8 声と呪食い
子供はうちの子になるのだろう。そうなるとこれから、どうしよう。
王様の命令なのだから、それを覆す事なんて出来ないのだし、孤児院に預けてそこが丸焼けになる、と言うのも近い未来に起きそうなのは間違いない。
仕事中、一時的に神殿を頼って託児して働く……と言うのもきっと難しいだろう。
あの子は意志疎通が難しい子だ。一言も声を出さないのだし、声を出さないだけでなくて、表情などもはっきり言って旦那より乏しい。
旦那はまだ言葉で意志疎通が出来るだけましだ、と言いたくなる程、あの子の心の中は読みとれないのだ。
何をしてもほとんど反応がなくて、時々どうしても嫌な時にだけ、大きく目を瞬かせて火の粉を散らす。
手が掛かる子っていうのは、間違いじゃないだろう。
でも王様が言うほど、問題のある子供だとは、今のところ思っていないけれどもさ。
「あの子がうちの子になるなら、エーダ、何かとてもいい名前を考えてあげなくちゃね」
親父がハレムと言う仕事先に向かうさなかに言う。そうだ、第一の問題は、あの子の事をなんて呼ぶかだろう。
今までは
「おちびちゃん」
「坊や」
「小さいの」
なんて呼びかけていたものだから、いざ名前を考えて、と言われて、こう、きちんとした名前が思い浮かばないのである。
私に命名の才能はないに等しい。そして砂漠でありふれている名前何て物は知らない。
下手な名前はあの子供の将来にとって悪い事になるから、責任はとても重大だ。
砂漠って、誰が普通は名前を考えたりするんだろう。親はまず間違いないんだけれども、他に候補者はいないのだろうか。
ぜひとも誰か、そういった事に詳しい人の助言がほしい。
……まあとりあえず、こう言った事には旦那がうちでは一番詳しいに違いないので、頼らせてもらおう。
ちなみに彼は、王様の召集の後に仕事に戻っていった。やる事が今日は多いと言っていた。
何でも近衛兵の皆様が積み上げた領収証の計算とか、確認とか、そういった事だって言っていた。
ギルドで働いていた私にとってなじみ深い物ばかりだが、それらがとても面倒な事も知っている。
さすがに提出をし忘れたものを、期限切れなのに持ってきて申請するとかは、さすがに王宮の兵士さんにはないだろう。
そう信じたい。それに旦那が睨んだらやらかせないだろう。
私は相変わらず、旦那と言い争いをして睨み合いになっても、どっちもどっちな感じだが、他の人はそうも言っていられないらしい。
「あの目に一度睨まれたら、一週間は恐ろしくて眠れなくなる」
そんな事を言ったのは、新婚だからお祝いにきたと言って、家に押し掛けてきた近衛兵の人達で、ハッサンの同僚達だ。
おもてなしとかそんな物の知識はないので、途方に暮れていた私に、彼らは快くこう言った時に用意するといい物を教えてくれたのだが、後から帰ってきた旦那が思い切り機嫌を悪くしたのか、
「出て行け」
そう、ものすごく低い声で、大声じゃないんだけども雷の荒々しさとかの感じ取れる響きで彼らを追い出して、思いっきり睨んだのだ。
今までと同じだと思っていた彼らは、瞳の色の変わったハッサンの目を見て、血の気を失って、あわてて謝って出て行った。
「仕事仲間を脅かしちゃ、だめなんじゃないの」
「俺に話を通さずに、この家に押し掛けてくる時点で非常識だ。抜き打ちだの何だのは、新妻にとって負担以外の何者でもない。こう言った事の積み重ねで、親戚の数人が離婚騒ぎになった」
「ああ……」
よくわからないけれども、親戚が多いと、たくさんの結婚失敗談を聞く事になったのだろう。
そう思うと、ハッサンが過剰に私を心配していると言うのでも、なんでもなくて、私に愛想を尽かされて離婚されたくないって言うのがにじんで、ちょっとかわいいな、と思えてしまったのだ。
そんな話を親父にしたら
「ハッサン殿がかわいく見えるのは、君だけかな……私は見えていないけれども、彼は少し、おそれてしまう部分がある」
ため息混じりに返されたのであった。
「おちびちゃん、君はいったいいつ笑ってくれるのやら」
とてもよく言い聞かせていたから、子供はハレムで大人しくしてくれていた。ハレムの美女の皆様が、敵とか危害を加えてくる相手じゃないって、最近は分かってきたみたいなのだ。
女官長にいたっては、孫みたいな扱いをしてくれて、幼児向けの絵巻物をどこかから持ってくる時もある。
