6 強い親戚
その日、親父はハッサンがうちに戻ってくるまで、あれこれ子供の気を引こうとしたのだけれども、子供は全く、そう、まっったく親父になつく素振りを見せず、ちょっとでも触ろうとすれば、とたんに火の粉が舞うという事になっていた。
これには親父も苦笑いというわけだ。見えてなくても、拒絶されている空気は感じ取れると言う事で、残念そうに親父はこう言う。
「さっきの今で、懐いてもらおうって言うのが甘かったか。このおちびちゃん、なかなか警戒心がしっかりしていてすばらしい」
「警戒心がしっかりしていて、すばらしいなんて言うのは親父だけだと思う」
そんな会話をしている間も、子供はじいっと玄関の方を見続けるばかりで、この子がいったい何を考えて、ずっと玄関を見ているのかわからない。
わからない私と違って、親父は何か思いついたらしくて、こんな発言をした。
「あれかな、家族が迎えに来てくれるのを、待っているのだろうか」
「……」
あり得ない話じゃない。きっと自分を大好きな人達が迎えに来てくれる、と戸口の前で待ち続ける子供という話は、実はよく転がっているものだ。
それは、砂漠だと、捨て子とかじゃなくて、不慮の事故で大事な人が死んでしまったりして、二度と会えなくなった事もわからない小さな子の事が多い。
ちゃんと大事にされていても、子供にとっての大事な相手が同じだとは限らないと言う奴だ。
私は何も言えない気分になって、でもいつまでも子供が起きていていいとも思えず、子供にまずは声をかけた。
「そろそろ寝なくちゃ。お布団にいこう?」
子供は私が前に来てそういうからか、じっと私を見ているのだけれども、動く気配はまるで感じられない。
この子は今日一日中ずっとこんな感じで、身動きをしない。
おしめが濡れていても無反応だから、こっちはかなり頻繁にお尻を見なくちゃいけなかった。
濡れたまま何て不衛生だし、かぶれちゃうだろうしね。さすがに子育てをしなくても知っている知識は多少はあるものだ。かぶれるとか位は。
「ねえ、聞いてる? そろそろ、おねむじゃない?」
子供はあー、とかうー、とかも言わないで、私をただ黙って見つめている。この子の無反応っていったい何なんだろう。
何かそこに深い意味がありそうで、でも私の人生経験では、何かを導き出す事は出来ないでいる。
さて、ハッサンが戻ってきてくれるまでは、そのままにしておいた方がいいのかな、あの人なら何かわかるかな、と思っていたその時だ。
「……なんとか日をまたぐ前に戻ってこられた」
そういって、ハッサンが戸口から現れたのだ。小脇に色々抱えている。
「思ったより早かったよ」
「自宅に残っていた、幼児用のあれこれを持ち出すといったら、少し騒ぎになってな……身内に事情を説明し始めたとたんに、そんな事情ならさっさと嫁の元に行け、子供の事が色々決まるまで帰ってこなくていい、嫁一人に縁もゆかりもない子供を育てさせるな、とありったけ持たされて追い出された」
「うわあ……なんか想像できそう」
私はハッサンのご両親とか、親戚の人とかとほとんど会った事がない。
会った事があるのは一回だけで、その時めちゃくちゃ泣かれた。
うちのハッサンにこんなかわいいお嫁さんが来るなんて!! と泣かれたわけだ。
そしてその日のうちに、私はたいした事をしていないのに、あちらからとても気に入られて、いつちゃんとした結婚式をしてくれるんだ、披露宴でお祝いをさせてくれるんだ、新居つくるならこちらも多少援助すると、かなり食い気味な事をたくさん言われて、目を回したのだ。
私がその日の夜、自宅に戻ってきて疲れ果てて、動けなくなっちゃったのを知ったハッサンが、そのままうちにも突撃してきそうな両親や親戚に
「妻を困らせるな!」
ときつく言った事で、ハッサンのご家族とあまり会わない事になっている。
といってもまあ、結婚してから一ヶ月も過ぎていないし、あちらもどうやら
「新婚さんだからそっとしておこう」
「少し落ち着いてからでも、結婚式や披露宴の話は出来る」
などの謎の納得をして、大人しくしてくれているそうだ。
そのかわりと言っては何だが、ハッサンにはかなり集中砲火で、
「あんなかわいい人に、人生の晴れ舞台をさせないお前はヘタレ」
「お前の稼ぎなら出来るだろう」
