、恐ろしい思いをさせたわね、かわいいエドガー」
「もう大丈夫だからな。……警邏に取り調べを受けさせれば、お前も考えが変わるに違いない」
マシューは嫌悪した顔で私を見やったのだけれども、リリー姫はもっと過激だった。
「取り締まりなんて甘いでしょう。あの世から私に復讐をするために舞い戻ってきた化け物など、牢獄に押し込んでしまった方が安全だわ。カレンは人を味方に付けるのがとてもうまかった。……警邏までたぶらかされて、無実にされてたまるものですか」
「なんであなた方一切合切人の話聞かないんだ!? 知らないっての!! 人違いだって! こっちの言ってる事聞こえてる!?」
「とにかく、来い!」
「痛い! 何もしてないのに乱暴な事するんじゃねえよろくでなし!!」
私は力任せに引きずられ、抵抗したけれどもかなり強引に押さえ込まれて、どこかに連れて行かれたのだった。
「で? お前は公爵家に嫁いだリリー姫が産んだ長男、マシュー殿の息子をさらったんだな?」
「知らない。やってない。砂漠で暮らしていた私がどうやってそんな真似が出来るの」
「お前、正直に話した方が何かと身のためだぞ」
「だから正直に話してる。私が連れていた子供は、砂漠の王宮にある使用人居住区の中の、私の家の戸口の前に朝っぱらから置き去りにされてた子供。神殿に親も親戚も探してもらったけれど、誰も見つけられなくて、仕方ないから王様の命令で育てる事になった子供。エドガーだっけ、そんなの知らない」
「嘘をつくな!」
「じゃあ、砂漠の国に問い合わせろ! 証言だったらいくらでもとれる!」
机を威圧的に叩かれて怒鳴られても、ギルド受付嬢時代に、脅して金額を上乗せしてこようとする奴の方が威圧的だったから、何にも怖くないので思いっきり怒鳴り返す。警邏の人達は明らかに私相手に、手こずっている様子だった。
大の男に囲まれて、脅されるように証言をとらされそうになって、ここまで抵抗する若い女ってのも、あまりいないのだろう。
「……どうする」
「どうするもこうするもないだろう」
「リリー姫のような王族様が、カレンだというならそうだと思うのだが」
「そのカレンの絵姿はないのか」
「ないだろう。上に聞いてみたらあまりの悪女だった事から、記録は全て不吉だと燃やしたと回答がかえってきた」
「じゃあ俺たちに出来る事って何もないだろう」
警邏が話し合う。私は頬杖をついて、彼らを眺めて言う。
「私仕事で旦那と一緒にこの国にきたの。今頃こんな事になってて、旦那がとても心配してると思うんだよね。カレンじゃないんだから、さっさと外に出してもらえない? ムージを連れて行った事に関しても、あの子は砂漠の王様が決定権を持っているから、早く報告しなくちゃいけないの」
ここで砂漠の王様という権力者を出したのは、ちょっとしたずるだ。
でもこれを言えば、多少の権力には弱そうな彼らに対して、はっきり脅しになるとわかって口に出したのである。
実際に彼らは、砂漠の王様と聞いて、顔色がちょっと悪くなった。
「砂漠の王って言ったら、青の国の王族も頭があがらなかった気が」
「青の国の崩壊した城の修復工事のために、頭を下げて一流の技術者を何人も派遣してもらったって聞いたぞ」
「明らかに俺たちが、一存であれこれして良い話じゃなくなってきたような」
「ねえ、聞いてる? 夫がきっと私を探して「おい、今詰め所に、妻と子供が行方不明になっているって、探しにきた砂漠の男がいるんだが……明らかに普通じゃないんだ!!」
私をのけ者にして話し合いを始めた彼らに、もう一回主張したその時だ。
事情聴取をしている部屋に、一人の男が泡を食ったような勢いで走り込んで来て真っ青な顔で、そう叫んだのである。
「普通じゃないって何が普通じゃないんだ」
「あんたらも見ればわかる! あんな、あんな、体中から血が一気になくなるような恐ろしさを感じる男が、普通な訳ないだろう!!」
その特徴だけで、私としては、ハッサンが探しに来てくれたんだろうと伝わったから、こう言った。
「ほら、私の夫が迎えにきた。早く出してよ。夫の方が法律とかいろいろ詳しくて怖いんだよ」
「……」
警邏の人はしばし顔を見合わせた後に、頷いた。
「わかった……」
「その前に、その夫にも、子供の件で話を伺ってもいいだろうか」
「良いよ。似たような話ししかしないと思うけど」
「では、ここでもう少しだけ待っていろ」
きっとハッサンにも話を聞いて、私の主張の矛盾点を追求したいんだろう。
でもそれは起きないと知っているから、私は余裕で座って待っていたのだった。
「お前の証言の裏がとれた」