「孫の小さい頃の物で、親戚も新品をお祝いにもらったという事で、物置のこやしになっていたから」
女官長がそう言って、絵巻物を広げて読み聞かせてくれる間は、子供も大人しくしてくれているのだ。
それでも、私を見たとたんに子供は、すごい勢いで這ってきたから、私も近付いて膝をついて、よしよしと頭をなでた。
「いい子で待ってた?」
「……」
子供はやっぱり何も反応を返してくれない。……この子は実は本当に、喉とかに機能不全があって、それで捨てられたのかもしれない。それに加えて予測不能に火の粉を散らして、泣いたりもしないって事が不気味に思われてしまったのかもしれない。
王様から聞いた話を思い出して、それが理由で捨てられたなら、この子に意志疎通の方法を教えてあげなくちゃいけないな、と決めた。
声が出せなくても、気持ちを伝える方法はある。
顔に表情がでなくても、伝えたい事を誰かに伝える手段は存在する。
そう思ったのだった。
私がよしよしと頭をなでると、子供はじっと私を見上げて、ぐっと私の服の裾をつかんで、そして。
ものすごくゆっくり、よたよたと、立ち上がったのである。
「もう立てるの! 育つのが早い!!」
私がびっくりしすぎて叫ぶと、女官長が言う。
「その子の月齢だったら、もう歩いてもおかしくないですよ」
「え、え、ええっ、どうしよう、ハッサンに言わないと、親父、親父!! ちび助立った!」
「ええええええっ!!!! 昨日まではいはいだったのに!!」
私が、王様に確認する事がある、という事で、少し前に王様の執務室に戻っていった親父が、追いついて後ろにいないかと振り返って叫ぶと、追いついていた親父は、いつもいつでも目を覆っている包帯を引っ張り上げて、その深すぎる青色の瞳を露わにして、さらにその目玉をかっぴらいて、子供を見ていたわけだった。
親父はその透き通った信じられない深度の青色の瞳で、子供を凝視していたと思うと、何を見つけたのかこう言った。
「エーダ、ちょっとその子、面倒な呪いがかかってる」
「はあっ!?」
出し抜けに呪いなどと言われても困る。私は子供を抱き上げて、足早に近付いてきた親父の方に見せた。
「呪いって何の?! この子の人生に関わる奴!?」
「皆さん、下がりなさい!」
呪いと言われてすぐにそう鋭い声で、ハレムの美女達を自分の後ろに下がらせたのは、こう言った場合にも頼もしい女官長だ。
女官長が警戒した声で問う。
「アーダ殿、それは事実ですか?」
「……なかなか面倒な手順を踏んだ呪いですよ。布越しじゃ見えなかった」
親父がじいっと子供を見ながら言う。親父は普段は、日常生活に支障を来さないし、目で見る生活は疲れると言って、目が見えるようになった今でも、目を覆い隠して生きている。
でも、その目はもうただの目じゃなくなっているらしい。暗闇がそれには関わっているのだとかいないのだとか。
「……幸いと祝福の暗闇、この子の呪いを食べられるかい」
親父が低い声で壷の中の親友に語りかけると、かたかたと壷のふたが音を立てて、次の瞬間。
壷のふたが少しだけ開き、一瞬何か真っ黒い、ただならぬ何かに見える物が現れたと思うと、子供の口の中に入り込んで、すぐに出てきたのである。
「へえ、生まれてすぐに。……そりゃあ、言葉を発するって言う感覚も分からないか」
一瞬で出てきて、瞬く間に引っ込んだ暗闇が、かたかたかた、とふたを鳴らして親父に何かを伝える。親父もそれを聞いて、何かを知ったようだった。
「親父、どう言う事?」
「この子が話せないのも当たり前だって。この子は生まれてすぐに、喉の声を出す部分が機能しない様に、かなり複雑な手順を踏んだ呪いをかけられていたらしい。まあ、強者たる暗闇が、食べられない呪いなんて何一つないから、私達にとっては生涯にもならない事だけれど。そして、感情を出すと頭に激痛が走るとかいう、陰湿な呪いも一緒にかかっていたようだね」
「……」
こんなに小さい子供に、何てひどい事をするんだろう。そう思って、私はぽかんとしている子供を見下ろして、声をかけた。
「大丈夫? もう痛くない? ごめんね、ずっと気付かないで」
そう、安心させるために笑うと、子供は私が知る限り本当に初めて、ぽろりと涙をこぼしたのだった。




