4 予想外の困難
急募、子供に水を飲ませる方法。
私の頭の中ではそんな言葉が巡り巡って、水を飲ませようにも、頑として口を開かない子供にかなり手こずっていた。
こう言うのも、早く神殿の子供を預かってくれる場所に連れていった方が安全だし、早いかもしれない。
ニ十分も水を飲まない幼児に、水を飲ませようと悪戦苦闘した私は、ついにそう諦めて、急いで家を出て、大神殿に駆け込んだのだった。
大神殿で事情を話すと、聞いた神官達は皆驚いて、本当に何か素性の分かるものがなかったのかと聞いてきた。
なんでそれがそんなに重要なのかと聞いてみると、今まで知らなかったのだけれども、そう言った小さなものがあるとないとでは、砂漠の国の中にその子の親戚縁者がいるかどうかを調べる時間に、大きな差が出てくるのだとか。
何もない状態で、捜索の術を使っても、すぐにそう言った関係者が導き出される事はないのだが、何か一つでもそう言った物があれば、そこから捜索の術も効果を発揮しやすいのだという。
魔法っていうものは便利だけどもなんでもできるわけじゃない。
それは前々から知っていたので、捜索の術という神殿で使われる事も多い術にも、そんな制限がかかっていたのかと少し驚いた。
そして話を聞く間にも、私が抱えている子供は水を飲もうとせず、ぐったりしている。
もしかしたら、と神殿の女性の関係者が、この幼児の歳ではもう使わない哺乳瓶に水を入れて口の中に突っ込ませて、ようやく水を飲ませる事が出来て、皆ほっとしたのだった。
「子供の関係者が見つかるまで、こちらの大神殿で預かりますよ」
神殿の人達は、無関係でしかない私が大変な目にあっている事からそう言い、子供を私の腕から自分の腕にうつそうとした、その時だった。
子供は神官の方に目をやり、一度目を瞬かせたのである。
たったそれだけ、それだけだったのに、神官の人の指先を炎が舐めて、その熱さで神官の人が後ろに下がった。
「その年で炎の力を持っているのか!?」
神官の人達がざわめき、すぐさま、そう言った術にも対応できる、まだ男性よりは警戒されないだろう女性の神官の人が呼ばれて、私の腕から子供を受け取ろうとして、結果全員全滅だったのである。
子供はその間、泣かないし喚かないしひとっことも喋らないのだけど、嫌だという感情だけは伝わって来る。
これでは面倒を見られないし、他の、親の仕事があったり、親戚にも運悪く手伝ってもらえないという人達から預かる子供達に、何かあるかもしれないというわけで、全員でほとほと困り果てて、結果……優先して子供の家族および関係者を探すから、炎を向けられない私が預かってほしいという事になってしまったのだ。
「子供の面倒なんて見た事がありません!! うち目の悪い親父と二人暮らしなんですけど! 旦那もうちに来られない事情があるんですけど!」
誰彼構わずと言っていいほど、相手に対して炎を向ける子供の面倒を、酷いかもしれないが私は見られない。親父もきっと無理だろう。
そんなわけで、出来ないです、無理です、と言ったのだが、そこを何とか、と拝み倒されて、拒否しきれなかった私は、子供を抱っこしたまま、自宅に引き返す事になったのだった。
子供に水を飲ませるための哺乳瓶は、借りる事が出来たけれども。
「いや……何で口を開かないかな……」
昼時にも、私は本当に手こずっていた。神殿で子供のためのご飯を教えてもらったのだけど、手間はものすごくかかるのに、子供は全く口をあかないのだ。
開かないし、身じろぎ一つしないで、私を見ているだけで、何が言いたいのかも何にもわからない、手探りでもどうしたらいいのかわからない、そんな状況になったのだ。
神殿の人達なら、子供の扱いにも詳しいから、何か食べさせる事も出来ただろうに。
朝もお昼も、水を受動的に飲んでいるだけの子供なんて、絶対にすぐに弱っちゃう。
