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3 戸口の前に

夜中にあんな会話が聞こえていたけれども、私は意外とぐっすり眠っていた。

多分あの会話の中に、悪意とか害意と言えるものが感じられなかったからだろう。

そして、そう言った物を感じるとすぐさま飛び起き、逃げるための準備をする親父が、ぐうすうと寝息を立てて熟睡していた事も大きかったに違いない。

そんなわけで、私は早朝の市場に行くために起きて、朝食と夕飯用のあれこれを買いに行くために、親父を残して自宅を出たのだ。

明け方と言っていい時間帯は、最も市場がにぎわう時間の一つで、皆涼しい時間に買い物に来るわけだ。

通りをラクダに荷物を載せた人が歩いてたり、お客さんを引き留めようと声をかけている人がいたりと大賑わいのなか、私はちょうど切らしていた常備野菜をいくつかと、親父がそろそろ炒り麦にお乳をかけたものがこいしいと言っていた事を思い出したから、麦も粒のまま買って、担いで帰ってきたのである。

買い物をする女の人は重労働だけれど、それは私が荷物持ちを連れて買い物に来ないからで、親父は頼りにならないところがあるし、寝起きがすごく悪いから下手に起こせないという事情もある。

市場の人達にまで、私とハッサンの事は若干知られているらしく、時々


「あんた、ちゃんと結婚式とかしなくちゃだめだよ、ハッサンの所は身分はあまり高くないけど、礼儀にはうるさい家だからね」


と言ってくる人までいるわけだ。私はそれをあいまいに笑って誤魔化して、そして、お乳の入った小さな容器に、麦のの粒の入った袋と、常備野菜を背負って担いで、自宅に戻って来て。


「……は?」


言葉を失った。

私でなくてもこの状況になったならば、誰だって言葉を失うに違いないだろう。

私の家の戸口の前に、小さな子供が座り込んでいたのだから。

この近所に、こんな小さな子供がいないのは、あいさつ回りをした関係で知っていたし、近所の人の親戚だったとしても、近くに大人とか、面倒を見る年上の子供とかがいないってのは十分におかしい事だった。


「え、ちょ!?」


私は言葉らしきものを全く言えないで、とにかく子供に色々聞くにしろ何にしろ、荷物をどうにかしなくちゃいけなかった。

だから大急ぎで、荷物を戸口の中に放り込んで、私は子供の前にしゃがみ込んだ。


「ぼく、おなまえは?」


子供はとても小さくて、ぎりぎり他人でもわかる言葉を話せるかな、くらいの年齢だった。一歳とか、二歳とかそれくらいじゃないだろうか。

親だと、もっと小さくても何言っているかわかったりするという人もいるが、私にはそう言う能力はまるでないので、これで通じるかな……と真剣に考えた。

名前くらいは言えるんじゃないだろうか、という希望もあったのだ。

しかし、その子供は丸い目を瞬かせて、何にも、本当に何にも、一言も喋らない。

こまった。

子供は身じろぎ一つしないで、じっとその場に座り込んだまま、私をじっと見あげている。

泣いたりしないしぐずったりもしないし、ものすごく大人しいと言えば大人しいんだけど、それが子供らしくなくて不気味と言えるだろう。

子供ってもっと好奇心旺盛で、ちょこまかする物じゃないのだろうか。

それともそれも、個人差によるものなんだろうか。

そんな事を考えつつ、私は、もう一度聞いてみた。


「おなまえは? わたしはね、エーダっていうの」


無反応というか、何にも言わないその子は、私から目を離さないで、見ているばかりだった。

これはとても困った。

隣の家のおばさんの家の知り合いとかだろうか。

そんな事を考えて、この忙しい朝っぱらに、人の家を訪ねるのは礼儀知らずになるとわかっていながらも、私は隣の家の扉を叩いた。


「すみません、こちらに、子供を連れたお客さんとか親戚の方とか、いらしてません?」


「どうしたの、アーダさんのお嬢ちゃん。子供って言われても、今日は誰も泊めていないんだけれど」


「実は戸口の前に小さな子供が座っていて……」


私がこう言った時にどうしたらいいのか全く分からない、と続けると、おばさんは慌てたように出て来て、やっぱり私と同じようにその、小さな子供に声をかけてみたのだけど、おばさん相手でも子供は無反応で、おばさんがすぐさま、近くの家五軒に至るまで声をかけてくれて、皆その子に聞いてくれたのだけど、その子は何も言わない。

