11 あたえるのは祈り
「ああ、あんたの子供に付ける名前は、とびきり力の強い名前にした」
名前が決まる事になった三日後、命名師の老婦人の元を訪ねた私達に、彼女は機嫌の良さそうな声で言った。
「災いの多い人生は、強い名前を付ける事で緩和する事が出来る。色々悩んだんだがね、あんたの子供の名前は」
「俺の子供ではないと言っているのだが」
「うるさいよ、あんたに大人しく抱き上げられて、機嫌の良さそうな子供なんてこの先、一生出会えないかもしれないんだ、大人しく父親面してろ」
結構老婦人も言っている事が厳しいのだが、彼女は咳払いをしてから重々しい調子で、こう言った。
「こっちで考えた最良の名前は……ムジーヴァ。砂漠の古い言葉だよ」
「不運だの不幸だのという意味だろう」
「さすが、無駄に知識があるのは伊達じゃない。だが、呪い事としてよくあるだろう。それを防ぐためにあえて、悪い名前を付けるなんて言う風習は」
「まああるが」
「お前なんて名前負けしているだろう。ハッサンというのは古い名前で、色男って意味だ。お前自分の事、鏡で見たことあるだろう。お前みたいな事もあるんだから、ちっともおかしくない」
老婦人はあっという間にハッサンを黙らせた。そうか、ハッサンって色男って意味だったのか。知らなかった。
私はちらりと旦那を見上げた。私の最良の夫だが、イケメンとか、色男とかそういう表現はあまり一致しない人だ。
それは間違いない。
昔はまだましだった、と言う話は妹さんとかから聞いたが、その頃の顔何て知らないわけだし。
「こっちに名前を頼んだんだ、まさか嫌だとごねるのかい」
「いいや。……この子供にとって、最悪を見通すと言われているあなたが、その名前を付けるならば、それは最善になるのだろう」
「最悪を見通す?」
今初めて聞いた事だったもので、聞き返すとハッサンが言う。
「この命名師は、名前を与える子供の最悪の未来を見通す事が出来る、と評判のある人だ」
「未来視が出来るっていいたいの? それって相当な力の持ち主じゃない」
「ハッサンの嫁さん、それはちょっとだけ違っていてね。私は人相見の部分も多いから、子供の人相から最悪の事態を見つけやすいってだけなんだ。神々に愛されている人達のように、未来視なんて高等な事、出来るわけもない。あれは本物の選び抜かれた人にしか出来ないものだよ。そう、水神の寵児でさえ、あれだけ選ばれていたというのに、自分の未来は見抜けなかった。出会う事になった銀の女の未来もね」
私が考えていたよりも、未来視という事が出来る人は、限られていたらしい。
占い師は手札とかで、色々見通すけれども、やっぱり未来を見抜く何て事は出来ないから、助言しかできないって言うし。
「さてハッサン。その子供の名前に対しての不満は?」
「……特には」
「この大嘘吐きが。子供に不運なんて名前は、背負う物が大きすぎるとでも思っているんじゃないのかい」
「名は体を表すとも、言うだろう」
「ああ、だから、不運という表し方で、外からやってくる不運を蹴散らすんだよ。気に入らないかい」
「……」
ハッサンは黙っている。子供に悪い名前をあまり与えたくない、というのは親心に似たもののようで、彼が父親みたいな心配をしているのが、うっすら伝わってくる。
「ハッサンの嫁さんはどうだい」
いきなり矛先を向けられたので、私はちょっと考えてから、子供を見た。
「この子に呼びかけて、いい反応があったら、でいいかと」
それを聞いた老婦人が笑い出す。
「なあるほど! 生まれたばかりの子供ってのは、大人が思うよりもずっと聡い。よい名前なら、子供がいい反応をするってのはわかる」
「……最後は子供に選ばせるのか」
「うん。ねえ、ちょっとあなたが呼びかけてみてよ」
「俺が」
「あなたの方が、この子は好きだもの。だからあなたに優しく呼ばれて、それでの反応でいいと思うの」
それを聞いた旦那は少し考えた後に、とても柔らかい声で、
「ムジーヴァ」
そう、子供に呼びかけて、子供は。
「あー!!」
ハッサンを見て、きらきらした目をして見上げて、はしゃいだようにきゃらきゃらと笑ったのだった。