何て事を日常的に言っているらしい。
ハッサンの方は
「そういう事をするかどうかは俺と妻の問題だ」
そういってくれているらしいけれども、彼らはなかなかそれに対して、納得しないご様子なのだとか。
まあ砂漠の普通の家庭だろうから、そういった一大行事の全部をすっぽかす夫婦というのは、理解の範疇外なのだろうと、想像は付くんだけどね。
それもあって、私は
「親戚とかご両親のために、そういう事の一つはしなくちゃいけないかもしれない。でもうちの親戚が親父しかいないから、両家集合でなかなか寂しい事になりそう」
とハッサンに言わないで、ちょっと悩んでいる所でもあるのだ。
ご両親からすると、きっと、結婚できなかった長男が、何の知らせも相談も報告もなく、結婚しちゃったって言う納得行かない事だろうし。
本当にこの問題はどうしたらいいのか、考えちゃう中身である。
「大荷物なのは、ありったけ運んできたから?」
「そうだ。うちに遊びに来ていた親戚までそれを聞いて、じゃああれもこれもそれも、と俺に運ばせる始末だ。いつ親元に戻るかわからんと言ってもだ」
「何かそれに関して言われたんじゃないの」
「言われた」
「何て?」
私が中身が気になって詳しく聞こうとした時だ。
ぼうっと私とハッサンの間に炎の粉が舞って、二人でそれを行ったのだろう子供を見ると、子供はじいっとハッサンを見ていた。
物言いたげな顔をしているけれども、何も主張してこない。
でも、炎は雄弁であるような気がした。
この子は、無視されたから寂しくなっちゃったのかもしれない。
そんな、子供なら当たり前だろう感情の動きに思い当たって、私は子供の方に近付いた。
「ごめんね、彼とちょっとお話ししていたの」
私はぐずりもしないその子を抱き上げて、泣かないように揺らす。
その間にハッサンは、ものすごい手際の良さで荷物を広げて、部屋の中の、竈からは遠い、そして親父の作業場からも距離を置いた部屋の隅に、それらを設置したのだった。
設置が終わって、子供がいつの間にやら抱っこされた状態で寝息を立て始めて、その穏やかな音を聞いているうちに、私もだんだん眠くなってきた。
あくびをすると、ハッサンが言う。
「お前も今日は思っても見なかった事ばかり起こっていたのだろう。早く寝た方がいい。子供の面倒を見ると言う事は、体力勝負になるぞ」
「あなたそういうところやたら詳しい」
「何人年下の親戚の面倒を見てきたと思っている。五人や六人ではないぞ」
「うわー、頼もしすぎる旦那様だ……」
私がちょっとふざけて言うと、旦那は大真面目に返した。
「ああ、だからお前はもっと俺を頼れ」
それについて、なんだかとても安心して、私は子供は布団に、自分は床に転がろうとしたのだが、子供を布団においたその瞬間に、子供が目を開けたのだ。
「……」
あんなにすうすう寝ていたのに、目をまん丸に開けている。これは……と経験がない私が困惑すると、旦那が言う。
「添い寝がほしいんだろう」
「つぶしそう」
「意外と潰さん」
「ああそうだ、ハッサン殿、あなたは使っていない私の布団を使ってくれないだろうか。今日は頭の中で音符が入り乱れて、しばらく寝られそうにないんだ」
「いいのだろうか、俺も寝袋程度は持ってきているのだが」
「じゃあ、こちらがハッサン殿の寝袋を借りるから問題ない」
私と旦那のやりとりに、親父も加わって、なんだかんだ私と子供とハッサンで川の時になって寝る事になり、親父は音を立てないと言って、作業をする卓にむかって、頭の中の音符を譜面に注ぎ込む事になったのだった。
子供は私が一緒だからか、それともハッサンという庇護してくれそうな相手がいるからか、よく分からないけれどもまた、穏やかに寝息を立て始める。
そんな小さな子供を見やっていたハッサンが、私に言う。
「眠れないか」
「そう言うんじゃなくてね、なんだか……不思議で」
素直な気持ちを伝えると、だろうな、と彼も同意してくれた。
「子供が出来る前に、こう言う形で面倒を見る事になるのは、俺も想定外だ」
「この子の家族、早く見つかるといいな」
心の底から思った事を言うと、ハッサンが言う。
「お前は優しくて何よりだ。俺は最悪の事態も考えてしまう」
最悪って何、と聞く前に、疲れた私は眠気に負けて、そのまま寝てしまったのだった。




