1 たぶん探されているのだろう
「あの、すみません!! あなたはこの国の生まれではありませんよね?」
ハレムの美女の皆様方から、楽器の依頼を受けて、それを出入りの商人に取り次いでいた私の背後から声がかけられた。
いったい誰の事を言っているのだろう、と思って私はその時全く気にしなかった。
それどころか、この依頼で楽器を作ると美女の予算を越えそうだよな、どうするかな、なんて事を暢気に考えていたのだ。
そのため私は背後から聞こえていた声など聞えもしなかったという態度で、ハレムの方に歩いて行こうとしていたのだ。
そんな私だったのだが、だしぬけに腕を掴まれて、足を止めざるを得なかった。
「あなたに声をおかけしているんです!!」
そう言ったのは、砂漠の身なりではない男性で、その男性はどう見ても青の国とかそう言った西の国の衣装を身にまとっていて、首から下げられた使者の印からも、素性だけは明らかなようだった。
なんか面倒な相手に声をかけられたな、と思ったので私は振り返り相手に向き直って、こう言った。
「いえ、私は砂漠の国の生まれですよ。それにずいぶんと失礼な事を言う人ですね、一体私に何の用件でしょうか」
「あ、申し訳ありません。しかしあなたのお顔立ちはまさに青の国のそれではありませんか。あなたなら私達の探しているとあるお方の事をご存知だと思うのです」
「あなた方のお探しのお方とやらを、私が知っているとも思えません。私は今仕事の途中なのです。邪魔をなさらないでください。待っている美しい方々がいるんですから」
「! となるとあなたはハレムに入る事の許されている方なのですね!! これはますます私は幸運です!! どうか、ほんの少しだけ私の話を聞いてください」
これは面倒くささが突破しているくらいに面倒くさそうな気配しかしない。
しかしがっちりと腕を掴まれているせいで、振りほどけないので仕方がないから話だけは聞くしかないのかもしれない。
ここで大声を出して助けを求めたら、どうなるんだろう。
なんだかそんな事をしたら、いっそう私が王宮で有名人になりそうで、これ以上有名人になりたくないと思った私は、相手を睨んでこう言った。
「ここで手短にお願いします」
「はい! あの、この国の王のハレムに、黒く見えるほど蒼い髪をした美しい少女が入れられておりませんか」
「聞いた事がありませんね。青い髪の美しい女性となったら、ハレムではたちまち有名人でしょうし」
話はそれでおしまいだ、と私は思い切り腕を振って、相手の手を振りほどいた。
相手の方が身分が上だとかそんなのは構うものか。私からすれば、素性も名乗らない相手など見た目が上でも不審者の一人として相手にするまでの事なのだ。
相手が名前も名乗らないのは、私に名前を知られたくないからで、それっていうのはあまり大声で何かを触れ回りたくないという事が明らかなのだ。
「では、失礼いたします」
「お待ちください!! 本当に、砂漠で最も美しい女性達が集まるとされているハレムに、青い髪の女性はいらっしゃらないのですね?」
「聞いた事がないと言っていますよね。私が知らないだけかもしれませんが、聞いた事も見た事も有りませんよ」
はっきりと言ってやって、私は相手を振り返りもせずにハレムの方に歩き出したのだった。
相手はそれを追いかけられない。追いかけていたらしいが、ハレムに近付く通路で、ハレムの番人の兵士の人達に容赦なく止められていた。
私は顔を見るだけで通してもらえるので、問題は何もない。何しろ私がハレムの女性達につかいっぱしりにされているのは、もはや暗黙の了解と言っていいほど知られた事になっているのだ。
そう、私はお使いも取次もさせられているのである。
これに関しては、王様がこの事を女官長から聞いて大笑いして、私をただの楽師の娘という扱いでなくて、そう言った使用人の一人として扱い、お給金をくれるようになったので納得しているし解決済みである。
ただ働きはいやだったので、お給金がそれなりにもらえてとってもありがたい。
こんな事を思いつつ、ハレムの予算の計算をまた女官長達にお願いしなければならないかも、と考えて……青い髪、と思ってふと足が止まりそうになった。