他人様の子供だし、本当にどうしよう、と半日ですり減るだけすり減った精神で、子供の隣に座り込んで卓に突っ伏していた時だ。
「エーダ、入るぞ」
そう一言断って入ってきたのは、何とハッサンだった。
あなた勤務中じゃないの、と驚いて顔をあげると、ハッサンは近衛兵の制服を着た状態で、明らかに勤務中なのにそこに立っていた。
「……仕事は」
「アーダ殿から事情を聴かされた。それを聞いた陛下が、乳幼児を、未経験で頼る大人もいないだろう妻一人に任せるな、昼休憩にでも手伝いに行く事を許可する、と言ってくださったので、昼休憩が始まってすぐこちらを目指しただけだ」
ハッサンは私と子供を交互に見た後に、言う。
「アーダ殿からも、無関係な子供だと聞いていた。そして神殿の方から、陛下の方にこの子供の報告が上がったらしい。この年齢で炎の力を顕現させる子供という事で、最優先で陛下のお耳に文官達が入れてくれたそうだ」
そう言って、ハッサンは私を見てこう言った。
「お前も何かを食べろ。顔色が悪いぞ」
「この子が何にも食べてくれないし、水も自分から飲んでくれなくて……」
「……とにかくお前も自分の食事の支度をしろ」
「……じゃああなたの分も軽くだけど用意するね」
「感謝する」
そう言うわけで、私はハッサンなら、子供が炎の力を表に出しても怪我をしないだろうと判断し、簡単な薄焼きのパンに、発酵乳と子供に用意した、柔らかく柔らかく煮込んだ野菜の煮込みのあまりを器によそって、親父の器も使って、ハッサンの分までよそった。
「手間をかけているな、お前は料理に目覚めていたのか」
「あの頃よりは出来るわよ。……ああ、半日ぶりのご飯だ……」
「お前はまさか朝から食べていないのか」
「その子の事で手いっぱいで、自分の食事の支度なんてできなかったわよ、その子他人の子だもの、何かあったら大変だし」
「そうか」
言いつつ、ハッサンは私が半日ぶりの食事にがっついて、ある程度食べたのを確認してから、自分の分に手を付け始めた。
その時だ。
私の隣にいた子供が、じいっとハッサンを見て、何を思ったのか口を開いたのだ。
「ん?」
ハッサンがそれにすぐ気付き、何か分かったのか、いきなり、うちのかろうじて余っていた小さな器に、自分の食べていた薄焼きのパンを細かくちぎって、発酵乳を入れて混ぜて、更に卓上の塩をひとつまみまぶして、それを匙にすくって、子供の口に突っ込んだのである。
「えっ」
私はまず、子供が口を開いた事に驚いたし、ハッサンがものすごい手際の良さで、あっという間にずぼら適当ふやかしパンを作って、子供の口に入れた事にも驚いた。
子供はそれを吐き出さずに、もっちゃもっちゃと咀嚼し、ぱっと顔が輝くのが分かった。
「……この子供は、どうやら誰かが食べたものしか、食べてはいけない教育でも受けていたらしいな」
あとはひたすら、ハッサンが自分の分をちぎって子供の離乳食にして、を繰り返し、子供はお腹も相当減っていたのか、無心に口を開けて、ものすごい食欲で平らげて、顔をあげた。
口の周りは汚れ放題。私は速やかに子供の顔を、常備されている綺麗な布巾で拭った。砂漠では食事中に清潔な布巾を用意するのは、常識なのである。
「……頑張って子供のご飯作った私は何だったんだ……」
なんか脱力していながらも、私はハッサンが、自分の分をほとんど食べていないという現実にも気付き、聞いてみた。
「あなたまだ食べるでしょ、すぐに出来るもの用意するから待ってて」
「昼に二度も妻に食事を用意してもらえるとは、ありがたい」
「いや、なんか私よしあなたの方がその子の事見ていられそうだし……お昼休憩の間だけでも……お願い」
「任された」
そう言うわけで、私はさっきと同じものをまたすぐに作って、ハッサンに食べさせる事が出来たのだった。




