7 結果としては。
そんな事があった物だから、私の日常は一変したと言ってもいい。
仕事先に、子供を抱っこして背中に楽器のあれこれを背負っての出勤。
子供はハレムと言う、普通とは言えない世界に対しての警戒心を持っていて、最初はハレムの美女達が近付くだけで、火の粉を散らしていたんだけど、ハレムの皆様は非常に心が広くて
「ママがいいのよねー」
と朗らかに笑ってくれる。子供のママではないのだが、彼女達からすると、どこをどう見ても私がママに見えるらしい。
そして、子供の成長はとんでもなく早くて、座り込んでいるだけから、這いずって動くようになっていた。
普通の子供は、お座りが出来るようになる前に、這いずるようになるって聞いてたんだけど、この子はちょっと違っていたみたいだ。
そんなこの子は、這いずって私を追いかけるようになって、いっそうハレムの女性達から
「ママが大好きね!」
と微笑ましく見守られる事になったわけだ。
嫌われるよりはましだと思って、私はママじゃないと言う言葉をぐっと飲み込むのである。
仕方のない事だ。どこの誰とも分からない子供を、せっせと面倒を見ていれば、ママ扱いもされるだろう。
そして何よりも、ハレムの皆様が大騒ぎしたのは、這いずる事が出来るようになった子供が、休憩時間に、ハレムの外の中庭まで来てくれたハッサンを見たとたんに、猛然と這い寄っていった事である。
「あの子大物だわ」
「所帯を持つようになる前よりも、怖い顔になったハッサンを見て、泣くんじゃなくて、ものすごい勢いで近付くってあたりが理解できない」
「私の知り合いが聞いたところによりますが、通りすがりの子供が、今のハッサンを見て泣いて逃げたとか」
「わかる。事前情報なしにあの男を見ると、今は内臓が冷える」
「なのにあんなに、一生懸命に近付くんだから、よっぽど好きなのね」
「あ、ハッサン当たり前の顔で抱き上げたわ」
「あれで実子でも親戚でもないって言うのが、未だに信じられない」
と皆様言うわけで、子供を放っておくとか無理なので、私もハッサンの所に行くと、ハレムの美女達はそろって
「幸せそうな一夫一婦制の家族に見える」
そう言われてしまうようになったわけだった。
ハッサンの方も職場でそれらを言われて、からかわれるようになったそうで
「俺をそうやって秒速所帯持ちだとか言うなら、所帯持ちらしく早く仕事を上がらせろ」
なんて言い返して、ハッサンに事務処理その他を大量に任せている職場の仲間達を黙らせているんだとか。
確かに、小さな子供がいる、親をあまり頼れない家の人間に、夜勤との交代時間寸前まで仕事を頼むのって、変だものね。
さらに子供は頭がいいらしくて、ハッサンが日勤の日と夜勤の日があるって事もすぐに理解して、今日は早いよ、とか、今日は戻ってこないから寝よう、とか言えば、大人しく布団の方に這いずってくるようになった。
「すっかりうちの子だねえ、名前を考えてあげたらどう、エーダ」
親父までもがそんな事を言うようになって、でもこの子にはちゃんと両親から与えられた名前があるはずだから、おいそれと呼び名をつけられないって反論してしまう。
名前って子供にとって大事なものでしょう? 両親から一番最初にもらう、自分を形作るものだもの。
それを、いつ親元に戻れるかも分からない状況で、勝手につけちゃいけないのではないか。
この問題をハッサンにも相談した所、彼はあっさりと
「神殿が子供の身寄りを見つけられなかった時に、与えればいいだろう」
妥協点を提案してくれた。ハッサンが知る限り、神殿の術者が砂漠にいるはずの子供の親戚を見つけるのに、どれだけ手こずっても一ヶ月くらいしかかからないのだとか。
そのため子供のあれこれは、それからで問題ないだろうって事だった。
そして、子供をうちで面倒を見るようになってから、そろそろ一ヶ月が経とうとしていた。
「来たか」
もう親もしくは、親戚縁者が見つかってないだろうか、神殿に聞きにいこうと、親父とハッサンを交えて相談した翌朝、私達はいつも通りに仕事場に行った後に、王様から呼び出された。
