12 王様のご命令
この日も、最近としてはあり触れた一日だった。
「ムージ、また散らかして。それ親父の包帯」
「きゃ、きゃ! あー、ぶ!」
「まあ、心配になるくらいに静かで大人しいよりは……って、それはだめ。ほんとだめ! 刃物、刃物!!」
私の生活が一変したのはこれで三度目で、一回は結婚した時。二回目は子供を拾って面倒を見る事になった時。
そしてこの三度目は、子供の名前がムジーヴァって決まって、かけられていた残酷な呪いが解けた時だ。
ムジーヴァを、ムージ、ムージと呼び出したのは親父で、あっけらかんとした調子で。
「短い方が舌をかまないで呼べるし、響きがかわいい」
という、納得出来るんだか出来ないんだか、いまいちわからない主張をして、これに旦那が同意した。
「まあ、長い名前は略称で呼ばれがちだからな。アーダ殿がその方が呼びかけやすいのなら、それでも問題ないだろう」
確かに、私の名前のエーダも、前の人生では略称だったから、どこでもそう言われがちなのだろう、とここは納得した。
そして結果、全員が子供の事を
「ムージ」
と短く呼びかけるようになって、ムジーヴァはそれが自分を呼んでいるんだって認識するようになって、今のところ大きな問題は起きていない。
ただ、呪われていた時と、ムージはうって変わって、とにかく、とにかく! 好奇心でいっぱいで、うちのものを手当たり次第にいじるし、卓の上のものが気になったら引っ張って落っことすし、もう、やんちゃを全開にしているのだ。
呪いの痛みで、感情も出せなくて、声も出せなくて、ずっと痛い思いをしていたのとかを考えると、子供らしくて結構な事かもしれないが、目を離すとすぐに何かをするので、目が離せない。
子育てする母親ってすごい、と私は改めて思うし、非番の日とか、早上がりの日とかに率先して子守をするハッサンは、ものすごい体力だ。
そして、血のつながりがなくても、子供がかわいいのか親父に至っては、自分が面倒を見られる時には、大事な楽器を触らせるし、音を鳴らしただけで
「天才! いい音!」
なんて、あんた親ばかなの、と言いたい反応をする。
ハレムにムージを背負って出勤すると、これもまた、生まれているなら、かわいい曾孫の年齢らしい、女官長が待ちかまえていて両手を広げて待っている。
ムージは女官長の事ももう警戒しないから、きゃあきゃあとうれしそうにわらう。良い事だ。
この子は、今、周りの大人からとても大事にされているだろう。結構な事だ。
女官長は、うちの親戚の子と遊ばせたいとか、言う事もあるので、近いうちに女官長の紹介で、そういった親戚の子、というものと遊ぶ事にもなっている。
それもこれも、この子が聞き分けはいい子で、本当にだめだと言われたら、大人しく諦めるからかもしれない。
だが私は、数回お尻をたたく羽目になっている。
この子が、なぜか、たった一つだけ、言う事を聞いてくれないものがあるからだ。
それが、私の短剣の事なのだ。
ムージは、きらびやかだとかきらきらしているだとか、色鮮やかだとか、そんなところは欠片もない、私の曰く付きの短剣を、やけに触りたがるのだ。
刃物なんてこの小さな子供に触らせられないし、気付いたらすぐに短剣を回収しているのだが、ムージはそのたびに
「やあああああああ!!」
って、納得行かない、って大声で主張して泣く。
でもこっちだって、怪我させたくないので、絶対に譲らない。
ハッサンも、この短剣だけ諦めないムージが不思議らしく、危なくないぬいぐるみのおもちゃの短剣を、実家からお下がりでよこされたと持ってきたのだが、それには目もくれないのだ。
「エーダの短剣に、そんなおかしな魅力はないのだが」
「なんなんだか、全くわからない。危なくて仕方ないんだ。怪我させたらと思うとぞっとする。でも日常的に使うものだから」
「母親がいつも持っているものであるから、気になって仕方がないのかもしれん」
「母親じゃない」
「この年齢の子供からすれば、母親のようなものだろう、俺もお前も」
ハッサンはそう言うから、子供ってやっぱりよくわからない、と思いつつ、毎日短剣を触りたがるムージと、だめな私の戦いが繰り広げられるのだ。
私の短剣は、曰く付きなので、もしかしたらムージに何か悪い影響が、と心配が頭をよぎる事もあるけれど、そんな危なさだったら、親父も、旦那も見抜くだろうし、親父に危害を加えられる可能性があったら、一番実力行使してきそうな暗闇も、何もしてこない。
だから、危険、というものではないのだろう。そう信じたい。
「やああああああ! ああああ! やーーー!!」
「だから、これはだめなの! 危ないの! 怪我しちゃうの!」
ものすごいぎゃあぎゃあと泣くムージだが、近所の皆様からの苦情は来ない。
それも、王様直々に、うちで面倒を見ろと命令したと言う話が、広く知られているからだ。
隣のおばさんは、
「あんた新婚なのに、大変な役目をもらったね、手伝えそうな時は手伝ってあげるよ」
なんて優しい言葉もかけてもらえて、私達は子守もするという、新たな日常を送っているわけなのだった。
その日もやだやだ、触るの、と全力で主張してきているムージに、だめ絶対、と譲らない姿勢を維持して、ハレムに仕事をしにいって、小間使いよろしく駆け回り、大きな問題なく一日が終わった。
無事に一日が終わる事にかんして、神様に感謝しっぱなしだ。無事に終わらない一日とか、とにかく、考えたくない。