そういって戻ってきたのは一時間から二時間が経過した後だった。
待ちくたびれるところだったのだが、まあ、変に罪をかぶせられるよりはましだろう。
「お前の……夫だという男からの話に加えて、砂漠から定期船に乗ってきたという言葉の信憑性も、間違いないと言う事になった」
「後学のために、どの部分で信憑性があったの」
「お前の夫が名前の記載がある定期船のチケットを、お前の分も所持していた。それの記載事項、そしてお前達と話したという、砂漠付近の港から定期船に乗った親子連れの証言。チケットに記載されていた便に乗っていた船員の目撃証言」
「ああ、私の話なんてひとっつも信じないで、そういった事で真実ってわけにしたんだ。でもそれってずいぶん失礼な話じゃない。嘘は一つも言ってないんだから」
「どこの生まれでどこの育ちかもわからない人間と、明らかに身元が確かな、リリー姫の主張の信用性を察しろ」
「警邏がわりと権力に弱いってのは知ってるけどさ」
いいつつ私は立ち上がった。私の無実は証明された。ハッサンと合流して、ムージの事を知らせなければならない。
きっと私と一緒にいると思っているはずなのだ。
通りで待っていたはずの私達がどこにもいないものだから、心配させたに違いない。
それがかなり申し訳なかった。
そして、警邏の詰め所の中でも、入り口に近い受付担当の場所に行くと、そこは異様な空気に包まれていて、ほとんど人がいなかった。
というか……いるんだけど、出来る限り存在を隠したいって言いたそうに縮こまっていて、かたかたと小刻みに震えている。
そんな普通とはいえない状況の中で、一人静かに壁に背中を預けて立っていたのは、ハッサンだ。
「……お前が身に覚えのない事を言われて連れて行かれたと聞いた」
私を眺めて、彼が静かに言った。怒っている気配はしない。しかし圧は、警邏の人達にとってかなりの重圧になっていたのだろう。
黙っていても、この人の迫力はかなりのものだ。
「事実身に覚えなんてある訳ないじゃん。ムージさらったとか。あの子見つけた時私がどれだけ、親や親戚を捜して大変だったか、知ってるでしょ」
「知っている。……ムージの方は親を名乗る貴族に連れて行かれたとも」
「そ。で、どうする」
「どうするもこうするもあるものか」
「あの子の事だよ。親を名乗る人が現れたからって、王様の決定をどうこうできるわけじゃないでしょ」
「すでに陛下には連絡を取ってある。陛下曰く、親が見つかったならば、親の元に戻す方が手間がはぶけるとの事だ」
「そんなのでいいの」
「親を名乗るもの達が連れて行ったならば、責任を持って育てる覚悟があるわけだろう。ならばそのままで構わんとの事だ」
「あなたは腹が立ったりしないわけ」
「お前がいわれのない事を被せられた事は腹立たしい。だがムージを育てると、親であると主張するもの達が決めたならば、俺がとやかく言う事でもない」
「……あなた意外とさっぱりしたものだね」
「砂漠で言われる事の多い話だが、その子供を最後まで育てきると覚悟したものに任せる事は、何ら問題のある話ではないとされる」
なるほど。私は言われて納得した。最後まで、育てきるまで、責任を持って面倒をみる。それが出来る相手の所にいた方が、子供にとっても幸せな事。
きっとそれは一種の正しさなのだろう。子供の心はいったん脇に置いて、子供が独り立ちするまで面倒を見ると覚悟を決めた人が、面倒をみた方が良いという考え方だ。
それは捨て子をするという考えの人よりは、ずっと良いような気がした。
「そうだ、ケビン殿はどうなったの」
「しっかりと話し合いをして、砂漠に戻る事になった」
「そのケビン殿今どこにいるの」
「連絡を受けてきた別の者が、確保して引きずっていった」
「……命を受けたのってあなたじゃなかったっけ」
「俺は説得要員であり力業要員だ。ケビン殿が自分から戻ると納得した場合は、すでにこちらに待機していた人員が連れて行く」
「待機してたんだ」
「ケビン殿の身分を考えろ」
言われて私は思いだした。そうだ、ケビンは陛下の弟だ。
旦那と私だけが一緒に戻るってのも、不安要素があると判断されたのだろう。
それはそれでいいし、ケビンとは顔をまだ合わせたくないから、ちょうど良いなと思ったのだった。
「陛下に連絡をしたところ、少し羽を延ばしてこいと言われてしまった」
「なんで?」
「事務処理で何度も休日を返上していた事に、気付かれた」
気付かれるへまをしたはずはなかったんだが、と旦那は理解できないって言う口振りで言ったから、それがなんだか笑えてきて、私はケラケラと笑ったのだった。