また何かしでかしただろうか、という部分でちょっとはらはらしていた物の、今のところ大きな問題を誰も起こしていないし、一番問題を起こしやすい親父が何もやらかしていないから、大丈夫かも、と王様の元に参じると、王様が執務室の椅子に座って、報告書を眺めながらこう言った。
「ハッサン、ただいま参りました」
「アーダ、参りました」
「エーダ、参りました」
王様が相手なので、そう声をかけると、王様が報告書から顔を上げてこう言った。
「あの、炎の子供の件だがな。今日の朝方に神殿から結果報告があがった」
あの子は王様とか関係者には、そう認識されているのか。
王様の言葉の続きを待っていると、彼はさらに続けた。
「あの子供の親、親族その他は……この砂漠の国には一人もいない、もしくはそういった繋がりを放棄していると言う結果になったそうだ」
「この土地柄で……?」
親父が理解できないと言わんばかりの声で言う。
私も、砂漠は親戚とかとの繋がりが青の国と比べてもかなり濃いから、誰かしら縁者が見つかると思っていたので、思いも寄らない結果だった。
「……やはり」
小さな声で言ったのは旦那で、旦那は何かの可能性があると思っていた様子だ。
「なるほど、ハッサンはこれが分かっていたのか」
その小さな声に王様が聞く。
「本来神殿に預けるであろう子供を、縁もゆかりもない家の戸口の前に置き去りにしている時点で、よほど子供と縁を切りたいのだろうとは」
ハッサンが静かに答える。王様も頷いた。
「お前の思ったとおりの事だろう。まして言葉より先に炎が飛び出す、一歩間違えれば大火傷になる子供だ。産んだ親や親族が、自分達では面倒を見きれない、そして神殿で繋がりを見つけられてしまえば、自分達のもとに戻されると言う事を、懸念したとしてもおかしくはない」
「……発言をよろしいでしょうか、陛下」
私はそう言って、王様が頷いたから疑問を口にした。
「あの子供、そんなに危ない子とは思えないんですが……日常的にいつでも、火の粉が飛んでいるわけでもないですし」
「……はぁ」
王様は私を見て、残念な生き物をみる視線になった。
「お前もハッサンも普通とは言えない人種だ。そしてアーダに至っては規格外だ。全員規格外の家庭と、一般家庭を比べるな」
「わ、私は普通です!」
普通じゃない、規格外なんて心外だと主張すると、王様はこう続けた。
「お前のどこが普通だというのだ。王鏡に呼ばれている時点で普通であるはずがあるか。ハレムに入る事から逃げるためだけに、女の誰もが躊躇する男、ハッサンとの結婚を選ぶあたりからもそれが伺える」
「陛下……基準が私と結婚するかどうかと言うのは、さすがに妻に失礼かと」
ハッサンが言うのだが、王様はどこがおかしいのだという態度だ。
「さて、こう言うわけで、子供の身寄りに該当する相手はいない。そしてあの幼さで炎を従える子供を、対応できないだろう孤児院になど、入れられるはずもない。あっという間に孤児院が全焼する」
「……陛下、ご命令をするならば、端的にわかりやすくお願いしますね」
親父がのんびりとした、何にも動じないって言う調子で言う。
それを聞き、陛下が私達を見やって、こう命令した。
「お前達、引き続きあの子供を育て続けろ。魔術を仕込む適齢になったら、あの子供は王宮の魔術院に入れる」
これに反論は出来ない。砂漠で一番偉くて、決定権を持つ人の命令なのだから。
そして、あの子には家族っていうものが一人もいないって言うのも、事実となるのだ。
でも、孤児院が丸焼けになる可能性があるなら、うちも同じでは、と思ったのは仕方がない。
ちょっと疑問のあった私に答えるように王様が言う。
「エーダ、お前は一度も直接は炎を向けられていない。そしてハッサンがいる」
「……どういった意味でしょうか」
ハッサンが静かに問うと、王様があきれたという様に彼を睨んだ。
「お前が結婚した後から、魔術の才能に開花したという報告はあがっている。それも、王宮の魔術院の一番の実力者が太刀打ちできないほどの能力だという事もな。それだけの力があれば、子供が魔術的な問題を起こすとしても対処可能だろう」
「ご存じでしたか」
ハッサンは、秘密でも何でもないと言う調子で、そう答えたのだった。