「決まりだね。にしてもあんた、そんな優しい声が出せるなんて思っても見なかったよ」
老婦人がからかうように笑う。ハッサンはそれを聞き、少し反論した。
「俺は意味なく子供には怒鳴らん」
「まったくだ。嫁さん見てても分かるよ、あんたが大きくなっても、むやみやたらに怒鳴り散らすうるさい男じゃないって事はね」
「また、これは力の強い名前を持ってきた人だね。そうか、その子はそれだけ面倒な運命を背負っちゃっていそうなのか」
名前が決まったから、命名のお祝いをするように、ときつく老婦人に言われた私達は、命名のお祝いに必要な物を市場で用意してから、自宅に戻った。
自宅では、親父がすでに帰ってきていたのだ。そう言えばそんな時間になっていた。
これも、子供の名前が決まったからお祝いをする、と市場の人に話したとたんに、市場の人が妙な盛り上がりを見せて、お祝いならこれだ、あれだ、とそれらの事をよく知らない私に勧めてきて、ハッサンが相場の話をし始めて、それなりに時間が過ぎていたからである。
砂漠では節目毎にお祝いがけっこうあるそうで、名前が決まったら命名のお祝いをするのもありふれた行事らしい。
全く知らなかった。当事者の子供は覚えていない場合が多いよ、と市場の人にも言われたし、子供によっては生まれてから、母親の股の傷がふさがって、動けるようになってからすぐにお祝いするものだから、本人の記憶にいっさい残らないって話もたくさんあるらしい。
名前は一番はじめに、親が子供に贈る祈りであり願いの一つだから、がっつりお祝いするらしい。
でも、うちはどうなんだろうとも思った。だって育てる事になったのはなったけれども、養子縁組みしてないし。ハッサンの方は、もしかしたら、あくまでも王様に子育てを任じられたと言う姿勢かもしれないし。
私の方は、やっぱり、預かり物っていう意識がちょっと強い。
それもこれも、結婚したと思ったら、新婚夫婦の期間ほぼなしで、子供を保護する事になったからであろう。
親になるっていう感覚は、今のところ私には生まれていない。
きっとこの子には、エーダおばさんと呼ばせるだろうし。
さて話は戻して、帰ってきた親父に名前の事を言うと、親父もそう言った知識を持っていたのか、やっぱり強い名前だね、と言う感想を言ってきた。
「そんなに、不運って名前は強いものなの」
「強い。なんなら、幸運って意味の百倍強い。名前で悪い物をはじき返すっていう事だから、身も蓋もなく不運って意味の名付けは、めちゃくちゃ強いんだ」
そう断言しているほどである。
この子の生まれ持った不運はそれだけの強さで、はじき返さなきゃいけない物であるらしい。
この子の運の悪さってどれくらいなんだ、とちょっと子供の将来に不安を感じるものがある。
でもその名前で呼びかければ、子供がご機嫌で反応するから、いいだろう
。
これで泣かれていたら、もっと別のにしてと言ったかもしれない。
「さて、命名の祝いだ」
ハッサンはさっきから竈の前で何かごそごそしていたのだが、砂漠流の命名のお祝いの手順なのだろう。
「こっちではどんなお祝いをするの」
「祝いの前に、竈に新たな家族の紹介をする。この家に来る事になった時、俺も行っている」
「いつの間に」
「竈神に失礼があってはならないからな。お前と俺を再び出会わせてくれたのはこの神だ」
「それを言われると事実でしかないわ」
私も納得し、いよいよこの子、ムジーヴァを竈の神様に紹介する儀式が始まった。
と言ってもそんな仰々しい事はしなくて、子供の名前を書いた端切れに、子供の髪の毛の一部を入れて、竈の炎で燃やすと言う事をした後に、それの灰を、子供のおでこに、十分に冷めてからこすりつける、という事だった。
「見守りたまえ、手を貸したまえ、導きたまえ」
ハッサンは聞いた事のない厳かな声でそういって、これで竈の神様に対する儀式は終わったのだった。
そしてそれが終わったら、お腹が空いたと訴えてくる子供に、ご飯を作ってあげる作業だ。
私は離乳食の知識がほぼないから、結構ハッサンに頼って作っている。
本当に、年下の子供をあまた面倒見てきた経験者は、強いのであった。