青い髪の女の子。やってきた青の国の使者。
私はハレムの数か所に飾られている、等身大のガラス鏡の前に立った。
「……違うか」
鏡の中の私は、いつも通りの茶色の髪の毛に黒い瞳で、親父の娘とは思えないほど色味では似ていないものだった。
そして。
「エーダ、お使いご苦労様。皆さんが、エーダにもお菓子をあげたいと言ってくれているから、もらって休憩にしようか」
ハレムの才媛美女達に楽曲を教えてていた親父が、私の足音に気が付いたの顔を仰げて、こちらに首を向けてそう言うので、私は答えた。
「ああ、うん。ありがとうございます、皆様」
親父の髪の毛の色は、あの時見た黒く見えるほどの青色ではなくて、うっすら青い銀の色でしかなかった。
「……って事があったんだけどどう思う」
「明らかにアーダ殿を探しているだろう。そしておそらく正体不明の青い髪の少女という事で、お前も探されていると考えておかしくはない」
「そんな事言ったってさあ。探されても困るんだけど。私はここでゆっくり平和に暮らしていきたいってのに」
「どこの世の中でも王族に連なる血筋の面倒事はあるという事だ」
「あー、めんどうくさっ!」
帰宅して、後から帰ってきたハッサンに今日であった明らかに何かありそうな人の話をしたら、あの私が歌った現場にもいた彼は、推測なんだけどとても事実っぽそうな事を言った。
「こんな時に、君がここで暮らしていてくれたらと思うんだけれど、君の家族が皆で怒るのだものね」
親父がちょっと困ったね、と言いたげに笑ってそんなこと言う。ハッサンも真面目な顔で答えた。
「どうにもうちの親族は、結婚式にこだわりが過ぎる」
「そんな事言ったって、あれだけ結婚とか家庭を持つとか、そんなのから縁遠かった長男が、秒速結婚して、結婚式も披露宴も新居建設もしないってなったら、どれか一つくらいはやれって怒るでしょ」
「……お前がいらんと言ったんだろう」
「言った。なんなら全部面倒くさいって言い切った」
「妻がいらんものを何故やらねばならん」
「あなたはしたくなかったの」
「お前の親族が父のみの状況で、結婚式も披露宴も行って、お前が同情されたらお前はどうする」
「その事言われたら切れて結婚式だろうが披露宴だろうが中断。親父がいるだけ万々歳の人生なのに」
「新居を建設する場合には、この王都に造るなら申請書を通すだけで二年かかる。あの頃とは条件も状況も違う。そして許可が出る地域はどう考えても王宮から一番外れた、仕事に支障をきたす距離の場所だ」
「無理。王宮内ってだけでものすごく楽なの知っちゃったら、うんと遠い新居から通うとかやだ」
それに……と私もハッサンも親父の方を向いた。
「何だい?」
「親父みたいな危なっかしいのを一人で暮らさせて、何かの事故が起きた時の方がはるかに怖い」
「そして義父殿はまだエーダと暮らしていたい」
「ねー。どれも初めの段階でいらないって事になったのにね」
「仕方あるまい。砂漠に長い俺の一族と、身軽な旅暮らしを続けたエーダと義父殿の考え方や認識やその他が違うなど」
「あなたが私達にわざわざ合わせてくれているってのを、理解してほしいよね。おまけに結婚式するまでは嫁の実家で暮らすなど認めないとか言われたんでしょ」
「……どうしてそれを知っている」
「あなたの妹のアニスさんが、私の所まで来て教えてくれた。ちなみにアニスさんも結婚式をしろ派」
「味方はお前と義父殿だけか。職場でも似たような事は言われるしな」
「言われんの」
「言われるぞ。あんな美女を嫁にもらったのになんで、一番着飾らせていい結婚式しないのだと」
「親戚関係が濃密な砂漠って時々わけわかんない」
「厳しい環境ゆえのことだ」
そこまで言ったハッサンが立ち上がる。彼はこちらに顔を出して、少し私と話したら、自宅に戻らなければならないのだ。
家族からの言葉で、これを無視すると一族の中でもはるかに格上のおばば様や長老様やその他もろもろからおしかりを受けるし、泊める私の方にも被害が出るという事で、ハッサンは嫌そうだが帰るしかないのだ。
私は、毎日こうして来てくれるだけでうれしい部分があるのだが、ハッサンとしては
「危険な時に守れない距離にあまりいたくはない」
らしかった。