そして親父と合流して自宅に戻って、旦那が帰ってきて、ご飯を食べて、ハッサンにだっこさせたまま寝落ちしたムージを、布団の上に寝かせると、少しだけ私達大人には、ゆっくりした空気が流れる。
ムージはいつもそうだから、親父が時々奇声を上げて楽譜を作っていたり、曲の一部をかき鳴らしていていても、ぐっすり寝てくれる。これってすごい事で、親父もありがたがっている。仕事の一部だからだ。親父はハレムでは、作曲する時間がないし、思いつくのは夜中と言う人だから、ムージがぐずらないで寝てくれるのは、非常にありがたい事である。
「やっぱり、誰も知らないって?」
「ああ。金髪に、濃い紫の目をした子供を生んだ親戚は、近衛兵の誰も覚えがないと言っている。この地区に置いていったのだから、やはり関係者の可能性を否定しきれなかったが……めぼしい情報は手に入らない」
「女官長にもそれは言われた。やっぱり、命名師のご婦人の言っていたように、草の生い茂る国の生まれのような気がするんだ」
「でもそれだったら、どうして、わざわざうちの、戸口の前に置いてったんだい。そんな面倒な事する理由が、私には思いつかないんだが」
話題になっているのは、やはりムージの生まれの事だ。
王様に育てるようにと命じられたけれども、この子供の出自は気になって仕方がない。
何も知らないで育てる事も、もちろん出来るけれども、何かとんでもないとばっちりを受けて、うちの戸口の前に置き去りにされていたのだとしたら。
そしてそれを、子供が大きくなってから、見つけだした大人が知って、迎えに来たら。
事は無駄に大きくなるだろう。
「……なんだろうね」
考えても答えは出てこない。ムージがどこかの大きな家の坊やなら、何か身元が分かるものを一つくらいは持っていそうだが、そんなものはどこをどう探しても見つけられなかったから、ないのだ。
何か有益な情報は、今のところ見つかっていない。
「あの子はここで育てればいい。問題が起きたら陛下預かりとしてもらえればいいだろう。最善はそれだ」
結局今日も、旦那の言う言葉が三人の共通の結論になって、さて、ほかに共有する話はあるかな、と話題を変えようとした時だ。
「陛下が俺に、青の国に行けと命じられた」
とか言う、何で、と言いたくなる事をハッサンが言い出したのだ。
「青の国って、普通に行ったら何日かかると思っていらっしゃるの、陛下」
「何で君にそんな命令を?」
私も親父も訳が分からない、と理由を聞くと、隠す事でもなんでもなかったらしくて、ハッサンが答えた。
「陛下の二番目の弟君である、ケビン殿が、青の国にいる情報を陛下が掴んだそうで、いい加減連れ戻すとおっしゃっての事だ」
「あ、色男って話のケビン殿?」
私は近所の人から聞いた話を思い出した。
砂漠一の色男、ケビン様の話だ。
「どういう話で耳にしたのかはわからんが、そのケビン殿で間違いない」
「なんで君に、ケビン殿連れ戻すようにとご指示を?」
親父も関係がわからなかったらしい。訝る口調だ。
「陛下は寛大なお方であらせられる。ケビン殿が縁談などの決められた結婚相手ではなく、恋愛をして、愛し合った女性と結婚したいという意志をこれまで尊重し、温かく見守ってきたのだが……もうケビン殿が砂漠を出てから、五年の月日が経過しているのだ。この間に、ケビン殿に浮いた噂は一つもなく。陛下も、もう待たない。あの浮き草じみた弟に、妻をあてがわなければならない、と決められたそうだ」
「それって、ケビン殿いやがりそうじゃない、なんでそんな事、決めちゃったんだろう」
「砂漠では、ケビン殿はあまたの女性から憧れられている美男子だ。ゆえに、ケビン殿が結婚するまで、自分も結婚しないと言う名家の妙齢の女性が後を絶たん。陛下の元に、うちの娘が結婚できないからケビン殿に妻を、と言う奏上が驚くほど押し寄せたそうで、陛下も無碍には出来なくなったらしい」
「愛されている男の弊害って奴か……」
憧れの人との結婚の望みのために、まだ親の決めた結婚をしたくない、という女性は結構多そうで、私も納得した。
でもそこで、どうして旦那が連れ戻し係になったのか。
「何で君を陛下はご指名なんだい」
親父も似たような事を思ったらしくて、そう問いかけた。
この問いにハッサンは真顔で頷いて、こう言った。
「ケビン殿の幼少の頃から、ケビン殿を迎えに行く係りが俺だったためだ」
「ごめんよくわからない」
「俺が相手ならばケビン殿は脱走しない、と陛下が思っていらっしゃるのだ。事実他の人間の時は、ケビン殿の脱走をたびたび許してしまっている」
「君が一番、連れ戻せるって思われているんだね」
「そうではないかと。何しろケビン殿がおむつをしている頃から、何かと俺に面倒をみる係りが回ってきていた」
「まって、あなたは王様やケビン殿と血縁関係にあるの?」
「かなり薄いが。家系図を辿りに辿れば、何とか俺の家と陛下の家に、つながりがある事がわかる」
そこで私は、時を遡る前の事を思い出した。
旦那は、ケビンの家に預けられた事があったのだ。それは、辿れば血縁と言う事も、理由の一つだったのだろう。
ただ魔導書がたくさんあるだけで、訳ありの旦那が預けられたとも思えない部分があったので、ここで納得したようなものだった。
「君も苦労の多い人生だね」
「アーダ殿ほどではないかと思われます」
「あっはっは」
そんなやりとりをした後に、旦那は私の方を見てこう言ってきた。
「エーダ、お前とムージも連れて行けとのご命令だ。着いてきてくれるか」
 