それに驚いた事に、その子の事は誰も知らなかったのだ。

これだけ近所の人が集まれば、子供の事を知っていそうなのに、誰も子供の顔に覚えがないという。

親戚にもこんな子はいないというので、私は困り果てた。


「どうしましょう……」


「アーダさんのお嬢さん、家から出た時にはいなかったんだよね?」


「はい、朝市に出かける時にはいなくて……帰ってきたら座ってて」


「……となると……城門が開いてから連れてきたって事になる。この居住区の子だったら、人目を避けるために、夜中の皆が寝静まった時に置きに来るはずだ」


近所のおじさんも難しい顔をしている。子供だけが、何が起きているのか全く分からないという反応をして、座ったまま、私の事をじっと見ている。

そう言えば、この子は私以外の人の事を見もしないのだ。私の事をずっと視線で追いかけている。


「……こういっちゃなんだけど、アーダさんの隠し子とかだったりしないのかい」


「でも、それだったら書置きとかがあるはずじゃないの? あなたの子供ですとかくらいは書いてあるはずだ」


「確かにそうだわ。それに、アーダさんにかすりもしにないほど似ていないし……どこの迷子なんだろうか」


皆親切にそう言って、一緒に考えてくれていたけれども、皆王宮の仕事の時間が近付いてきているから、そわそわしている。

そんな時だ。


「ふああ……エーダ、今日は君はハレムに行かないで、その子を城門の外の大神殿に連れて行って、相談しに行ってくれるかい」


姿を現したのは、今まで寝ていたのではないかと、疑いたくなる反応の親父だった。


「アーダさん、まさか今まで寝てたのかい?」


心底呆れたという顔をした近所の人達に、親父が言う。


「夜中に作曲をし過ぎて寝落ちをしていたようで……気付いたらこんな時間でした。皆さんも仕事の時間が迫っているでしょう。うちの前に置かれていたなら、エーダが神殿に連れて行くのが一番いい事だと思います」


「アーダさんの子供じゃないんだろうね」


「はっはっは、長い旅暮らしの中でも、色を売った事はないので、ありえませんね。というか、その機能が反応しない身の上なので」


周りがさすがにぎょっとする事をあっさりと言った親父が、さらに続ける。


「大昔に、陛下の所で働く事になった時に、そう言った機能が反応しなくなる薬というものを飲まされましてね。陛下の母君の策略でしたが……それ以降、うんともすんともいわないんですよ」


あっはっは、と笑う親父。いや、初めて聞いたよそんな話……親父って色々ひどい目にあってたんだな……と私は何も言えなかった。

他の人達も似たような反応で、じゃあ誰の子供だろう、という事になり、さらに言う。


「この子の近くに書置きとか、何か素性の分かるものとかは?」


「あなた達に声をかける前に、私とアーダさんのお嬢ちゃんで探し回ったんだが、何にもないんだ」


「ならますます、外の神殿に相談しに行くべき子供だ。エーダは事情を話せば今日は休んでも大丈夫だろう。私は今日は、ハレムの方々と外せない約束があるから、一緒に行けないけれども」


「じゃあ、親父、頼んだからね」


「ああ。エーダもその子を頼んだよ。皆さんも、エーダの手伝いをしてくれて本当にありがとうございます」


そう言った流れになり、皆自分たちの事に戻っていき、私は子供がいつから飲み食いをしていないかわからなかったので、水だけでも飲ませてあげてから、神殿に行こうと、一端その子を抱きかかえて持ち上げて、家の中に入って行ったのだった。

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